石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか

白黒イラスト素材【シルエットAC】

公式サイト:
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/eiko-ishioka/

私が好きな映画『ドラキュラ(Bram Stoker’s Dracula/1992)』『ザ・セル(The Cell/2000)』ほかの衣装を担当した、石岡瑛子女史の回顧展。
非常に楽しみだった!コロナ禍(と私の個人的な環境変化も相まって)で、中止になったらどうしようと心配だったが、杞憂だった。
観に行くことができて感無量。


グラフィック

会場に入ってすぐに展示されていたのは、グラフィックデザイン。
完成したグラフィックだけでなく、それに至る入稿までの修正や細かい指示がびっしりと書かれた指示書。細部へのこだわりが手に取るようにわかる。これがプロとしての仕事……その過程を垣間見る。「神は細部に宿る」とは、ドイツの建築家のミース・ファンデルローエの言葉だった。その言葉通り、細部へのこだわりを導入から理解できた。
指示書が残っている事にも驚きつつ……(※1)

展示されているのは資生堂や1970年代のPARCOの広告。
幾何学――人工的なものに限らず、男性、女性の身体のラインの造形さえも――で構成されていたり、白人も黒人も、その魅力を引き出されている。

「裸を見るな。裸になれ。」

伝説的な広告コピーとして名高い、長沢岳夫の言葉のバックグラウンドを飾るトップレスの女性の写真。
浅学な私は、このヴィジュアルに石岡瑛子女史が携わっていた事を今知った!!
今の日本では御法度になってしまうであろう、女性のヌード――ニップが写っている――を広告に打ち出す大胆さ。

戦後復興――敗戦から何もかも焼失し立ち直ることが目的だった時代――を経て、それらを変えたい・変えなければという空気があったと想像する。
軍隊の延長のような企業戦士や、そういう人物を育てる役目を担うのが母親(女性)という、男性優位社会であった時代から。
女性の社会進出……この当時はまだガラスの天井がまだ分厚いと思う(雇用形態とかそれに伴う賃金格差とか)が、その中で彼女が切り込んでいったであろう事にも感嘆してしまう。
そんな社会に“問いかける”広告を打ち出す。これらは石岡瑛子女史ひとりの力ではないけれど、その目的意識を共有し、それに応え形になったグラフィックデザインたちだった。
(そういえば、今はただ流行を追う若年層ファッション雑誌の『an・an』が発刊されたのもこの頃。1970年代は前衛的なカルチャー雑誌だった……私はその時代のを見てみたかった)

雑誌『野生時代』のグラフィックデザインはシュルレアリスムの作品群を見ているようだった。ダリやマグリットの抽象的な世界。
(年齢バレそうだが)物心ついた時の親しみを感じる東急百貨店の菱形と楕円形で構成されたグラフィックも石岡女史が手掛けたものだったとは!
子供心にずっと指輪だと思っていた造形は、「Q」を意匠化したものだった。

写真集

石岡女史はニューヨークで出会った、ヌバ族の写真集『The Last of the Nuba』に衝撃を受け、日本に紹介する事に尽力する。
写真集そのものの出版と、それに伴う写真展。石岡女史のプロデュースにも情熱を感じる。

The Last of the Nuba』が映し出している、身体の力強さに圧倒される。石岡女史はそれに魅せられたようだ。
また、写真を撮ったレニ・リーフェンシュタール(※2)――年齢を超えて創作、表現者としての情熱を燃やし続ける姿――への共感もさることながら、レニがナチスの協力者という汚名に対する名誉回復の資料などを集め、彼女の過去に向き合ったという点に、もしかしたら……かつて悪の枢軸国と名指しされていた国同士、それによって感情論や一方的な主観から、失われる冷静な作品への評価への憤りがあったのかもしれない、と想像してしまった。

The Last of the Nuba

衣装

これらを拝見できることが私の主目的だった!!好きな映画で使われた衣装の本物を拝見できる……!!

その前に、映画以外の衣装も展示されていた。
日本を舞台にしたオペラ、プッチーニ『M.バタフライ』や『ニーベルンゲンの指輪』の衣装など。
ニーベルンゲンの指輪』の衣装に施された、物語を象徴する樹や眼の意匠は、神秘主義的的でシュルレアリスムに通じると思いながら拝見。
第一夜『ワルキューレ』は見たことがある舞台……石岡女史の衣装でも見てみたかった……記録映像がディスクなどで残っていないだろうか?
ワルキューレの行進〉で、死者の魂を集めるワルキューレ達が被る兜は、伝統的な翼の着いた兜ではなく、銀色に輝く髑髏の姿で表現されていた。
翼は別にあり(背中に背負っていたようだ)、その姿は死の天使といった様相だった。

北京オリンピックの衣装も石岡女史が手掛けたものだったとは知らなかった……
何気なくTV中継で開会式を見ていて、スケールの大きさや世界観に感心していた…勿論、その衣装も凄いと思いながらも……

シルクドソレイユの衣装は、機能性と細部まで作りこまれた有機的なデザイン性を両立したものにただただ圧倒される。

映画

お気に入り映画の衣装を拝見する前に、新たな衝撃を受ける。
三島由紀夫を題材とした映画の舞台装置が展示されていた公開に際して三島由紀夫の遺族から反対があり日本公開はされなかったという。
事件や自殺の件もさることながら、物語に同性愛的な要素があるらしい。同性愛に対して社会的に偏見や卑下、忌避される時代だったため、故人の名誉にも関わる可能性があったのだろう。(特に遺族感情の影響が凄かったらしい……確かに、旦那が同性愛者だとして奥様の心境や、いかに……)

