映画『ホビット 決戦のゆくえ』感想

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映画『ホビット 決戦のゆくえ』チラシ
公式サイト:http://www.thehobbit.com/

遂に最終章。
10年を経て、この物語を映像化したピーター・ジャクソン監督に、敬意。

映画『ホビット』3部作の撮影が決まっていた当初、小説同様だった"There and Back Again(ゆきて帰りし物語)"だったサブタイトルは"The Battle of the Five Armies(五軍の合戦)"となった。
小説で大部分を占める童話的要素(home-away-home)から、より映画『ロード・オブ・ザ・リング』すなわち『指輪物語』の壮大な世界観に近づけた印象を受けた。
小説『ホビットの冒険』のヒットを受けて書かれた続編が『指輪物語』で、教養小説からイギリス神話叙事詩に昇華されたこの物語は、微妙な齟齬もある。映画はそれを繋げようとしている風にも思えた。
小説の文章は意外とあっさりしているので、竜退治も五軍の合戦の描写は直ぐ読み終わってしまうのだが、それをオリジナル要素を加えて凄く丁寧に描き出していた。
原作『ホビット』第一部『思いがけない冒険』第二部『スマウグの荒らし場』とはまた違った描写を意図的にしているとも思った。決して同じ肉からハムを切り出さないように、心掛けたのだと思う。

五軍の合戦

ロード・オブ・ザ・リング』3部作では、人間の戦い――殺陣、攻城戦、騎馬戦を描いていたが、今回はエルフ、ドワーフによる対オークの歩兵による隊形戦術の描写に重きを置いていた。
洗練された優雅さと機動性を強調するエルフの動きと、力強く強固な壁となり突撃するドワーフの動きの対比はお互いを引き立てる。
オークはその入念な準備と戦略に裏付けられた、統制の取れた動きが魅力だった。それは『ロード・オブ・ザ・リング』にて悪魔的な軍団の印象よりも強く打ち出されていた。
人間は……ほとんど市街戦のような、ゲリラ戦のような戦いしかできない。兵士は殆どいないし、スマウグに街を焼かれ、着の身着のまま焼け出された難民なので仕方がないのだが。
人間の戦いの描写は、『ロード・オブ・ザ・リング』で描かれているので、ここで語る必要は無いのだろう。
若干、アクションゲームのステージ的な印象を受けてしまうのだが……
闇の森のエルフ王子・レゴラスのボルグとの戦闘シーンなど……確かにエルフは身軽だし、エルフを拷問し闇の魔術で生み出されたオークも然りなので、人間離れしたアクションが見せ場なのかも知れないが、やり過ぎ感がした。
圧倒的な彼我兵力差を、13人のドワーフが蹴散らしている大袈裟感も……どうなのだろうか?(苦笑)いくら大鷲軍とビヨルンが加勢してくれたとはいえ。

心象風景

そんなアクションシーンが満載の映画だが、トーリンの重要な闘いの描写は全てが心象風景のようだった。
小説を読んでいて手に汗握る、ドワーフ、エルフ、人間の駆け引きと葛藤、心理描写を丁寧に描写していた。

今回の映画では、同じピーター・ジャクソン監督の映画『ラブリー・ボーン』に通じるような、神秘的な描写に力が入っているのではないだろうか。
参考:映画『ラブリー・ボーン』公式サイト
http://www.lovelybones.com/intl/jp/

多くの者が抱える暗い面とそれが齎す衝動。
ドワーフの頑固さから来る執着。
エルフは理知的であるが、闇の森の王・スランドゥイルはそれ故に他の種族を見下す一面もある。
人間たちの抑圧された不満と恨みは噴出し、領主の腰巾着だったアルフリドを私刑をしようとする。
飛躍してしまうが、それらに現実世界における戦争が起こる所以を弁じている風に思えた。
その中で、公平さと冷静さを保っていられるか――

