ルドンと象徴画家たち
神保町・ギャラリーかわまつにて。
http://www.gallery-kawamatsu.com/
~2011/4/16まで。
Bunkamuraザ・ミュージアムで『ルドンの黒』と題された展覧会があったことを思い出す。
その時に見た作品との再会しに行った。
『ルドンの黒』では、天文学・植物学に影響を受けた象徴主義としての紹介だったと記憶している。
今回はどんなイメージを得ることができるだろうか。
象徴主義の絵画は眼に見えるモチーフによるのではなく、記憶によって描く。(中略)そこには合理と非合理が矛盾なく同居する。
《(古聖所)リンボー “Limbo"》
DMに使われている作品。
石版画集『夢の中で"In the dream"』の一枚。これは『ルドンの黒』でも展示されていた作品。(自宅に帰って確かめると、そこでのタイトルの邦題は《冥府》とあった)
翼の生えた頭は、眠りの神・ヒュプノスの像を連想させるが、蝙蝠の翼で悪魔のよう。それが死を示唆しているのだろうか。
遠景からこちらを望む正義の女神?は何を思っているのだろうか。
参考:『ルドン 版画』
http://www.muian.com/muian03/03Redon01.htm
ルドンが描く横顔は瞑想をして思慮深いものを漂わせ、神聖な雰囲気をかもし出している。
《聖アントワーヌの誘惑、第1集(10点連作)"Tentation de Saint-Antoine (1st series)"》
上記展覧会では第3集が展示されていたので、これは見れて良かった。
中世的な奇想を根強く感じさせるフローベールの正に幻想的な書『聖アントワーヌの誘惑』にルドンの目を向けさせたのは友人である批評家エミール・エヌキャンである。
ルドンはこの本に従い、三種類の版画集を出版。原文に忠実に、数多くの箇所をイメージしている。
画家による場面の選び方に一定の傾向があるとは言い難いが、とりわけ海の怪物、死と性の箇所に力点が置かれている。
Ⅶ
C’est une tête de mort, avec une couronne de roses. Elle domine un torse de femme d’une blancheur nacrée.
(それは薔薇の冠を被った死の頭部である。それは真珠貝の白さを持つ女の胴体に君臨している)
顔が髑髏の人魚のようだった。
反り返っている胴は暗闇に浮かび上がり、‘真珠貝の白さ’が美しかった。
それが啓示で美しい。吸い込まれるような魅力だった。