映画『ホビット』考察 ――竜について

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ようやく日本公開の『ホビット 竜に奪われた王国』が今月末公開する。
海外では昨年末公開だったのに…遅すぎる。

前作は童話的な世界観に惹かれたが、今回はどうなるのだろうか。
原作も読んだが、作中でちょっと面白い樽乗りの部分が、予告編では何やらアトラクションの様な描写になっているようだ。
オリジナル要素も組まれ、レゴラスやオリジナルキャラクター、タウリエルが出てくるらしい。
元々、原作『ホビット』では、女性の気配が皆無だ。前回映画『ホビット 思いがけない冒険』では花を添えるようにガラドリエル(ケイト・ブランシェット)が出ていた。
ロード・オブ・ザ・リング』で原作を尊重した映画を創ったピーター・ジャクソン監督なのだから、覆す事は無いだろう。
心配はしていない。
映画として見栄えの良い仕立てになっているだろう。

いよいよ、邪竜スマウグとの対峙がある。


トールキンはスマウグにどの様な意味合いを持たせているのだろうか?

名前の響きが不思議なので、少し調べてみたところ、
“ トールキンによると、スマウグの名前はゲルマン祖語の動詞 smugan (「穴に押し込む」の意)の過去形である”(wikipedia)そうだ。
はなれ山の地下に溜め込まれた財宝に惹かれたスマウグの性質そのままだ。

竜という、倒さねばならぬ強大な敵。同時に、竜は魅力的な存在だ。
映画公開も近いので、スマウグ、竜について考えた事の備忘録。

『聖ゲオルギウスと竜』など、ファンタジーには欠かせない竜退治の物語。
トールキンは竜に魅了されていたようだ。

想像だけであってもファフニールがいる世界はずっと豊かで美しいのだ。そこがどんなに危険であろうとも。平穏で肥沃な平野に住む人は、人跡未踏の山々や自然のままの荒海のことを聞くと、心底あこがれてしまう。人間の身体はもろいけれども、心はたくましいのである。

妖精物語の国へ 』(ちくま文庫)(p.79)

The dragon Fafnir guards the gold hoard
指輪物語』がイギリスの神話として執筆され、そのモティーフが北欧、ゲルマン神話等をベースにしている事は言わずもがな。
ホビット』のスマウグ退治は、英雄ジークフリートのファフニール退治が基盤になっているようだ。
それは『ニーベルングの指環』のベースにもなった、『ニーベルンゲンの歌』に描かれている。

ファフニールはゲルマン神話等に登場するドワーフ(もしくは人間)。
ワーム(日本語では竜-ドラゴン もしくは蛇)に変身する。
その名は(多くの黄金を抱え込んだことから)「抱擁するもの」を意味する。

ファフニール(Wikipedia)

ファフニールの存在にスマウグとドワーフの深い関わりを強く意識させる。
彼らは同一の存在のように思えた。金脈や宝石を抱える大地を表した存在として。
大地を表したという点で、ホビットとも繋がりが生まれそうだ。
因みに、ホビットにも物をため込む習慣が設定上にある。

そこまで考えたが、トールキンにとってどういう意図があったのかは、浅学な私では確証は見出せなかった。
むしろ図像的解釈、象徴的なものから物語が何を表すのかという考えは、トールキンの文学を語るにはお角違いのようだ。

妖精物語の国へ (ちくま文庫)

ホビット』の公開も間近なので、トールキンのファンタジー論を知るために、彼のエッセイ『妖精物語の国へ』を読んだ。
私が影響を受けたファンタジー論はミヒャエル・エンデのものだが、それとは違う視点が斬新だった。
妖精物語(ファンタジー)を時間、場所、身分…あらゆる要素が大鍋で煮詰められた妖精の「スープ」と表現していた。
言語学者らしいトールキンの見解だと思った。

以前の日記で、私は『指輪物語』を神話(神話叙事詩)、『ホビット』を童話として位置付けて書いていた。
しかし、その考えは改めなければならないようだ。トールキンに敬意を表して。
妖精物語の国へ』では、神話と妖精物語(私の基準では「童話」)に高位、下位という概念はないと言っていた。
(神話の劣化版が童話であるという考えを否定するトールキンの考えに、私は同意する)

トールキンにとって竜はどのような存在なのか、私が今それを考えるのは無意味に思われるので割愛。

ホビット〈上〉―ゆきてかえりし物語 ホビット〈下〉―ゆきてかえりし物語

新訳『ホビット ゆきてかえりし物語』も読んだ。
以前読んだものよりも巻末の注釈が充実していて、『ホビット』の魅力を深く知る事ができた。トールキンが影響を受けた、先人の詩人達の事も照らし合わせて読める。
それらから思うに、竜云々はディティールであり、深い意味は無さそうだ。

寧ろ人間的な部分が、凄くドロドロとしているので色々と考えさせられる。
私には財宝をただ“溜める”(あえて「貯める」としない)スマウグの悪意の方が美しく思える程に。
欲望から生じた利害を不純物として、一致すれば手を結び、そうでなければ対立する関係は、第一次世界大戦を経験したトールキンが目撃した嫌悪すべき悪意なのかも知れない。

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