北川健二『フェルメール絵画の謎の本質を読み解く』

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:美術鑑賞

Bunkamuraザ・ミュージアム《地理学者》に因んでの講演会。
個人的備忘録。
日記は長い。

フェルメールの作品は何故、人を惹き付けるのか?
美術史の観点ではなく、画家の観点から見たフェルメールの講義。
先生の著書『「モナ・リザ」ミステリー』にも少し言及されている。
「モナ・リザ」ミステリー

レオナルド《モナ・リザ》には“暗示の力”により人を惹き付けるが、フェルメールの作品は“ソフトフォーカスによるピントが合わない作風”により、人を惹き付けるということを示された。

43歳の生涯で30数点の作品しか遺さなかったフェルメール。
その作品を時系列に紹介し、魅力を探ってゆく形だった。
参考:ヤン・フェルメール
http://art.pro.tok2.com/V/Vermeer/Vermeer.htm

初期作品はカラヴァッジョイズムとも言うべき、人工光に照らされたドラマティックな構図、《娼婦》における、女性の肩に掛かる手は大きく、誇張されている?ようだ。
それがわざとなのか、単に画家の癖なのか――上手いのか下手なのか判らない、フェルメールの謎である。

手紙を読む女
当初、窓ガラスに写る女性にスポットを当てていた。
そのため女性の表情は見えなかったようだが、完成した絵画は横顔がはっきりと見える。
日常のドラマ性、その一瞬を捉えた作品。

牛乳を注ぐ女
見るものは窓から射す光から手の甲を伝い、垂直に垂れる牛乳に視線がゆく。
そこに時間の流れが生まれる。永遠に牛乳を注ぐような…
この絵の右下の空間には、不思議な箱がある。シュルレアリスムの画家・ダリの作品を思い出させる(実際に影響を受けているようだ)

黄色の首飾りの女
構図が不思議で、女の視線の先には卵があるという。それはジョット《受胎告知》との関連を指摘するものがある。

ターバンの娘
真珠の耳飾りの少女、とも呼ばれるこの絵画。
大きすぎる真珠と唇の光、そして訴えるような少女の眼差し。そのトライアングルの配置が際立つ。

フェルメール絵画の特徴は色彩の共振。
フェルメール・ブルーや巧みな黄色の使い方。
上記に上げた絵画には、黄色が効果的に使われている。黄色は光の表現である。
そしてその光の表現は、肉眼のみのものではない。
「カメラ・オブスキュラ(暗箱、ピンホールカメラ)」の使用が、よく指摘されている。
会場で、先生が自作のカメラ・オブスキュラを見せて下さった。
それを通して光を覗くと、ある一点で光が際立って見えた。
フェルメールの絵画は肉眼とその光を重ね合わせて表現している。

フェルメール《地理学者》

このカメラ・オブスキュラの存在に《地理学者》《天文学者》のモデルと言われるアントニー・ファン・レーウェンフックの存在が絡む。
同じデルフト出身で顕微鏡の発明にも寄与した科学者は、フェルメールと親交があった。
レーウェンフックが使用した顕微鏡で虫の足を観察したデッサンがあり、これがフェルメールによるものではないか、と指摘。
レーウェンフックも『私は絵が下手なので、知り合いの画家に描かせた』と遺しているそうだ。
参考:"leeuwenhoek"
http://www.johannesvermeer.com/leeuwenhoek.html
レーウェンフックのレンズへの関心がカメラ・オブスキュラに、フェルメールに繋がる。
レーウェンフックとの関係から、光を際立たせる表現をフェルメールは得たようだ。

何故、フェルメールはこれほどまでに光に取り付かれたのか。
それはオランダ人の光への飢餓感を挙げている。
天候が変わりやすいオランダ。暖かい陽射しが射し続けることは希のようだ。《デルフトの眺望》に見られるように。
それがフェルメールの光への執着の契機となっている。
そしてもう1つ、当時の哲学者・スピノザの影響を挙げている。
参考:スピノザ
http://www.ne.jp/asahi/village/good/spinoza.htm
「全てのもの自然に神を見いだした時、神はその全てのもの自然に宿る」汎神論的な哲学、一神教の世界において異端的な思想だったそれを掲げたスピノザ。
レーウェンフックとも親交があったらしい。
そうなれば間接的にでもその思想にフェルメールが触れていた事は想像に難くない。
天秤を持つ女(真珠を量る女)》の光の乱舞する表現は、“日常の中に神が宿る”表れとも取れる。内在神を絵画の中で具現化した。
それを可能にした光、それを可視化するレンズ。

「“ソフトフォーカスによるピントが合わない作風”により、人を惹き付ける」はピンボケの絵画を見て、脳は焦点を合わせようとするが、絵そのものがピンボケしているので、その像は永遠に結ばれない。
視神経と脳のズレがもどかしく、人はそれに注視する。

それがフェルメールの絵画が人を惹きつける、魅力であった。

余談:講演の後に「何故フェルメールはレーウェンフックを科学者ではなく“地理学者”と“天文学者”としたのか?」と疑問をぶつけてみた。
それは先生の中でもまだ明確ではないそうだ。
個人的な想像としては、もしかしたら顧客の意向もあったのかもしれない。
それは定かではない事だが。

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