映画『ガルム・ウォーズ(原題"Garm Wars: The Last Druid")』感想

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映画『ガルム・ウォーズ』
公式サイト:
http://garmwars-movie.com/

undefined映画に限らず、他作品についても盛大にネタバレありundefined

映画の感想というより、押井監督映画論になってしまった……

あらすじ

遥か古代、戦いの星アンヌンには、創造主ダナンが作ったクローン戦士“ガルム”が生息していた。
ガルムはたとえ命を落としても、その個体の記憶をクローンの脳に転写することで、何世代も生き延びることができる。
ダナンが星を去り、3つの部族が覇権を争う日々が続くアンヌン。
ある日、それぞれ異なる部族、コルンバのカラ23、ブリガのスケリグ58、クムタクのウィド256が戦場で出会い、「ガルムの真実」を探る“巡礼”の旅に出る。

感想

王道の神話物語だった。

神話に準え、ラグナロクの幕開けで映画は終わる。
結論の無い、すなわち終わりの無い物語は、いつもの押井監督作品だと思った……(恍惚)
リドリー・スコット監督の映画『プロメテウスが公開された今となっては、目新しいものでは無いかも知れない。

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神話

北欧神話やケルト神話のモティーフが随所に散りばめられ、物語を補完している。

神話の醍醐味は、古代人の「人間は、世界は何処から来たか?」という哲学的な思考と、英雄的行為――試練を乗り越え成長する通過儀礼を疑似体験することだ。
神話体系や英雄譚の定型に沿って、(登場人物たちにとっての)日常から脱出し、冒険し、帰還する。
それは登場人物の成長であり、帰還することで故郷に世界に新しい風を吹き込む。

ガルム・ウォーズ』では、故郷を失った者、老賢者、任務となりゆき?で同行する事になる戦士――つま弾きにされ逸脱した者たちだ。 それはクローンの不変・くり返しの延長から、逸脱により「個」であることを強くする。
自らを由として 行動することを許された人々は、自らの起源(ルーツ)を探る巡礼の旅に出る。

そして主人公・カラ23は己のルーツとアンヌンの真実を得る。

成長――不変の存在から人間へ

彼女の成長は、人間性の獲得、涙する事だったのかも知れない。
キアクラが襲撃された時の自身のクローン達の死や、森でスケルグ58が死んだ時ですら、それまで一滴の流されていなかった。
最後の最後にその描写がある。 辿り着いた真実に対する悔恨、それら全てに対して。

コルンバとブリガ(とそれに隷属しているクムタク)の戦争は終った。 そして戦う相手が変わった。
また、戦う使命ありきから戦うのではなく、滅ぼされないために戦うという動機にシフトした。
最終局面は 古エッダ「神々の運命(Ragnarøk)」の情景そのままだった。(※1)

押井監督らしさなのか、込められた皮肉だろうか……
生き生きしているのが生身の人間や自然ではなく、年季の入った戦闘機たち。
鳥のように舞う艦載機や、縦横無尽に走る戦車の戦闘シーンは格好良い。
空母キアクラ
有機的なフォルムや躍動感溢れる動きが生物的であるだけではないと思う。
登場人物、人間の少なさが戦闘機の生命感を強くしているのもあるだろう。
かつ、戦闘シーンはあるものの、人間が血を流す描写は乏しい。 戦争で人が死ぬリアルに乏しい気がした。
……否、観る側である私が、スティーブンスピルバーグ監督『プライベート・ライアン』やジェームズ・キャメロン監督映画『アバターなど戦争描写が生々しい映画などを観慣れてしまったためだろうか?
そもそも、神話に対してそうしたリアルを持ち込んではならない気がした……

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そして、それ故に、カラ達(クローン)が不変的な存在(「私が死んでも代わりがいるもの」)であり、個人ではなく個性のない群体である印象が強かった。

だからこそ、カラ23の涙は象徴的な意味を持つ。

ジェームズ・キャメロン監督の映画『エイリアン2』のアンドロイド“ビショップ”役から、同シリーズとイメージに欠かせなくなったランス・ヘンリクセンが老賢人・ウィド256を演じていた。 貫禄か、彼の演技――賢者としてだけでなく、野心と挫折、人間的な弱さがあることを感じさせる――が物語に重みを持たせる。

