映画『サヴァイヴィング・ライフ―夢は第二の人生―』感想
公式サイト
http://survivinglife.jp/
映画館でシュヴァンクマイエル氏の映画を観るのは初めてだった。
見終わって、不覚にも涙が溢れてきた。
魂が再生する物語のようだった。
シュヴァンクマイエル氏の作品のイメージから、夢の中で二重生活をする男はBAD ENDを迎えると思っていたのだが、そうではなかった。
感動がある物語だった。
※下記、さらりとネタバレ有り。
冒頭でシュヴァンクマイエル氏ご本人がコラージュアニメとなって解説するコミカルさ。
氏は、これが精神分析医の物語であること、夢と現実の境界が曖昧である映画を創ろうとしたと語る。
登場人物は写真によるコラージュアニメで動く。
時々実写だが、それは口元や顔のアップに限られ、現実的な空間が映らない。
そのため、観ている人間はこれが主人公の夢の世界なのか、現実世界の出来事であるかの、境界が不明瞭である。
ただ、夢は夢なので、ベッドから起き上がるという終止符が起点となっていた。
精神分析医の話と言っていたが、物語はそのクライアントである中年男性・エフジェンの視点だ。
精神分析、心理学の分野ではもはや古典であるフロイト、ユングの夢診断の物語。
どうしても気になる夢の続きに、夢を見たがるエフジェン。精神科医の手助けを借りながら?エフジェンは夢の絵解きをしてゆく。
そして過去のトラウマに遭遇する。
話の筋は心理学の古典だ。夢の中で会う魅力的な女性はアニマであり、最終的には母そのものだった。
母の自殺を目撃するという死の場面と、血の混じったバスタブの中で泳ぎ方を教わるという生きる力を喚起させる描写。
そこにカタルシスがあった。
精神科医の職場にこれ見よがしに掛けられているフロイトとユングの肖像画が額縁から飛び出して殴り合いなどのジョークからシュヴァンクマイエル氏らしい獣頭人身のセックスシーンなど、シュルレアリスムでコミカルな描写があふれる。
ターセム監督の映画『ザ・セル』に通じるものがある。夢≒深層心理とするなら。
夢の重要性。クリストファン・ノーラン監督の映画『インセプション』でも夢についての言及があった。そこで人間は現実の体験の復習をし、現実で対処する力を付けるのだという。
ただし、それは突飛もないヴィジョンであったりするので、啓示的で人はそれに突き動かされる。芸術家は特にそうだろう。それを形にしようと試みたのが、シュルレアリスト達だった。
シュヴァンクマイエル氏はシュルレアリストなので、この夢の言及は重要だったのだと思う。
夢に逃げ込んではいけない。
それはファンタジー論でも常に言及されている。
この夢を語る映画の中で、鶏や鳥の姿がよく出てくる。鶏鳴は目覚めの合図だ。
目を覚ますことも語られているのだと思う。
主人公は目が覚めた時、どう人生と向き合うのだろうか。
私たちにもその問いが突きつけられていた。