CSS3と文学少女と読書週間
ここ2週間程の出来事を羅列したタイトルは、脈絡が無いようで繋がりを感じた。
それはおそらく「感動する文章」である事だ。
この場合の感動は広義で、漠然としたものであるが。
今までにわか仕込みであったCSS3とHTML5を本格的に書くことになった。
しかし私が書くソースは文脈が成っておらず、迷惑をかけ通しだった…
調べつつ、教えられつつ仕上がったCSS3は見やすく綺麗にまとまっていく。
そしてHTMLのソースが洗練され、文章が主体となっていく。
それを見ていると、
『ああ、これは詩のようなものだ』
と思った。
CSSはHTMLの文字要素と装飾要素を明確に分け、ソースをシンプルにするために開発されたものだ。
文章の読み上げで関係のない"img"や"color"の指定が減ることでソース上の文章としても見やすくなる。
装飾を指定するCSSの中身も、色や画像の指定や規則正しく並んでいる。
それがまるで韻を踏んだ詩のように見えた。
一日中、文字列と睨めっこをしても解消されない
『活字欠乏症』
知人の勧めでライトノベルを今、読んでいる。
『“文学少女”シリーズ』
文学の薀蓄やオマージュが多いという。元の文学作品を知っていると思わずくすりとしてしまうとか。
その第一巻『“文学少女”と死にたがりの道化』を読み進めているのだが、本当に面白い。
太宰治『人間失格』をモティーフにそこに挟まっていた告白の手紙と登場人物の思春期の葛藤や心の傷がリンクする。
文面にも物語の明朝体と手紙のゴシック体の2つが、現実と心象、現在と過去を表現し、それが一連の流れとなって物語が進む。
“読み応え”があった。
ラノベはキャラ萌えが多く、読み応えがあるものが少なく感じていた。面白いと思ったのは妹から勧められた甲田学人氏『断章のグリム』シリーズと冲方丁氏だろうか。それらと並べても良いと思っている。
慌ただしい日々で電車の中で読み進めていったが、気付くと世間は10/27~11/9まで『読書週間』であった。
この時期になると「若者の活字離れが~」とお決まりの文句があったが、最近は電子書籍が注目され、読みものは製本という形を取らなくなった。
「活字離れ」という文言は「製本離れ」になってゆくのだろうか?
ふと思った。
以前、無料のネット書籍で
「プログラミングは文学に成りうるか?」というテーマでの対談を読んだ。
『文学×政治×文化の批評誌「アユラ」02』(無料)
http://p.booklog.jp/book/15875
それでゆくなら、HTML5/CSS3も文学に成りうる可能性があるのではと思ったのだ。
規則正しく並んでいるソースコードが、韻を踏んだ詩のように見えた。
美しいと思い、感動したのだ。
そうして私の頭は冒頭にループする。
とりとめのない話だ。