映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』感想
公式サイト
http://www.starwars.com/films/rogue-one
http://starwars.disney.co.jp/movie/r1.html
スター・ウォーズファンには堪らない、小ネタが満載!
- 星雲かと思って見ていると、実はそれが人工の光で、恒星の光が当たって姿を表すスター・デストロイヤーとデス・スター。今までにない威圧感……(ゴクリ)
- ジョージ・ルーカスっぽい(笑)てっきり、カメオ出演したのかと思った……(※1)
- 反乱軍(同盟軍)がその性質(共和制)から、なかなかまとまらない事はエピソード1~3でも垣間見れたが、今回は帝国軍が一枚岩ではない、という描写に重点が置かれている。
- ピーター・カッシング(※2)が提督として、フルCGで再演!
オープニングの文字列は無かれども、細かいところにちゃんと往年のスター・ウォーズシリーズの演出等をあえて踏襲。
J. J. エイブラム監督の前作を、脚本時には絶賛していたのに、完成してみればルーカス監督が気に入っていなかった(※3)ようなことを言っていたけれども、今回のは満足しているのではなかろうか?(※4)
エピソード4で「この情報を得るために、多くの仲間の命が失われました」という台詞が指す物語。
既に全員、死亡フラグが立っているようなもの。
そんなキャラクター達の“生きざま”がどの様なものなのかを見届けたいと思いながら、観る。
都市の情景 / 戦争の場景
様々な惑星に場所が切り替わり、多様な環境、多くの人種が描写されるのも“スター・ウォーズらしさ”を意識させる。
心なしか、映画『ブレード・ランナー』(ハリソン・フォード主演で再び映画化!2017年11月公開!※5)を彷彿させるアジア圏の狭い通路とごちゃごちゃした街並み。
道行く人々の中には、三度笠と浪人笠を足して2で割ったような被り物をした人物がいて、日本人としてはちょっと嬉しい(笑)
アラブ系の民族衣装を彷彿させる服装があるのは、現代らしいと思った。
寺院都市の上にはスター・デストロイヤーが停泊している。
その威圧感――制圧下であること、映画『インディペンデンス・デイ』(1996)を思い出さずにはいられない、不吉な予感。
その下に暮らす人々は日常を続けているようでいて、帝国側のプロパガンダに不穏な雰囲気……(それは今も、どこかの国で起こっている光景なのかもしれない)
そして同盟軍・反乱軍のゲリラ戦が起こる。
エピソード5にて登場した全地形用装甲歩行兵器AT-ATが、再び登場。歩兵にとって厄介であることと、X-WINGの活躍。
雪原ではなく熱帯雨林であることは、ベトナム戦争をイメージしてしまう。
第二次世界大戦以降の戦争の姿がそこにあった。
補足すると、現代で問題視されている“自爆テロ”は起こらない。
それは自爆テロが“非戦闘員を巻き込むことで、日常に恐怖を与える”ことであり、“戦闘員同士が戦う非日常空間”とは目的と手段が異なるため、明確に線引きしているように、私には思われた。
抑圧された子供の“昇華”
昨年のエピソード7、映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』について、私は主要な登場人物たちが“抑圧された子どもたち”であることが気になった。
それが旧三部作(エピソード4~6)の主人公・ルークとの大きな差であるとも。
今回の主人公・ジンもまた、戦渦によって両親を失い、過酷な逃亡生活と虜囚生活を余儀無くされた少女だった。 彼女は父親のメッセージと今際の父との再会で、父親へのコンプレックスを“昇華”させることができた。
この気持ちの変化――“昇華”こそが、人の心を、行動を前向きにする。
それが周りに影響を与え、はぐれ者(rogue)の寄せ集め部隊が困難な作戦を遂行する。
ジンの切羽詰まった想いと力強い言葉に動かされ、物語の後半に絶望的な作戦に参加する心境について丁寧には描写されない。
それは反乱軍の情報屋で、行動を共にしていたキャシアンが象徴するのだろう。
ジェダイがいない世界
エピソード3にてジェダイは壊滅し、オビ・ワンもヨーダも雲隠れしているため、この世界にジェダイはいない。
しかしその“気配”を感じさせる(フォースか?)キャラクターが登場し、どこか哀愁と希望を感じさせるキャラクターとなっていた。
盲目の棒術の使い手・チアルート。(モデルは日本の『座頭市』とも。)
ジェダイに憧れ、その素質もあったであろう僧兵は、ジェダイではなくてもただフォースを信じて(それを感じて)行動していた。
彼の杖の先端が、ライトセーバーの柄を彷彿させるデザインなのは、気のせいだろうか……?
