the 4400/HEROS
最近、またアメリカンドラマを見ています。
久しぶりに続きを見た『4400』シーズン3、そして遅ればせながら『HEROS』
このドラマ、よく似ている所も多く、それでも(それ故に)対照的な概念が現れていて面白い。
似ている所は多いので、下手をすると登場人物、混ざりそうですが…
色々思う事があったので、少し覚書がてらに、考察。『4400』の多少のネタバレ注意
似ている所
- 超能力を持つ人々が、物語を動かしている
- 未来を変えようとしている
- 未来はネガティブイメージ
『4400』はシーズン3になってから、組織どうしの争い、テロリズムと一部の人間関係に絞られていて、シーズン1の頃のような、4400の英雄的(時に犯罪を犯しながらも)行為による周囲への“波及効果”が語られなくなった…
行方不明になり、帰還した『4400』は未来人から“能力”を授かった。それは衰亡しかけている未来、人類を救うために。
かつては『4400』の能力が、どんな役に立つのか、そういう驚きもあったのですが。
何より、『4400』とそうでない人間との“関係性”があまり語られなくなってしまった…
要するに、“身内ネタ”になってしまったのです。
シーズン2頃から現れたイメージ…そこに見るのは、多くの人種を抱えながらアメリカが抱えるジレンマ…“人種差別”ではないかと。
少しでも毛色の違うものがいると、それへの畏怖は恐怖となり、蔑みに変わる。
互いに相手の力を恐れ、武装し、不信になり、相手を潰そうとする……
それは『テロとの戦い』で如実に現れたものではないでしょうか。いえ、近代以降の人類の抱えるトラウマでしょうか。
人は素晴らしいものを見つけても、それを活かしきれずに歩み続ける。
人の歴史は、悲しみに綴られている――
また、未来人も所詮は“人”だな、と。
過去と未来――時空を捻じ曲げ、人を行き来する技術や、人に“能力”を授けるものの、彼らは未来(未来人には現在)を変える事が出来ない。
それ故に“過去”に囚われ、過去を変えることで、未来(未来人には現在)を変えようとしている。
その点では『HEROS』の方が、まだ現実に立ち向かい、未来を変えようとしているように思えます。今の所は。
面白いと思うのは、どちらも“予言を是とし、これを否定する”所。
『HEROS』はそれが如実ですね。
特に登場人物・ヒロは、未来を見る画家の描くコミックを元に、未来を変えようとする。
実際、少しずつ未来は変わりながらも、同時にまだ完全に回避出来ていない…むしろ終末的未来図に近づいている――
ネガティブな未来を、ギリギリまで是とし、最後の最後でそれを変える、否定する。
それ故に、未来を変えても彼らは大衆に信じてもらえない。
その“未来”は変わってしまったから。
それが英雄的行為。