不変的な存在から、人間的なものへと(個でありたいと願う、感情の起伏があり、変化する等)。

にもかかわらず、創造主ダナンはそんなものは求めておらずガルム達は生きるに値しないものと、ダナンの言葉を預言するドルイドのナシャン666は宣言する。

五代ゆう『クォンタムデビルサーガ アバタールチューナー』とそれを元にしたゲームとの相違を思う。
仮想空間の戦闘AIデータだった登場人物たちが人間性を獲得し、楽園――自身らを創りだした崩壊寸前の現実世界にまで至り、生きる意味を問い世界を救うに至る物語だった。

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虚ろなるものから真実へ 闇の中から光のもとへ……
という理想郷の行のようには行かなかった。
あるいは、小説版『アヴァロン――灰色の貴婦人』のように、仮想現実を超えた先にある、現実への帰還にも……

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オマージュ、アンチ、あるいはファンサービス?

それ以外に、随所に他監督作品へのオマージュのようなものが見受けられる……

防衛システムの巨人は外部電源で動いており、その電源ケーブルの形状はどう見ても『エヴァンゲリオン(以下、エヴァ)』のアンビリカルケーブル、巨人は『エヴァ』であり『風の谷のナウシカ(以下、ナウシカ)』の巨神兵だった。

思えば、三幕構成だったのも『序破急』を意識しているのかも知れない。

著書『世界の半分を起こらせる』でも2人の監督を解釈していたし、観ている側もそれを意識せずにはいられない。

世界の半分を怒らせる

私が宮崎駿監督の作品で好きなのは、『ナウシカ』然り、その自然描写と讃歌だ。
それに似て、この映画でも戦闘から離れ巡礼の旅で自然に触れるが、登場人物たちが直接、命の尊さや命の循環に触れるヴィジョンを、観ている者は得ない。

カラ23はカモメが卵を産み、育むのを見たと語る。
それは彼女の言葉だけで、カラ23の心の動きに関する言外な表現はされない。

森に入っても、そこに満ちている命の豊かさには触れず、カムフラージュや迷宮の様相が強い。
映画『アバター』にもあったような、自然の、命の讃歌が無かった。(単純に割愛したのか、アンチ宮崎監督的な意図か?)

真実を知り、涙するカラ23は天を仰ぐ。
天の彼方に輝く蒼い星・ガイアはまさに地球のよう。この世界、衛星・アンヌンは月面の実験場だった……

その世界設定に冲方丁『ばいばい、アース』を連想する。
多くは語られていないが、『ばいばい、アース』の舞台である“パーク(国)”の前身は人類が月面に創られた遊園地で、人類が地球を棄てた後の遠未来だった。
この世界、パークの住人たちは人類(パークの人々からは「滅びし神々」と呼ばれていた)にとって遊園地のキャラクターにすぎなかった。
あの物語も世界観が北欧神話をモティーフにしていた。

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冲方氏が今、『攻殻機動隊 arise』の脚本も務めているので、集合的無意識のような関連性を見出してしまった。

押井監督作品の闇鍋?

映画を観ていて、押井監督の集大成というより、今までやったものを混ぜてみた粗削りの状態で、試み的なものであると私は感じた。

過去の押井作品にあるディテールがこれ見よがしに現れるため、過去作のイメージとリンクする。
 集大成なら、ディテールは過去作をそう露骨にではなく、もうちょっと洗練させてもよかったのではなかろうか……?

他にも実写作品はあれど、北欧神話をモティーフにした世界観と、“永遠に戦い続ける戦士たち”は『アヴァロン』と『スカイ・クロラ』のよう。

クローン技術による“変わらない日常”は『スカイ・クロラ』を思い出す。
ウィド256が連れていた、ドルイドのナシャン666のは、恋月姫の人形のような顔立ちで『イノセンス』公開時に催された『球体関節人形展』との関連を思い起こさせた。

前売り特典映像

前売りにはDVDが付いていた。
ガルム・ウォーズ』の原点である『G.R.M』パイロット版(1998)だった。
映画『ガルム・ウォーズ』前売り特典DVD
劇中に出てきた空母・キアクラの船体や格納など、デザインも動きもそのままのセル画だった。

