映画『パシフィック・リム』感想
※特撮も昔は見ていたけど、どうしても『エヴァンゲリオン』(以下、『エヴァ』)や諸々のアニメ・映画と比較してしまいました。マニアックな話ばかりでごめんなさい。
公式サイト:
http://wwws.warnerbros.co.jp/pacificrim/
非の打ち所が無い娯楽映画だった。
特撮、怪獣映画、巨大ロボットが出てくるものに慣れ親しんだ人にとっては堪らない映画だ。
リアリティーある重厚感、それが動く臨場感。
質量無視の変形が醍醐味の『トランスフォーマー』とは違う。
戦闘シーンも他に類を見ないものだろう。イェーガーと"KAIJU"は沖合で戦う。
波や水飛沫で迫力が増した表現だった。
大好きなギレルモ・デル・トロ氏による、久しぶりの監督作品である。
『パンズ・ラビリンス』『ヘル・ボーイ』シリーズ以来で監督としては久しぶりか…今回のは『ホビット 思いがけない冒険』が頓挫しながらも完成させた作品だ。
リアリティー
社会背景の設定もちゃんとあった。
“KAIJU"の撃破後、その遺骸の撤去作業をする描写は私が観た特撮では見受けられなかったので、感心してしまう。(アニメだが『エヴァンゲリオン』にはあった)
“KAIJU"の酸性の血液のため水質汚染が起こり、それへの対応にも追われる等、戦いの後の“世界の動き”が描写されている。
更に運用費が馬鹿にならない事もあり、イェーガー計画の廃止と別の計画――"KAIJU"の侵入を阻む壁の建造が進行しているというバックボーンがある。
『進撃の巨人』の壁を思い出すが、311の津波の事も然り。
思えば、"KAIJU"がやってくる場所も、海底の"時空の裂け目(“The Bridge")"だった。
言わずもがな、地震の原因である"太平洋プレート"と"ユーラシアプレート"がぶつかるあの場所を暗示している。
日本(ジャポニズム)
映画紹介でやたら日本との関連を強調され(大概が宣伝で親近感を持ってもらうこじつけに過ぎないため)うんざりしていたが、これは本当に日本の怪獣や巨大ロボットにインスパイアされたものだった。
それがハリウッド要素とハイブリッドされている。
作中では一貫して"KAIJU"という単語を使っていた。"MONSTAR"と言わない所に怪獣とは何かが集約されていた。
何より"KAIJU"の造形がハリウッドらしからぬものがある。
日本の怪獣の着ぐるみっぽさ、重心が下にあり、ずんぐりむっくりしている。
USA版『GODZILLA』(’98米)の巨大イグアナや昆虫をモティーフにしたデザインではないのだ。
文化的な差異
とはいえ、日本の特撮映画の移植版では無い。
日米の歴史や文化の差異がある。当たり前の話だが。その2つを"ハイブリッド"する事で、日米に受け入れやすい表現にしているようだった。
『パシフィック・リム』の"KAIJU"の出現理由が“異次元生物の地球侵略の斥候である”という真相は、日本の怪獣が“突然やって来て災害を齎し去ってゆく”事とは全く違う。
それは両国の歴史的背景、アメリカが欧州による植民地支配によって建国された国であることと、日本の黒船来航の歴史と関係があるのかも知れない。
アメリカの植民地支配から自由を勝ち取った国。自国の自由と大義のために武力行使は辞さない事が 当たり前なのだ。
現存する最大威力の兵器が原爆であるだけでなく、それによって第二次大戦を終結させたという自負は、やはり最終兵器として原爆を使い止めを刺す戦法に垣間見れる。
日本の黒船来航は脅威として捉えらえ、それを受け入れる事で未来を模索していった明治維新。
日本の怪獣が日本の自然災害の化身のようなものである指摘は言わずもがな。自然災害を行き過ぎ収まるまで耐え、犠牲を払いながらも同じ場所で生きる。何故なら台風の被害は大きくても、それは恵みの雨を齎すものの一面である事を知っているからだ。地震も津波も、いずれまた来る避けられないものである事は承知の上だ。
『ウルトラマン』『ゴジラ』では怪獣と戦いながらも怪獣に共感するエピソードが幾つ か存在する。
強大なものへの情景もあると思うが、日本的なものを強調するなら敵を知ろうとするうちに“共生”への道を模索したかも知れない。
例としてアニメーション作品で『エヴァ』では人類とその敵・使徒は拒絶と自閉に向かっていった。『エヴァ』にインスパイアされた『蒼穹のファフナー』では敵フェストゥムとの共生を模索することで、人類を存続する話に昇華されていた。
同じ人間同士も争いは絶えない。妥協とは違う共生の道はまだ遠い。
共生への道は未だ映画ですら描き切れていない。
絆
311以降、どうしても絆というものを強く意識させる。
イェーガーを動かす神経接続にどうしても『エヴァ』を連想させられるが、それについては割愛。とにかくそのシステムを介して、人の絆を意識させる。
パイロット達は兄弟、親子、夫婦という、強い絆を感じさせる人間関係だ。
主人公のローリーとマコは次第に信頼を築いてゆく。それは互いの親兄弟を失った傷を舐め合うのではなく、一個人としての力量を認め、信頼する所から始まっていた。
二人が口付けではなく、額を付けて笑うシーンにハリウッド映画定番の愛とは違うものを感じたのは私だけだろうか?
特撮讃歌
日本的云々を抜きに、この映画が特撮映画への敬意に満ちていた。
エンドクレジットで初代『ゴジラ』の監督・本多猪四郎氏と今年5月に亡くなられたハリー・ハウゼン氏への言葉が捧げられていた。
それがとても嬉しかった。