映画『シン・ウルトラマン』感想
2022年過去日記、絶賛消化中…
庵野監督が『ウルトラマン』の新作に関わると聞いた時、「ウルトラマンになりたかった男が遂にウルトラマン公式を撮る!夢が叶うなんて素敵な事!」と思った。
『シン・ゴジラ』(2016)の初代『ゴジラ』(1954)へのオマージュと東日本大震災とその後の原発問題をはじめとする影響による、日本人の共通体験・認識と現代(時代)性を反映し、キャッチコピー通りのリアリティと特撮のフィクションのハイブリッドを見事にまとめ上げていた点に、惹きこまれ感動した。私が観に行った映画館では、最後に観客席で拍手が上がった。
そんな前例があるので、プロレスを取り入れた特撮『ウルトラマン』をどんな風に洗練させるのか、期待値が高かった。
予告編から鑑みるに、また自衛隊が全面協力しているようだった。しかし『シン・ゴジラ』で自衛隊の指揮系統・運用はよく描写されていたので、同じ肉からハムを切り出すのでは当然観客は白けてしまうだろう。
『ウルトラマン』のどの要素に着目し、庵野監督の昇華が加わるのか。
それが楽しみで仕方なかった。
観終わった後、ウルトラマン(光の星での名はリピアと言うらしい)の自己犠牲にカタルシスを得るものだった。
ブッダでありキリストであるウルトラマン
ウルトラマンは何を人類にもたらしたのか。
それは「アガペー(神の愛)」だと思う。
銀色の巨人は神永が少年を庇った――自己犠牲――ことで人間に興味を持つ。
他人のために自分の死を厭わなかった理由を知りたくて、神永と同化したウルトラマン。
本を読んでみたり、神永を通して人間と関わり、怪獣だけでなく他星人の介入から、その利他的な精神を理解してゆく。
怪獣による危機もさることながら、ザラブ星人やメフィラス星人による人類への搾取に対して、いかに対抗するかを考えるウルトラマン。
まるで“人類をいかにして救うか”を考え続けている弥勒菩薩だ。
その意図は成田亨(※)氏によるウルトラマンのデザインからも見て取れる。
口角がうっすら上がっているような微笑のように見える口元は、天平文化を代表する弥勒菩薩像にみるのアルカイック・スマイルのそれだ。
そしてそれらの脅威を退けたが、今度は同族のゾーフィが光の惑星の決議で俯瞰視点から極めて客観的かつ合理的にされた判断に対し、忠実で容赦なく地球ごと滅ぼそうとしてくる。
それに対し、ウルトラマンは人間の未来の可能性に希望を持ち自己犠牲を厭わずゼットンに立ち向かう。
それは自己犠牲――“人間を救うため”に十字架に磔になったキリストの姿――だった。
そういえば『エヴァンゲリオン』シリーズは主にキリスト教のオカルト要素満載だ。
私は時代を反映してそうしたものが組み込まれていると思っていたが、これらも過去の『ウルトラマン』シリーズに存在したキリスト教のオカルト要素を踏襲したものだったようだ。
『ウルトラマン』のデザイン
ウルトラマンと怪獣のデザインには、秩序と混沌
秩序
しかし混沌
それらを踏まえると、『シン・ウルトラマン』に出てくる星人のデザインは面白い。
明確な悪意を持って近づいてきたザラブ星人は背面やまるで内臓が存在しない造形で混沌
次に接触してきたメフィラス星人は、人類をリスペクトしながらも自身の利益を優先している。刷新されたデザインはシンメトリックで美しい。ウルトラマンと同様の知性を感じさせながら、対の存在(ライバル)であることを意識させた。
怪獣と星人たちのデザインと込められた意思
『シン・ウルトラマン』では、段階的に脅威の種類と難易度が上がってゆく。
『シン・ゴジラ』の巨大不明生物・ゴジラが天災に核、人間の愚かさなどを象徴する破壊神であるのに対し、禍威獣たちは廃棄された威力偵察用の生物兵器に過ぎなかった。
突然降りかかる火の粉に対処する中で、禍特対(人間)は怪獣の存在理由を知る由もない。