「フォースと共にあらんことを」
その言葉だけではフォースを扱うわけでもないので、形骸かもしれない。
ジェダイではない人々が、その意思を語り継いでいる。
旧三部作からは、祈りの詞のような、常套句のように使っている。その事への布石のようなエピソード、キャラクターだった。
失われる命
登場人物の殆どに死亡フラグが付いている訳だが、人間の死が生々しく描かれることはない。(年齢制限ないし、ディズニーの傘下のため?)
ただ、その死の描写はドロイドのK-2SOに集約されている。
多勢に無勢の中、文字通り孤軍奮闘し、生きている人間を信じて、希望を託して破壊される。
胸に空いた大穴が、心臓のないドロイドに死を印象づけていた。
それは引き継がれ、終盤の命のリレーは、死というものの呆気なさと、それでも人が諦めず意思を繋いでいくことを端的に表していた。
それにしても、ギャレス・エドワーズ監督はハリウッド映画3作目にして、スター・ウォーズシリーズの監督を勤めるとは……スピンオフ作品とはいえ。
どれだけ期待されているんだ……!
2014年映画『GODGILLA』では、まさかの“怪獣対決をハリウッドスケールで作り上げた。
しかし“ハリウッド色”を全面に押し出すのではなく、往年のゴジラファンが“見たいもの”を理解して描き出していると思う。
王道を踏まえつつ、独自性を醸し出す。
家族愛もアクセントとして入れ、第二次世界大戦以降の戦争、911や311を彷彿させる描写、さらに(ギャレス監督が影響を受けたであろう)他映画のオマージュを織り込んでいた。
そんなギャレス監督に白羽の矢が立つのは、至極当然のことだったのだろう。
今までのスター・ウォーズシリーズのイメージを崩さず、かといって懐古趣味ではない作品を作る可能性がある監督として、見込まれたのではないだろうか?
もう既に“スター・ウォーズがある時代”に生まれ、それに影響を受けて育った世代が映画監督になっている。
「だからオリジナルが作れない」と言われかねない世代だが、「影響を受けた作品の良さを解っている」世代でもある。
これがこの世代の強みだと思った。
表面的な二番煎じではなく、よく吟味された表現にを可能にし、時代に合わせた表現と監督の“独自性”を織り込めるのではなかろうか。
それを庵野監督の映画『シン・ゴジラ』からも意識させられた。
昨年末に急逝したレイア姫役のキャリー・フィッシャー女史……ご冥福をお祈り申し上げます。
波瀾万丈な人生だったそう……
次作エピソード8の撮影は終了しているとか、今回の急逝を受けて脚本変更して撮り直すとも伝えられている……
個人的には“女性原理的なるもの”を発揮して、抑圧された子供達の苦悩を解放へと導く存在、女神的なリーダーシップを発揮すると思っていたのだけど……残念。
本編がどうなるのか、期待と不安と共に、楽しみだ。
- 映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のカメオ出演とシリーズのつながりまとめ|ギズモード・ジャパン(2016/12/20)
http://www.gizmodo.jp/2016/12/rogue-one-cameos.html (2017/1/21 確認) - ピーター・カッシング(Wikipedia 日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピーター・カッシング (2017/1/21 確認)ローグ・ワンに隠されたトリビア&秘密まとめ – 映画の秘密ドットコム(2016/12/17, 2017/1/10リライト)
https://www.eiganohimitsu.com/3141.html (2017/1/21 確認) - ジョージ・ルーカス、『スター・ウォーズ』を「奴隷業者に売ってしまった」発言を謝罪 – シネマトゥデイ(2016/1/4)
http://www.cinematoday.jp/page/N0079259 (2017/1/21 確認) - ジョージ・ルーカス、SW『ローグ・ワン』を気に入る! – シネマトゥデイ(2016/12/7)
http://www.cinematoday.jp/page/N0088082 (2017/1/21 確認) - Blade Runner 2049 – Internet Movie Database (English)
http://www.imdb.com/title/tt1856101/ (2017/1/21 確認)