『ヱヴァンゲリヲン新劇場版: Q』 考察七

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:ヱヴァンゲリヲン

見終わった後に虚を付かれ、必死になって考えてしまう。
これは非常に無意味な事と思いつつ、細かいディテールネタバレ込みの考察。

先ず思ったのが、世界観がダンテ『神曲』に則しているのではないか?だった。

14年の歳月を経たネルフ本部は地下空間ジオフロントの天井部分が無くなっている。旧作同様だが、その空間はまるですり鉢状だ。
この地形、ダンテ『神曲』における九圏の地獄のヴィジョンを思わせた。
参考:図解・『神曲』
http://commedia.jakou.com/

ボッティチェリによるダンテ『神曲』の地獄

更にシンジが「真実を知りたい」と言って向かうのが“最下層”で、その険しい道のり、極寒の中を防護服を着込み震えながら進むシンジに、対して制服のまま平然としたカヲルが手を差し伸べる。
「さあ、行こう。もう少しだ」

似た情景の行が『神曲』に見受けられる。
ダンテの心が揺れる時、手を差し伸べ言葉をかける詩聖ヴェルギリウスの姿だ。

そうなると、カヲルはシンジのヴェルギリウスだろうか。

このイメージにより、霧が立ち込む冷たいジオフロントはコキュートス(氷地獄)にリンクする。

そうなるとセントラルドグマにカシウスの槍とロンギヌスの槍があるのも頷ける。
カシウスはダンテ『神曲』において、その裏切りの大罪から、イスカリオテのユダ、ブルータスと共に地獄の最下層・コキュートスで堕天使ルシフェルに噛み砕かれる罰を受けている一人だ。
その名を持つ槍があっても不思議ではない。

上記に関連しそうな事柄がもう1つある。
槍を抜きに来たカヲルが歯噛みしながら放った一言、

「第一の使徒である僕が、十三番目の使徒に落とされるとは」

この発言は作中の使徒(ANGEL)だけでなく、キリストの弟子、俗説で十三番目の使徒とされるイスカリオテのユダにも掛かっているように思える。
カヲルは「シンジを幸せにする」旅路の案内役(ヴェルギリウス)という立場から「シンジを幸せに出来ない」“裏切者”(ユダ)になってしまう事を示唆しているのではないだろうか?

『破』では“アケロン(三途の川)”“リンボ(辺獄)”といったモティーフが現れていた。
以前から考えているのだが、新劇場版の世界はやはり死後世界ではあるまいか?
【過去日記】
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』考察六』

ギュスターヴ・ドレによる『コキュートス(氷地獄)のルシフェル

旧作エヴァでは生命のスープであるL.C.L.に満たされていたリリスの周りは巨大な頭蓋骨(死)が満ちている。

さて、ダンテ『神曲』は死後世界の旅であるが、同時に道徳について考える場所でもある。
地獄、そこにあるのは“罪”だ。
『神曲』においてダンテは人間の罪を自覚するために地獄を、死後の世界を巡る。

これに似てシンジは最下層にて自分が招いてしまった事(罪)を自覚する。

ダンテ『神曲』は地獄の底を抜け煉獄(浄罪界)に入る。そこでダンテは浄罪を経験し、天界に至り、最愛の魂と再会し、魂の再生、人生を再発見するのである。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』『神曲』に準って魂の再生は成されるのだろうか?

それをするには次の劇場版だけでは余りにも時間が足りない気がする。
そして長々と書きながらも、必ずしもダンテ『神曲』と合致する訳ではない。
配役がぶれたり、足りないと思う個所もあるので、これはあくまで憶測に過ぎない。

今まで書いた考察から私が考えているのは『ヱヴァンゲリヲン』が旧作『エヴァンゲリオン』の延長で、閉じた世界から再生する物語である事を仮定している。 そして私はダンテ『神曲』を“人生に迷った人間が死後世界を旅する事で人生を再発見する物語”と解釈している。

そのため『ヱヴァ』がダンテ『神曲』のように再生に至る道を示しているのではないかと考えている。

ありきたりの大団円にはならないと思うし、もうシンジとアスカ2人だけの世界ではないと思う。

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