作中は似た形態
それに続くのは明確な悪意や思惑を持って人類に近づく星人たち。
人間と同じ、知能を司る器官(頭)が身体の上にあり二足歩行をする生命体。
形状が近いこと、意思疎通が可能なことから、禍威獣とは違い交渉をもって有益な方向に持ってゆくことができるのではないか……
そう思って外交を持とうとする人間(の政治家)達。
そこには人類間での――国際的――優位に立ちたいという思惑がある。それが外交だ。
しかしそんな上手くいくわけがない。外交下手に定評がある日本。その根本原因は、日本は“相手が自分たちの思惑通りに事が運ぶと無意識的に思っている/願っている”ためだ。特に先の戦争での無謀な海外展開や日米開戦が示すように。最も、これは軍人や政治家云々に留まらず、ミクロな国民レベルでもそうだと思う。
話を『シン・ウルトラマン』に戻そう。
ザラブ星人は“情報”を提供するにとどまり、人間と比べると圧倒的な電子技術・ネットワーク技術力の優位性を持っている。
あからさまな不平等条約を提案し、密約をリークする事で人類の相互不信によって支配しようとする。二枚舌外交。
……明治維新で日本が感じた――不平等条約締結や欧州によるアジア圏の植民地化――恐怖を彷彿させられた。
次に現れたメフィラス星人は“ベータボックス”(人間など生命体を巨大化できる。)の技術提供を示唆し、相互にWin-Winの関係を築くような素振りを見せながら、実態は人間を“資源”と見なしており、その技術力を有している事を理由に自身の庇護下に置くという支配を提示する。
……敗戦した日本が(タテマエ的ではあるが)武力を放棄し、アメリカの(核の)傘下に入る事で国防とした現在日本。(平和憲法は2つの大戦で疲弊した国連の理想だけれど、現実はそんな綺麗事で成り立たない)
それに対しウルトラマン
そして光の星(M87)からの使者。
ウルトラマン
メフィラス星人が持つベータボックスと同じ技術を更に小型化したベータカプセル(ペン型)にしてしまう、光の惑星の科学技術力。圧倒的なその差。
光の惑星からの使者 > メフィラス星人 > ザラブ星人 > 【越えられない壁】 > 人間
という力関係が垣間見れる。
自分たちの技術力を凌駕する光の星の使者が二人もいる。敵対して勝ち目が無いのは目に見えているので、ゾーフィの姿を確認したメフィラス星人が撤退したのもうなずける。
最も技術力が高い光の星は(外星人との同化が可能、生物兵器としての転用可能、知性が高度化する可能性がある)人間の存在を未来への脅威と判断し、恒星系ごと滅却させる天体制圧用最終兵器・ゼットンを放つ。
アガペー
この後のウルトラマンの対応に「アガペー(神の愛)」を想起させられた。
単身立ち向かうウルトラマンは、その圧倒する火力?に敗北する。
しかし、ウルトラマンは人間を“信頼”し、一つのヒントを託していた。
ベータシステムの基礎理論を、人類が分かる式に落とし込んだ論文。
メフィラス星人のように既存のシステムそのものではなく、人類がいずれベータシステムを自ら用いれるようになる事に“希望”を託していた。
そしてゼットン戦をその布石として。
人間が無力で保護が必要な存在と“見下す”のではなく、光の星の高度な物理学情報を人間でも分かるようにわざわざ落とし込んでくれた。
まるで悟りに至る道を説いた般若心経、神の愛とは何かを記した聖書のように。
『シン・ゴジラ』では牧博士が遺したヒントを基に、世界中のスーパーコンピュータの演算能力を結集し、ゴジラを凍結させる凝固剤の作成を進める。
武力(兵器などの正面装備)ではなく、技術力で抑える、という発想が日本的(ハリウッド映画的ではない、くらいの意味)だと思った。世界中の演算能力を使う、独力でない所も。
それに似て、物理論文を通して人類の英知を結集しそれをもってゼットンに対抗する手段を立案する。
