映画『メランコリア』感想

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公式サイト:
http://www.melancholiathemovie.com/

ダンサー・イン・ザ・ダーク』『アンチクライスト』のラース・フォン・トリアー監督による映画。
奇しくも『ニーチェの馬』にも通じるような終末思想、終焉の映画だった。

あらすじ

主人公のジャスティンは心の病による躁鬱状態から抜け出せないまま、自身の結婚式を行う。
しかし病気が災いし、母親と共に奇行と暴言を繰り返して結婚式を台無しにしてしまう。
結果、仕事を失い、結婚するはずだった夫とも離別してしまい、姉・クレアの元に身を寄せる。
その頃、地球には奇妙な周回軌道をとる惑星が接近していた――

芸術

冒頭8分間のスローモーションで前後の動きの時間軸が異なる映像は観るものを惹きつける。それは美しく、シュルレアリスムの絵画を思わせる。
抽象的なそれらが、この映画の全編を物語っている。
そこには身動きが取れないようなもどかしさと、不安定な死と破滅がある。それら全てが神々しくもある。

ブリューゲル父子の寓意画、ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》を思わせる。
リヒャルト・ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の〈前奏曲〉が全編に流れる。荘厳な雰囲気だ。
この〈前奏曲〉『トリスタンとイゾルデ』においても、‘作品全体の核となる動機が呈示される’部分だそうだ。それは‘愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しないこと’である。
因みに今年はワーグナー生誕200周年なので、タイムリーだと思った。

鬱病

私は精神科医ではないので明確な判断は出来ないが、双極性障害あるいは鬱病の症状の描写が非常にリアルだった。
それが幸福な結婚式と破滅の予感という極端な状態を表現し、それらが交互に表れる。
それは公式サイトのデザインに、花嫁の姿と訃報の手紙を思わせる黒枠がページにあしらわれている所からも伺えた。
それ故に祝福と呪いは同義であるように思える。

ジャスティンの鬱病の原因は家族に起因するようだ。父親も問題があるが、特に母親の存在が大きい。
母親の言動にはキャリル・マクブライド『毒になる母親』を思い出さずにはいられない。

毒になる母親

ジャスティンの母親は社会の制度に不満を持つアナーキーと言えば聞こえが良いかも知れないが……
結婚式という制度や形式だけではなく、娘の結婚そのものに対しても嫌悪感を吐き出す。理由は解らない。

同じ女という性別、娘はいづれ母になる。それ故か母と娘の関係はとても密接らしい。ジャスティンの奇行と母親のそれを切り離すことはできなかった。

この監督はよく“女性の魔力”について言及しているのかもしれない。特に破滅的な方の。
作品に出てくるヒロイン達はヒステリー(解離状態)の女性達だ。不安と憂鬱に苛まされている情緒不安定な彼女達。
その対の概念として理性的な象徴として男性が出てくる。だが彼らはそ の理性をもって女性を救う事はできない。
ジャスティンの夫になるはずだったマイケルはジャスティンの元を去り、クレアの夫・ジョンは間近に迫った 世界の終焉に慄いて一人だけ睡眠薬を全て煽って死んでしまう。
男達は無力或いは無責任の象徴でもある。

手に負えないが、巨大な女の負の力。恐ろしげで忌み嫌われるそれを、時に赤裸々な性描写に添えて表現しているような気がした。
そして性描写で物議を醸している。

終焉

惑星衝突による世界の滅亡。
他の終末映画であるイライジャ・ウッドら主演『ディープ・インパクト(“Deep Impact")』やニコラス・ケイジ主演『ノウィング(“Knowing")』のような混乱する世界ではなく、それらから隔絶された(閉じた)世界で淡々と描かれる世界の終り。ノルウェーの城と自然は美しく現世とは思えない。
ふと、『ニーチェの馬』にも近しい描写が現れる。
馬が象徴的であることだ。
気晴らしのため、ジャスティンとクレアが馬に乗る事と、馬は村に向かう橋(外界への境界)に行くと、歩みを止めてしまう。
ニーチェの馬』では馬は歩みを止め、食べなくなり、遂には厩から出るのを拒む。
馬たちはこれから起こることを予見し、その心象風景を体現する。

終焉が近づくとジャスティンは冷静になってゆく。そしてクレアは恐怖に押しつぶされてゆく。
ジャスティンの逃れられない死に対してそれを受け入れる姿勢は『アガメムノーン』の王女にして巫女であるカッサンドラのようだ。
そういえば、カッサンドラが冒頭で神憑りで気 が狂っており、死が近づくと冷静になる姿はジャスティンの躁鬱状態によく似ている。

“そして最後に衰えた眼差しが疲れ切ったとき、そこには気高き歓喜に到達する予感がほのかに浮かび上がってくるのである。それは死の、もはや存在しないことの、そしてわれわれが狂おしくそこへ入ろうとすればするほど、まったくそこから迷い離れてしまう、かの奇跡に満ちた天国における最後の救済の歓びである。――それを死と名づけようか。

1859年12月9日にマティルデ・ヴェーゼンドンクに当てた手紙に同封されたワーグナーの表題的解釈”

トリスタンとイゾルデ』なのだろうか。
不安がるクレアとクレアの息子と共に、木の枝で簡単な櫓を組みそれをシェルターと見立てて中に入り、手をつなぐ。
ジャスティンは終末のその時に死後の魂の救済、その愛を宣言する。

最期になって、人間は愛を獲得するのだろうか。
観終わった後、不思議な気持ちにさせてくれる。
カタルシスのような、羨望のような――そんな映画だった。

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