映画『ハイ・ライズ』感想――巨大な人類のヴァニタス
公式サイト:
http://www.highrisefilm.com/(英語)
http://www.transformer.co.jp/m/high-rise/(日本語)
1970年代のディストピアは今観ても遜色無い。
痛烈な現代社会への批判を帯びていた。
よく指摘されているイギリス階級社会への問題意識(※1)だけでなく、“人間的”と目される文化的なものが、かりそめにに過ぎないのではないかという事実を突きつける。
中産階級以上の、文化的な分野に携わっている人間たちが、非文化的になってゆく様に戦慄する。
陰鬱な物語のはずなのに、アート作品や知的な寓意などが彩をそえる。
1970年代デザインだけでなく古典芸術作品が随所にちりばめられている。
それらが登場人物たちが手放していった文化的なものであり、彼らの破滅の象徴だった。
この映画は、1970年代に描かれた“ヴァニタス(虚栄画)”なのだろう。
より洗練された“ハイ・ライフ”を夢見て入居したタワーマンションの人々。
その理想は虚栄であり、現実ではハイテクと共にみずから人間的な礼節さえも手放していった。
以下、ネタバレあり
冒頭、解放感あふれるテラスで新しい生活を始めているという精神科医・ラング(トム・ヒドルストン)。
彼が頭を撫でていた犬は、次のシーンでは片足だけになり、棒に括り付けられ丸焼きにされている。原始的な方法で。
1970年代の前衛的なデザインのタワーマンションでゴミ集積所をあさっている。
何故そんなことになっているのか。
話は3ヶ月前へと戻る。
たった3ヶ月で何が起こってしまうのかという恐怖と、それを見届けたい好奇心に駆られる。
社会問題
3ヶ月前、前衛的で機能的なデザインの1室に越してきたラングは、新しい生活に希望を持っていた。
上階から酒の入ったグラスが、彼のバルコニーに落ちてきて、それをきっかけにパーティーに招かれる。
パーティー、社交場なので、彼らの会話から当時の社会問題について垣間見ることもできる。
現代社会は、それを少しは改善させただろうか――?
喫煙、アンチエコ、女性差別に同性愛嫌悪の描写を見て――少なくとも2010年代を生きている私が嫌悪感を覚えるくらいには、世界の認識は変わったと思う。
喫煙には肺癌や副流煙による被害といった人間の死を、アンチエコに溜まってゆくゴミとそれに伴う環境破壊を、差別と嫌悪に関しては……その対象が何であれ、拒絶と対立、戦争状態を暗示する。
荒廃した黙示録的風景、世界の終わりに繋がるものと考えても過言では無いだろう。
しかし、一番問題があり、狂気を孕んでいるのは、社会ではなくこのタワーマンションの人間関係の方だった。
パーティー / 社交場と対立の人類史
上階層と下階層の対立は、互いに自己顕示欲の象徴でしかないパーティーとなって現れる。
上下階層の人間がそれぞれ開くパーティー。
映画プロデューサーで、粗暴な男・ワイルダー(ルーク・エヴァンス)が属する、下階層のパーティーは品の無い笑い声、子供の歓声は騒音のようで、不安感に囚われる。
不健康な煙草の煙や酒は、ストレス社会で依存症が蔓延していることを暗示しているのかも知れない。
かたや、 最上階にある、このタワーマンションの設計者であり建築家・ロイヤル(ジェレミー・アイアンズ)の部屋で主催される上階層のパーティーでは、何故かロココ調の衣装を身に纏っている。
その直前、ラングが訪れたスーパーでは“フランス特集”なるものをやっていた。
貴族の退廃と貧富の差による不満から、フランス革命が起こったことをふまえて、揶揄しているようだった。
両者の末路は同じだった。
パーティーは次第に享楽主義という現実逃避になっていった。
墜落 / 閉塞
破滅は急に訪れる。
否、今まで予兆があったものが一気に噴出する。
電気系統や設備の故障に始まり、あらゆるものが機能しなくなってゆく――
同性愛が個人のアイデンティティーの問題ではなく、色欲の罪のようだったり。
1970年代は、リサイクルやエコ活動がまだメジャーでなかった時代。映画の中の黒いゴミ袋は不衛生・不健康、昇華できないものの象徴だった。
ロイヤルの部屋にある高級感のある黒い ソファのクッションの形が、次第に溜まってゆく黒いゴミ袋似ていて、同義になってゆく。
そして一人の男が投身自殺した後、高みへの階段(きざはし)は奈落への楼台となる。
鳥の糞にはじまり、ワイルダーが子供たちを使って嫌がらせにアイスクリームを外の駐車場に落としていた一連の行動は、それへの暗示だったのだろう。
