映画『GODZILLA』感想

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公式サイト:
http://www.godzilla-movie.jp/

元祖『ゴジラ』を損ねない、良い映画だった。
同じ"Legendary Pictures"『パシフィック・リム』とは違う怪獣映画だった。
パシフィック・リム』のKAIJUは日本とアメリカの価値観をハイブリッドしたものであったが、GODZILLAはゴジラであった。
ゴジラが、日本が体験した自然災害や戦争の脅威を象徴するものである事を、念頭に置いて製作された事が伝わってくる。

911-311

津波の描写にどうしても東日本大震災を思い出してしまう。
そしてビル倒壊に同時多発テロを。
この事件と災害を受けた当時、『ああ、映画の表現が変わる』と思った事を覚えている。然り。
建物から舞い散る書類、倒壊によって押し寄せる粉塵……
一気に水が引き、津波となって押し寄せる。
水圧で硝子戸にヒビが入る描写や、建物を縫うように侵入する水が渦となり人や車がもまれる様――
思い出さずにはいられない。

主役は怪獣 無力な人間

災厄にあい、生き残るために立ち回る民間人や、強大な敵を斃すために戦う英雄に主役としてのスポットライトは当たらない。
混乱に陥った人間の愚行でさえも。
人間は右往左往するだけで、怪獣らから完全に無視される。
これが元祖『ゴジラ』との相違だと思う。

興味深いと思ったのは“画面越しの惨事”の描写が所々にあった事だ。
ニュースの速報やライヴ映像、民間人がYouTubeやSNSを駆使して、動画をリアルタイムで共有しやすい時代。
そのリアルとはどういったものかを考えてしまった。

アメリカ人は911を、日本人は311を肌で感じた。
あの時、他国の人々はそれを画面越しに知ったのだ。

子供がテレビの画面越しに怪獣が街を破壊し、GODZILLAが闘う様を見ている。
同時に、画面越しで怪獣同士の格闘技を見る風景は、日本の特撮映画そのままだとも思った。

反戦・反核兵器

アメリカで公開された時、ガーディアン紙は酷評(※1)していたようだが、私は反戦、反核兵器の意図も垣間見る。

通常兵器は怪獣に対して有効打にならない。
人類史上最強・最悪の兵器は餌にしかならず、切り札的に残った最後の一発は怪獣殲滅にも使えず、沖合で爆発する。
主人公が持つ爆弾解除のスキルが活かされない点も興味深い。それにより主人公は目立った英雄にならなかった。

銃や核兵器に留まらず、戦争の無意味さを悲壮感とは違う切り口で表現しているのではないだろうか?

これに関連しそうなギャレス・エドワーズ監督のインタビューが、シネマトゥデイに掲載されている。

「わたしがとても誇りに思っていることなのですが、主人公は軍の人ですよね。本作ではアメリカ国防総省の協力を得ているのですが、主人公は劇中で銃・兵器を使っていないんです。手に持ってはいるけど、発射はしていない。発射した人はみんな死ぬ。発射しなかった人だけが生き残るんです。これって潜在的なものかもしれないけど、ものすごくいい教訓じゃないかと思っています。でも、誰も気付いていないかもしれない。みんな気付くと思ってやったのですが(笑)」(ギャレス・エドワーズ監督)

『“ゴジラ大好き”ギャレス・エドワーズ監督 公開後だから明かせる超マル秘裏話!』
http://www.cinematoday.jp/page/A0004228

無視され、無力な人間。
映画『エイリアン』にもあった、人類とは地球上で最高に進化した生物ではなく、たよりなくはかない存在であることを如実に表す。

怪獣王

日本の特撮怪獣映画の開祖である『ゴジラ』。
私が敬愛する、ハリー・ハウゼンの『原子怪獣現わる』や『キングコング』にインスパイアされたものだが、独自性を持っている。
『原子怪獣現わる』のように人形をコマ撮りする時間も予算も無いため、着ぐるみを使った事で‘人形アニメなどの手法では表現し得ない圧倒的な重量感の描出に成功している。(※2)’
その重量感と色(モノクロフィルムの黒)には、自然災害や戦争等の圧倒的な事象、夜と死への人間の恐怖が込められている。

『ゴジラ』の黒にそうした意味が込められているならば、この『GODZILLA』において恐怖の象徴は“霧”だろう。

冒頭の原発事故では放射能の恐怖を可視化する点でも使われている。(もちろん現実ではそんな事は無いので、余計に恐怖なのだが)
怪獣の襲来に備えている海の濃霧、怪獣たちに破壊された街に上がる粉塵、そして決戦の地では夜も相まってそれは黒く不可視の印象をより強くする。

霧がもたらすのは、視界の先やその中に何かが潜んでいるという、視えない恐怖である。
ただでさえデカくて見えないのに……(笑)
霧はそれを助長する。

言わずもがな、この霧の描写に往年のホラー映画『ザ・フォッグ(原題:The Fog)』(1980)やスティーブン・キング原作の『ミスト(The Mist)』(2007)を思い出さずにはいられない。

ゴジラ-GODZILLA

この英語表記に感心してしまう。
ゴジラという名前、「ラ」の音にアシュラ、バサラ、カルラなど、日本人は仏教に取り入れられた神のイメージを想起する。荒ぶる神のイメージだ。
“GOD"を入れる事で、英語でもそのニュアンスが伝わるのではないだろうか。

映画公開に伴い、様々な『ゴジラ論』が本、雑誌、ネットに挙がっている。
どんなに語られようとも、ゴジラはゴジラである。
時代と共に様々な設定がされ、新しい価値観を取り入れながら。
ゴジラは人間の味方でも、人間と自然の共生を象徴するものでもない。

主人公や渡辺謙演ずる茅沢博士はゴジラと眼が合う。
そこに意思の疎通や共感があったかは解らない。そうかもしれないという人間の思い上がりと、そうでなくてもGODZILLAへの畏敬の念を思った。

おまけ

渡辺謙演ずる茅沢博士は『ゴジラ』にも同姓のキャラクターが出てくる。
しかし下の名前は「猪四郎」と、『ゴジラ』の本田監督の名前に変わっていた。
知っている人は思わずニヤニヤしてしまう、小ネタ。

  1.  『ゴジラ』好スタートも、欧米メディアは酷評 “日本版の風刺が滑稽なほど弱まっている”
    http://newsphere.jp/entertainment/20140519-2/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=facebook&utm_campaign=20140519-2
  2.  『僕たちの愛した怪獣ゴジラ 』 学研グラフィックブックス p.13
    僕たちの愛した怪獣ゴジラ (学研グラフィックブックス)

参考文献
Pen (ペン) 2014年 7/15号 [ゴジラ、完全復活!]
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