そこで描かれていた『G.R.M』の話の筋は大体同じだが、“巡礼”の旅を始める動機が若干異なるようだった。
間近に迫った破滅の時を回避するため、手を組み、自主的に出発する。
しかし彼らが見つけ出した創造主は、破壊神だった――
この物語も布石に過ぎず、それはアンヌンからガイアにも関わる物語になるという。

ガルム・ウォーズ』ではガイアへの布石は無かったので、そこが大きな違いになるだろうか……
アンヌンに生きるガルム達は、アンヌンでしか生きられないのか、そして生き延びるためには巨人の群れ(マラーク)を滅ぼし尽くさねばならない…… だがエンディングには、ラグナロクの様に相打ちの予感しか無い。

この前売特典から鑑みると、『ガルム・ウォーズ』は原点回帰だったのかも知れない。
アンヌン(Annwyn)」とは、「アヴァロン(Avalon)」のブリタニック語に相当する。
G.R.M』は『アヴァロン』(2001)よりも前に作られた企画なので、実現できなかったものの派生だったのだろう。

前述にも関わるが、パイロット版が製作された頃であれば、斬新だったのだ……
それは押井監督ご本人も認めている。(※2)

『エルゴプラクシー』との類似性

上記、前売り特典映像や実験的映画と絡むのだが、『エルゴプラクシー』(2008)がよく似ていると思った。

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荒廃した世界で社会からつま弾きにされた人物たちが、己の故郷(ルーツ)を目指して帆船に乗って旅をし、結果として世界の真実をも目の当たりにする。

シチュエーションもさることながら、その帆船が『G.R.M』に出てくるものに似ていた。

完成に至らなかった作品が、他の作品に影響を及ぼしていた――映画『ホドロフスキーのDUNEを思い出す。
素晴らしい企画を立ち上げながら製作中止になった、幻のSF。
その時の企画書は映画会社に残され、後のSF大作に大きな影響を与えた(のではないか)、というもの。

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存在理由、己の起源の探求の物語という、単に時代の空気がそういうものだったのか……
製作サイドで繋がりがあったのかも知れない。これは私には知るよしも無いことだが。

実験的映画

キャッチフレーズは、日本の映画業界に向けてのメッセージだった。

「日本人にファンタジーが創れるか?」

過去に原作コミックを実写化した映画への皮肉か?原作さえ越えられない改変が殆どで、原作のファンからブーイングが起こるイメージが強い。
業界の体質か人件費的な問題か、日本以外の世界観設定の作品にもかかわらず、日本人以外の俳優起用が乏しい。

それを考えると、オールポーランドロケ作品だった『アヴァロン』は、画期的だったという事か……!!

『ガルム・ウォーズ』はカナダでロケを行ったという。
海外ロケというと、お金がかかりそうな印象があるが、「タックス・クレジット」という、‘カナダ国内で現地の労働者を雇用し撮影された映画に対して、その地で消費された製作費の30パーセント前後を政府が負担してくれる制度(※3)’を用いて製作した模様。

本当に作りたい映画を造るとはどういうことなのか、また、映画誘致と地域産業のビジネスモデルとしても興味深い話だと思った。

音楽

音楽が好みだった……!
アヴァロン』のように荘厳で、『GHOST IN THE SHELL:攻殻機動隊』のような古代の、民俗音楽風の響きが……
さすが、川井 憲次氏。
ケルト風の音楽を露骨に出さなかったのは意図的か……北欧神話とケルト神話は異なるので、それは当然か。

久しぶりにサウンドトラックを買いたいと思ったが、劇場でも通販でも、音楽ストアでも売ってないようだった……何故?

これは、Blu-rayの特装版に付いてくるとか、そういうことなのだろうか……?(期待)

  1.  神々と死せる戦士たち(エインヘリャル)の軍は皆甲冑に身を固め、巨人の軍勢と、ヴィーグリーズの野で激突する。
  2. 『GARMWARS ガルム・ウォーズ』押井守監督 単独インタビュー
    http://www.cinematoday.jp/page/A0005000
     シネマトゥディ (2016/6/15確認)
  3. 『ガルム・ウォーズ』パンフレット PRODUCTION NOTES
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