落下するものは総じて、いらないもの、不潔なもの、排泄物のようだった。
否、破滅そのものだった。
外に助けを求めるか、脱出すれば良いのに――
だが、彼らはそれをしない。
ロイヤルでさえ、最早手に負えなくなったことを気付きながら、外から来た警官に「何も問題ない」と言って追い返してしまう。
彼が作った理想郷(ユートピア)の崩壊を否定したかったのかも知れない。
それが他の上階層の人々の、特権意識とその維持を望む声と、利害が一致してしまう。
下階層の住人ですら、階級に固執している。何故ならこの対立は階級社会があることが前提であるため。
彼らは出られないのではない。外に出なかった。
ラングは自身のライフスタイルを維持しようとスポーツジムを利用し、身体を鍛えている。
しかしジムに当初の活気は無く、武装した不穏な動きをする住人の姿がおり、平静を保とうとしているラングの姿が狂気じみている。
ラングやロイヤルが理性を保った風でいて静かに狂って(狂気の制度に順応して)いくのに対し、ワイルダーは享楽に沈むのではなく徹底的に抗おうと行動する。
だが、それの性質は格差社会への不満と怒りによる狂暴性のみで人を救うものではないため、英雄にはなれない。
文学
ワイルダーは最上階を目指し、タワーの王たるロイヤルを殺す。
そして女たちに惨殺される。
女たらしで野蛮な振る舞いをした男の業により、遂に受けた罰と解釈できるが、その姿はまるでバッコスの信女に八つ裂きにされたペンテウスのようだと思った。
ラングはロイヤルの遺体をプールに沈めるが、その水葬の様子にミレイ《オフィーリア》、そしてイギリスの戯曲家・ハムレットを連想せずにはいられない。
美術とデザイン
1970年代のポップデザインに、私は色のイメージが強い。
全体的にちょっとくすんだ赤、オレンジそして黄色などの暖色系で、それを引き立てる青や黒といった配色。
その色味は映画全体に貫かれている。
個々人の部屋のスタイルも多様で、見ていて飽きない。
観葉植物などの植木があり、庶民的で(散らかっているけど)生活感のあるワイルダーの部屋。
最上階のロイヤルの部屋。
空中庭園はバビロンのそれ、あるいは楽園を彷彿させる。
イギリスの田園風景にあるような小屋の中は、一転真っ白で生活感の無い設計作業場だった。
まるで『2001年宇宙の旅』のクライマックスに出てくる部屋のようなギャップがある。
タワーマンションの中腹にあるラングの部屋はシンプルで何もない――(引っ越し仕立て設定だからか?)
機能美を追及した前衛的なデザインだった。
その中で最も興味深いのは、調度品。
ロイヤルの部屋にはゴヤ《魔女の夜宴》(※2)
この絵は映画の展開そのものを象徴している。
サバトは映画後半の狂乱をの暗示であると容易に創造させる。
また、この作品に盲信の風刺という解釈があるが、何かに追いすがるような雰囲気に、上階層の人間の上流階級意識への執着と見ることもできる。
タワー内の物資が枯渇し着の身着のままゴミと原始的な生活に身を置く住人たちの姿は、この絵に描かれている人物をトレースしたかのようだった。
ワイルダーの部屋には、アンディ・ウォーホルによる、ジム・フィッツパトリック(Jim Fitzpatrick)《英雄的ゲリラ》の、シルクスクリーン(※3)。明らかな“反体制の象徴”だ。
ラングの部屋には絵は何も掛かっていないが、ラングの職場でデスクの後ろには“本の上に置かれた頭蓋骨”がある。
静物画の主題“ヴァニタス”(※4)そのままだ。
歴史の流れ――上階層は古典(貴族的)、下階層はポップ(庶民的)と、かなり厳密に分けられている。
それは音楽にも表れている。全体的に流れている、オリジナルのBGMは時代を象徴するテクノポップっぽかった。
そして下階層の音楽では1970年代のポップミュージックを使い、上階層を意識させる音楽には、クラシックが使われていた。
犬
この映画で象徴的な動物である犬。
冒頭の行もさることながら、犬は規律と社会性を象徴する。
ワイルダーがプールで犬を殺す事にも意味があった。
ラングはモノローグで「犬はまだある。食い尽くしたらここで開業するつもり」と言っていたが、規律と社会性の象徴を食い尽くす事が崩壊の暗示であることは言うまでもない。
ラングは詳細に事の顛末を記録しているようで、紙面には誰にも解読できないものが書かれている。
記録し伝えるという文明的なものも無くなってゆく。
ヴァニタス