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展示されていたのは映画における三島由紀夫の心象を象徴する金閣寺。真っ二つになっている。そのシュールレアリスムのような光景。真っ二つの真ん中を通り、会場を進んでいった。
他、映画本編からのスチールの展示。
白い色調に統一された神社、桜紋の浮彫がある執務室といった象徴主義的な舞台装置から、ネオンピンク色のエロティックな部屋、モダンでありながら静謐な宴席など。
映画スチールから伝わってくる舞台装置は、伝統と近未来的なもの、和洋折衷といった融合を感じさせる。
前衛的なものが、古典的なものと融合することでバランスを取ろうとしているような……

それは映画自体が、三島由紀夫の生涯を語りながら、三島の文学作品を表しているからだとも思う。

その作りこまれた舞台的(歌舞伎の屋台崩し)世界観……実現に多額の費用がかかっているであろう事はいわずもがな!
公開されなかったのが物凄く勿体ない……観たいのに、サブスク検索しても出てこないし……
リバイバル上映を切に望む。いやしかし、これはソフトを購入すべきだと思った。


映画の衣装で展示されていたものは、『ドラキュラ』『The Cell』『落下の王国』そして最後の作品となった、『白雪姫と鏡の女王』 ……個人的には『インモータルズ』の衣装も見たかった。

映像で見た現物が目の前にあることに感無量。
映画本編の事に思いを馳せてしまう。
一着一着、他の追随を許さない細部まで作りこまれた衣装はそれだけで世界観を構築しており、存在感を感じさせる。
衣装はキャラクターの性格……その個性を象徴するものなのだが、何やら内側からにじみ出てくるようなものを感じる。

並べられてより意識させられたが、『ドラキュラ』の伯爵が戦のために纏っていた鎧(マッスルアーマー)と『The Cell』の脳内世界にダイブするボディ・スーツは似たデザインだった。
赤い筋が束になっている造形……それはまるで筋肉の流れに沿っていて、筋肉そのものであるように思える。
両タイトルにおける“戦場”で着ているもの、身を覆うものが、肉体を彷彿させるデザインであることに、石岡女史の意図を感じた。
肉体を包むものが肉体である事、肉体は精神を包む鎧とも解釈できること……幾重にも重なっているような、反復するイメージ。

衣装が衣装として独立したものとしてだけでなく、身体性とその内面を強く意識させるように思えた。
その身体を、物質的な肉体……女性では曲線美の強調や讃歌ではなく、主体としての自己を物質的に象徴しているものの様に感じた。

グラフィックデザインも含め、全く古さを感じさせない。研ぎ澄まされた本質のよう。
時代の流行を積極的に取り入れる主流(ありがち)なデザインではなく、アートだった。

ただただ圧倒される。
石岡瑛子女史のエネルギーに……
展覧会の会場で、作品の世界観の多様さに。
展覧会カタログを読むと、石岡瑛子女史の探求心、挑戦する(FEARLESS)姿が読み取れる。
特定の媒体に留まらないこと、細かな校正・指定をしているところ、そのために沢山のリサーチ(調査、学習)を行い自身の血肉としてからアウトプットしている事……展示物からも、その後読んだ石岡瑛子女史に関する本からも垣間見える。常に臨戦態勢、邁進している姿だった。

展覧会カタログやその他の本に目を通していると、男女平等、グローバリズムの精神といった一貫した姿勢を感じる。
男性が多く主導権を握っている当時の社会で描かれる女性像、その時代の風潮ににじみ出る「女性なのに/女性だから」への反骨精神。
世界をまたにかけて仕事をする中で日本的な要素は入れていないはずなのに「日本人的な」と言われ訝しむ(無意識の日本人的感性がにじみ出ているのだろうか?わからない)。
“女性の感性”“日本人的なるもの”を否定しているのではない。それらを包括し越えた、もっと俯瞰……というより本質的、普遍的なデザインを探求している。

それが石岡瑛子女史の創作のテーマだった。“TIMELESS(時代を超えて・時に流されず)”というキーワード。一朝一夕で表現出来たり、たどり着くものではない。表現するために探求し、吸収し、血肉にしないと……この展覧会のタイトル通り、血、汗、涙のようににじみ出てデザインにならない。

  1. 石岡さんは、全部の資料を保管する人だったんです。例えば、打ち合わせの細かい資料も保有していたし、電話の通話も全部録音してあるんですよね。仕事上フリーランスで戦っていたので、記録を残すことが重要だった、という側面もあると思います。でも、保管されていたものを見ていると「誰かが後で、自分の展覧会をやってくれるのを想定していたのかな」と思う瞬間がありました。

    【インタビュー】血が、汗が、涙が、デザインできるか——"コラボレーション"の生みの親 石岡瑛子が貫いた「集団での強い女性像」2021年01月09日 20:01 JST
    https://www.fashionsnap.com/article/eikoishioka-curator-interview/

  2. レニ・リーフェンシュタール(Wikipedia / 日本語)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/レニ・リーフェンシュタール
参考文献

河尻亨一『TIMELESS石岡瑛子とその時代

TIMELESS 石岡瑛子とその時代

TIMELESS 石岡瑛子とその時代(文・取材:河尻亨一)
http://eiko-timeless.com/
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