それを踏まえて“手を貸す”ウルトラマン
上から目線で強要するわけでもなく、同じ目線にわざわざ立ってくれている。
これがアガペーでなはないかと……アガペーを分かりやすく体現しているのではないかと思った。
他、文章にできなかった小ネタ
組織のリアリティ
私は公安組織について全く知らないので、リアリティ云々につては分からない(結構、機密的な部分にも関わりそうな世界だから、あまりオープンじゃない分野だろうし)。
だが公務員の文書管理で電子文書がクローズでバックアップなしだったため、ザラブ星人の来訪した際の副作用で電子データが消失した時の悪態。
そういった公務員のリアルについてはクスッとさせられる描写が面白かった。
安定した構図
前述したウルトラマンのデザインにも通じるが、画面全体の構図はものすごく安定していた。
全体的にシンメトリック(対)なのだ。
画面構成では、画面中央に配される登場人物、画面を斜めに切っていくように飛行するウルトラマンの姿、メフィラス星人との戦闘でのウルトラマンとの蹴りのぶつかり合いなど。
ウルトラマンのデザインを中心に、そのシンメトリックが暗示する秩序
人間ができない動き
昭和の特撮技術をCGで表現していることが、興味深かった。
地下核廃棄物貯蔵施設での禍威獣・ガボラとの戦闘の際、みぞおちあたりを中心に回転しながら蹴りを入れるのだが……初見では古臭さを見せられた驚きが大きかった。
しかし、あの人形を吊って回転させた動き(漂う昭和臭!)はリスペクトであると同時に、“人間ではできない動き”を体現するもののように思えた。
減速して自然に着地するのは現代のCGでなければできない表現。まさに温故知新だった。
においの話
プランクブレーンに隠されたベータボックス回収のため、浅見分析官のにおい(体臭)を追跡する話。
その事に気づいたメフィラス星人は「変態行為」と言っていたが……
においは動植物が使う汎用的な情報伝達ツールだと思うので、言語による伝達とは異なるからとはいえ、一概に変態行為に一括りにするのはどうなのか……確かに快不快に直結するけど。
もしかしたら嗅覚に関連する情報伝達手段を主とする知的生命体がいるかもしれない。これは『シン・ウルトラマン』関係ないけれど。
シン・ウルトラマンの本棚
映画公開時『広辞苑』と『野生の思考』が話題になっていたが、平積みされた他の本は一体何に目を通していたのだろう…
特徴的な表紙が多く、印象としては日本十進分類表の1.哲学・宗教に相当する分野を読んでいる気がする。特徴的な表紙のものを読んでいたし…表紙から総当たりしないと、何を読もうとしていたかわからない……いい感じに背表紙タイトルが解読できないようにぼかされていた。
平置きされた本の中で、一番上にあった本のタイトルは分かるものがあった。
- 須賀敦子、藤谷道夫:訳『須賀敦子の本棚1 神曲 地獄篇』
購入はコチラ - 秋保 亘『スピノザ 力の存在論と生の哲学』
購入はコチラ - コンラート・ローレンツ『攻撃 悪の自然誌』
- “Mr. Locke’s Essay Concerning Human Understanding" / ジョン・ロック『人間知性論』
元は洋書。出版社、出版年不明。 - “The Economic Consequences of the Peace" / ジョン・メイナード・ケインズ『平和の経済的帰結』
元は洋書。出版社、出版年不明。
いつになるか分からないけれど、読破したい。
- 参考文献
- Pen(ペン)2022年6月号[初代からシン・ウルトラマンまで ウルトラマンを見よ]
- SFを科学する 研究者が語る空想世界 (別冊日経サイエンス no. 254)
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