最後のシーンで‘ミニ教授’とあだ名されている少年が、資本主義の破滅を伝えるラジオを流しながら、死んだ人が愛用していたパイプをくわえ、シャボン玉を吹いている。
これらの象徴物は一様に人間の存在や命の儚さの寓意である。
映画パンフレットは作中に出てくるタワーのそれを再現している。
“WELCOME"と表紙に書かれたパンフレット。
映画の中で、閉鎖して円環し自己完結する(と目されていた)タワーマンションに、ハイ・ライフを夢見て入居した人々が破滅する。
設備不良からあらゆるものが滞り始めたとき、自身の権利を主張し、対立し、互いを傷つける。
建物の中でこそ極端になっているようだが、それはタワーマンションの外とも――ひいては映画を鑑賞する人々の現実世界の縮図とも解釈できる。
現実と映画の世界を繋ぎ、鑑賞者に「ただのフィクション」と拒絶することを否定する。
このパンフレットが鑑賞した人間にとっての“ヴァニタス”になるようだった。
休息
映画を見終わった後、渋谷スペイン坂の喫茶・人間関係 cafe de copainで映画『ハイ・ライズ』コラボ企画(※5)を堪能。
チョコチップのスコーンにモカフレーバー・ティーのセット。
物語のようなビターさは無く、甘くておいしい。
食べながらこの映画の感想を悶々と書いていた。
好きな俳優なので印象に残ってしまう、ルーク・エヴァンスの怪演。
今まで出演していた映画にな無い、その獣性故に。
映画『タイタンの戦い』 『インモータルズ』での荘厳な神様から『推理作家ポー』でびクールな役にテロリストや犯罪者、そして『ホビット』での知性あふれる苦労人(違)の王まで多様なキャラクターを演じている。(大半が肉体美派だけど)
今回の怒りと狂気の演出は、実写版『美女と野獣』(2017公開予定)に繋がるのかも知れない。
原作小説
原作はJ.G. バラード『ハイ・ライズ』。
今回の映画化に伴い、再版された。
恥ずかしながら、私は映画鑑賞後、本を手に取ったのだが、読むと細部が保管できる…かも……
印象のようにしか描かれなかった赤い制服のスチュワーデス、プールでの犬の殺害犯の動機など……
タワーマンションという閉鎖的な空間のなかでの異常なシチュエーションが、次第にそこにいる人々の無意識を刺激する――
現実世界でも、そこに住まう人間の精神が建築に反映されるのではなく、建築(環境)が人間の精神に影響する。それを表現しているように思えた。
映画『ミスト』でも、濃霧とその中に潜む“何か”に襲われ異常な事態で訳も分からずスーパーマーケットに立て籠もった人間たちの狂気を描いていたが、この映画ではそうした集団ヒステリーやいかにして独裁者が発生するかというの言及だけではないようだ。
見えていながら、普段意識していない。もっと潜在的なものに対してのバラードの警鐘かもしれない。
秩序崩壊の魅惑――
タワーマンションの物理的な機能、設備に始まり、上下階級だけでなく、善悪など道徳的な部分まで。
それがとても朗らかな文章で続かれている。読んでいると、これこそが新たなる人類の讃歌であると言わんばかりで……魅かれるようにできている。
原作を読むと、映画独自の描写やまとめ方が素晴らしいと思った。
それらは小説の意味を理解し、可視化していた。
- えげつない!タワー・マンション格差と映画『ハイ・ライズ』 シネマトゥディ
http://www.cinematoday.jp/page/A0005089 (2016/8/22確認) - Witches’ Sabbath (The Great He-Goat)(Wikipedia,English)
https://en.wikipedia.org/wiki/Witches%27_Sabbath_(The_Great_He-Goat) (2016/8/22確認) - 英雄的ゲリラ (Wikipedia,日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/英雄的ゲリラ (2016/8/22確認) - ヴァニタス (Wikipedia,日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァニタス (2016/8/22確認) - 「トム・ヒドルストン主演作『ハイ・ライズ』公開記念 甘さ控えめコラボメニュー“トム・ヒドルスコーン”セットが登場」 スパイス
http://spice.eplus.jp/articles/70435 (2016/8/22確認)