映画冒頭から、スマウグが居なくなったエレボールで、トーリンは祖父王と同じく黄金に目がくらむ。
長くスマウグの息がかかった黄金の呪いもあるが、それは引き金に過ぎない。本人(ドワーフ)の気質もあった。
トーリンが口にする黄金への執着はスマウグのそれに同じであり、スマウグと対峙しそれを知っているビルボは戦慄する。
しかし、暗い面はあくまでも一面に過ぎない。
疑心暗鬼に囚われたトーリンがビルボの動きに何か隠し持っているのではないかと詰め寄った時、ビルボは黄金ではなく、ビヨルンの家で得た楢の実を差し出す。
トーリンの顔が和むのを見て、観ている人はほっとする。

トーリンは多くの葛藤を経て、黄金の呪縛から開放される。
それは血に染まった戦場を見ての衝撃ではなく、ひたすらに内省した末だった。ドワーフの仲間達やビルボ、多くの人々の忠告と、祖父王の過去があってこそだが。
小説でも映画でも、黄金は総じて我欲・権力欲・執着の象徴だった。スマウグの黄金に始まり、1つの指輪に集約されていくものだ。
その黄金に飲み込まれる事に恐怖し藻掻く姿は、黄金への執着がトーリンの本質では無かったことを顕しているように思えた。

原作にはない雪上でのアゾグとの戦闘は過去の亡霊のような思いを断ち切る戦いであったのかもしれない。(単純に今までに無い戦闘描写をしたかっただけだと思うが)

こうした心象風景のような描写は、映画『ホビット』が老年ビルボ・バギンズの回想として始まっている事とも関係しているのだろう。
小説でもビルボは戦の途中で気絶してしまい、詳細は知らない。後で聞いたこと、終わった後の現実からイメージを膨らませている。

戦いの後、それからの物語は?

戦いの描写が多く描かれていたが、小説に描かれる戦いの後や人々の動きをもう少し見せて欲しかった……おそらく、Blu-rayの特典映像になるのだろう。
トーリンの葬儀、エレボールのその後、湖の街、谷間の国の再建が、エレボールの財宝によって成されること……
それはエレボールの王となったトーリンの従兄弟・ダインの承諾でもあり、トーリンが苛まされた黄金の呪いが昇華された事を意味するのだから。
ただ蓄えられ、執念を受け腐った財宝や金は、使われ人々が衣食住が満たされたり幸福に繋がることによって浄化される――これは現実世界におけるお金や財産にも当てはまる。

こうした浄化の要素は、やはりあらゆる“愛”によって齎されるようだ。映画オリジナル要素として、それが付け加えられていた。
バルドは現実的な面を真っ直ぐ見据え、人々の激情を制する。聖人君子だ。小説で彼の人物像は多く語られないが、それは家族愛から起因する風に描写されていた。
人間が希求してやまない人間像は、そういったところから来るのだろうか?
(余談だが、バルド演じるルーク・エヴァンズは前回の映画"Dracula UNTOLD“"Immortals“など、理想的な男性像、父性原理的なるものを演ずる事を得手あるいは意識しているような。)
現実的であるスランドゥイルは、その行動が愛する奥方を戦いで亡くしたため愛を拒絶した故という映画オリジナル要素が組まれていた。
タウリエルとキーリの愛も然り。

そういえば、ビルボが持ち帰ったであろう楢の実。
楢は"Oak"(ブナ科コナラ属)の総称の中で、落葉樹のものを指す。
ビルボに託されたトーリン・オーケンシールドの遺産の象徴であることは言うまでもない。その込められた思いの深さ、心揺さぶるアイテムだった。
黄金や財宝よりも、はるかに――
映画の終わりは『ロード・オブ・ザ・リング』のビルボ111歳の誕生日会に繋がるようになっていた。
原作小説の終わりの描写が、Blue-rayの特典映像にあることを切望。

番外編

今年もやってくれた、ニュージランド空港『ホビット』コラボレーション機内放送。
前回よりもスケールが壮大になっていたり、イライジャ・ウッドなど友情出演も増えているし!!

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