『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』-東アジア文化都市2019豊島バージョン-

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:舞台鑑賞

『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』-東アジア文化都市2019豊島バージョン- パンフレット
公式サイト:
https://spac.or.jp/2019/mahabharata_toshima2019

池袋西口公園 野外劇場のこけら落とし公演。

当日、野外劇場で生憎の霧雨という……
何という受難かと思ったが、神さまが厄払いに雨を降らせてくれたと思えば、何とも理にかなっている。

円形の舞台。その中央に観客。そして周縁で訳者が演ずる舞台仕様。

必然的に見上げる形になり、360度で展開される物語は寺院の壁画や天井画に描かれた神話を眺めているような気分だと思った。

古代インド×平安日本×いまの池袋!という、時代も場所も異なる世界が出会う舞台。

丁度、伊勢神宮では天皇陛下が「親謁の儀」に臨まれていた。和装にそのイメージを重ねたりもする。

とても儀式的な……呪術的な要素が強い。(※1)

演ずるSPAC-静岡県舞台芸術センターの、本来の森の中の舞台であれば、鬱蒼とする木々や夜の黒、もしかしたら満点の星空を背景に、白く浮かび上がる神々や王の姿を見て、その非現実的な光景に恍惚とした雰囲気になったと思う。
しかしここは、都会の真ん中。ネオンや街頭の光がある場所。

この光が舞台の空気を壊してしまうような…物語に集中できなかったらと不安にもなったが、それは杞憂で終わった。

円に相応する空間造形が境界で、都会の“日常”と神話世界の“非日常”を区切っていた。

白を基調とした日本の公家の装束を纏った王と王妃。面をつけた能や歌舞伎を彷彿させる動きの神々。

その面は伎楽面を彷彿させる。敵役の悪魔・カリの面は、迦楼羅や烏天狗などの鳥の顔を思わせた。

賢王、美丈夫と讃えられ、北の王・ビーマの姫で絶世の美女・ダマヤンティーとの結婚も神々から祝福された南の王・ナラ。
その賛辞の言葉に異国感を感じる。特にダマヤンティー妃は「まろやかな尻の女」と讃えられていた。

カリの逆恨みから呪われて賭け事にのめり込み、財産も地位も国も、弟王子に奪われてしまう。
賭け事は互いに入れ合った賽子の総数を当てるというもの。その動きがコミカルで面白い。

賭けるものを無くし、ナラ王とダマヤンティー妃は着の身着のまま出奔。

深い森の中で「置いていかないで欲しい」というダマヤンティー妃の懇願むなしく、ナラ王は彼女を置き去りにしてしまう……

ここからナラ王、ダマヤンティー妃双方の困難が続く。

ダマヤンティー妃は深い森をさまよい(神話・伝説上、森をさまようのは死に等しい)、ナラ王を探すも見つからず。キャラバンの一団に保護される。だがキャラバンが野生の象の群れに襲われて壊滅したり……身分を隠して、何とか叔母にあたる東の王の皇后の下に身を寄せて、分相応の待遇を受ける。
象の襲撃を受けたシーンでは、キャラバン隊が人形劇になり、白い巨象の鼻だけが現れ、小さな人形たちがこの巨象に蹂躙されてしまったことを、誇張された大きさで表していた。

最愛の人を求め、乙女が彷徨い、様々な困難を神々からの寵愛や機転、勤勉な姿勢で乗り越えてゆく姿に、ギリシア神話の『エロスとプシュケ』、『オデッセイア』のペーネロペーのような求婚の条件などを思い出す。

ナラ王は助けた大蛇の助言に従い、身分を偽って西の王・リッパルナの賽子の奥義から授かるかわりに、自身の調馬の奥義をリッパルナ王に伝授するとなったとき、ナラ王に取り憑いていたカリが離れる。

ここでのカリはすっかり道化役だった。『ふしぎな、ふしぎな池袋~ 東が西武で、西 東武~♪』(ビックカメラの歌だった)

後半から現代的なジョークを交えた展開もあり、笑いを誘う。
ダマヤンティー妃が再度婿選びを告知するのが英語を交えたアナウンスだったり、僧侶が胡麻化すのにスマホの着信使ったり……w

ナラ王の顔は戻り、ダマヤンティー妃と再会し、大団円で幕を閉じる。
東西南北の王が揃い、作中に出てきた虎や象など生き物も祝福するフィナーレは 四神、四季など調和のとれた状態や森羅万象の讃歌を意識させた。

演目が終わるころには雨も小雨になっていた。


観劇をきっかけに、『マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯 』を読了。
劇中で語られなかった、国の奪還の結末に、不思議に思っていたことを補完した。

マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯 (岩波文庫)

弟王子から国の奪還をするために、また賽子による賭けをもってリベンジするのかと思いきや、何と諭して玉座を返上させた……賭けも戦うこともせず。
せっかく伝授してもらった賽子の奥義は?と思ったが、『マハーバーラタ』に組み込まれた説話の一説ゆえか。戦わずに勝つ方法とも言える、別の道を提示する。

そしてもう一つ気になっていたのが、肉食問題。
私は漠然とながら、インド神話において殺生や肉食を懺悔するイメージがある。
この物語の中でナラ王は神の祝福として料理の腕――美味しく肉を焼く、調理することができる能力――を賜っている。
舞台でも白い衣装に映えるような、薄切りの赤身肉(霜降り?)を夫婦で食す描写があり、何よりこの調理の技術でダマヤンティー妃は顔が変わり身分を偽っているナラ王その人と確信する。
この物語が成立した時代には、肉食は禁忌ではなかったのだろうか?

その違和感の原因と理由は上記本の解説に解説があった(※2)
インドも時代によって、ある条件のもとで肉食が許されていたり、非難されていたようである。そして『マハーバーラタ』では獣を殺したり、その肉を食することの可否が大いに議論されている模様。そこに確定した答えは無い。理由は肉食の禁忌という価値観が確立される前に編纂されたこと、多様な時代・神話伝説を織り込んだ――闇鍋のような――物語ゆえに、何でもありだったため首尾一貫していないことを指摘していた。

読んだ岩波文庫版では、副題に『ダマヤンティー姫の数奇な生涯 』とある。
翻訳者がまえがきで 『ナラ王物語』の表題にもかかわらず、ここには自由で活潑、しかも幸運に恵まれ、身に降りかかる数多の艱難には、純真さと、賢明な思慮と工夫によってこれを乗り越え、遂には限りない仕合せに達するナラ王妃ダマヤンティーの障害が綴られている と指摘する。

インドにおける卑下されない方の女性像を垣間見た。(※3)

  1. SPAC「マハーバーラタ」 – ワンダーランド wonderland
    http://www.wonderlands.jp/archives/26551/
  2. マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯』解説「肉食の問題」p.186
  3. 【過去日記】抑圧されるシャクティ――インドの女性差別の原因と女性解放運動から思うこと
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