映画『pk』感想――ピンクはさまざまな愛の色
公式サイト:
http://pk-movie.jp/ (2016/11/16 確認)
冗談抜きでティッシュとハンカチが必須。
劇場先着特典で、ティッシュを頂いたけれども、使うなんて勿体なくて……
すごく良かった映画『きっと、うまくいく原題"3 Idiots")』の監督と主演と聞いて、期待が高かった訳だが、それを裏切らない。
コメディのなかに、サスペンス的な要素もあったりと盛りだくさんで、あっという間の2時間だった。
宗教という、深く、どこか
映画冒頭でも「特定の宗教を非難するものではない」とはっきり書いているし、それは正しい。
この映画は宗教を形骸化し、脅しによる支配につかう人間を非難していた。
そして宗教の本質にあるもの――真実であったり、愛があること――を分かりやすく表現していた。
映画冒頭、地球調査に訪れた宇宙人――後に彼は“pk”と呼ばれる――は、宇宙船を呼ぶためのリモコン(首飾り)を老人に盗られてしまう。
それは高値で売り払われ、ある宗教団体の神秘的な宝物として祀られていた。
(pkにはとても大事なものなのだが)ただのリモコンを、それが何なのかを理解していない人間が、全然関係ないも、自身の権威の裏付けの象徴にする。
悪意のある宗教――特に、金儲けに絡むものが行う常套手段を、端的に現している。
そしてそれを拝む信者にも、「盲信」という自身で考えることを放棄することに、警鐘を鳴らしていた。
pk ――その常識 は何のため?
pkは相手の手に触れるだけでコミュニケーションがとれる宇宙人だ。
心のなかで思っていること、過去の記憶まで読み取れる。
そのため宇宙人たちは「何かを隠す」必要がない。
だから裸だった。
(多分、気候変動も無い惑星出身なのか、環境の変化に順応性が高い恒温動物なんだろうな……寒さをしのぐため、という話も出なかったし)
地球人の常識を持たないが故のpkの疑問が、地球人は宗教に限らずあらゆる価値観という先入観に囚われていることを明確にする。
そして地球人は、常識を持たない宇宙人・pkがいることで、視点を変えるきっかけを掴む。
かつ、それに疑問を投げ掛けても良いということを教えてくれる。
pkは“神様に会う”ためにあらゆる宗教の様々な儀式、修行を体験するが、結局神様に会えない。
(でも、神様(シヴァ神のコスプレ)を追いかけた結果、リモコンの所在を知る。シヴァ神の思し召し……日本で最近はやっている、引き寄せの法則か?)
宗教儀式にはもちろん、その宗教の由来や悟りを開いたり神に会った人々の事を想起させるのだが、それらは現在では形骸化している。
何故なら、儀式・様式はそれら宗教の本質ではないからだ。
宗教 ――人を救うのか、傷つけるのか
前作の映画『きっと、うまくいく』にも絡む内容だと思った。
苦学生のラージューは信心深い性格で、試験前などには部屋が煙たくなるほどにお香を焚き、神様にお祈りしていた。
映画『pk』では、悪意のある宗教がお金と密接であるかを証明するために実験を行う。
大学に赴き、植え込みに印を付けた石に御守りのミサンガを括り付け、お金を置いておくと、試験前の学生たちがこぞって拝み、お金を置いていく。
その行動原理は「不安」であり、それにつけ込んで宗教がお金を巻き上げる手段に成りうることを簡単に表現していた。
宗教は人を救うものと目されているが、不安につけ込む宗教は脅しであり、その悪意を信託や真理と勘違いしてしまうと(pkはそれを「神様からの電話の“掛け間違い”」と呼んでいた)それに支配されてしまう。
昨今のテロリズム
リモコンを探すためニューデリーを訪れたpkは、車に牽かれてしまう。しかしその車を運転していた“兄貴”に助けられる。
“兄貴”は悪党であるが、良心のある人間だった。
さらに“兄貴”の機転でリモコンを盗んだ老人を捕まえることができた。
しかし、“兄貴”は老人をpkに引き渡そうと訪れた駅で、テロ事件に巻き込まれて死んでしまう。
テロ事件のエピソードは、その反抗声明からもわかるように、宗教対立は神同士のそれではなく、所詮人間の政治的対立が原因だった。
宗教が煽る不安と脅しというと、昨今はテロリズムを思い浮かべるかも知れないが、言わずもがな、その行為は宗教とは何の関係もない。
“兄貴”と老人の死で、信頼する人を喪う絶望感と、リモコンの入手経路の真実が失われたかのような緊張感。そうしたサスペンス的な要素もあった。
その傷心のまま、pkは宗教団体の導師と対決する。
そのpkの手腕が素晴らしかった!
屁理屈で正当化しようとする導師に、pkはそれまでのように素直な疑問をぶつけなかった。
ジャグーの過去にある、偏見、先入観、常識による“かけ間違い”を解き、正しい場所に“電話をかける”ことを促す。
それはジャグーの同僚、上司だけでなく、見ず知らずの他人の助力を得て、真実に繋がっていった……
その一連の展開に感動して涙が出た。
それが結果として、導師の嘘を暴き、それを無に還していった。
色のはなし
この映画はヴィジュアルの美しさ、目でも楽しめるものでもあった。
極彩色豊かなインドだけでなく、ジャグーの留学先のベルギーの街並みなど……
その中で、色が映画全体の統一感を持たせている事に気づく。
ピンクが非常に重要な色だった。
人と人の“心の交流”、特に“愛”に関わる場面に必ずピンク色が現れる。
その布石のように、作中では色についての言及が散見される。
各宗教において色彩にさえ意味の違いがあることを、コミカルにも描いていたが。
- pkが「神様に見つけて貰えるように被っている」“目立つ・注意換気の色”である黄色”
- ヒンドゥー教では未亡人の喪服は白。(因みに、日本でもかつては白喪服が主流だった ※1 死装束が白なのはその名残なのだろうか? ※2)
でもキリスト教徒(欧米諸国)の新婦のドレスは白。 - キリスト教徒の未亡人の喪服は黒。
でもイスラームの女性の平常時でも服装は黒。
もしかしたらどの宗教からも
映画のなかで、冒頭の風景全体にはピンクのフィルターがかかっているよう。
その時のジャグーは希望と幸福感、恋人との愛で満たされていた。
失意の後、pkとジャグーがはじめて会った駅のホームにも、画面奥には全身ピンク色の女性がいた。
色の
ピンクはヒロインのイメージカラーでも使われているが、彼女は父と恋人との“愛”に関わる問題を抱えている。
宗教の問題を突きつける映画のなかで、そうした悪意を絶つことができるものが、色によって象徴されているのではないだろうか?
それは“心の交流”から発展する信頼関係――すなわち“愛”ではなかろうか。
“愛”とは一対一の“愛”に限らず、信頼、血縁、義兄弟など、様々な形の“愛”が含まれる。
それが本来、身の回りに普遍的に存在することも。
多くの宗教は元来、愛について肯定的に捉えている。(性愛については多くの文明圏で
それを教義や理詰めではなく、感覚で伝わるようになっていた。
思えば、ピンク(pink)のスペルには”pk”が隠れているし、アナグラム的な意味もあったりして…?
いや、これは考えすぎか……
恵比寿ガーデンプレイスに併設のカフェでは映画のイメージに合わせたコラボドリンクの販売もあり、早速賞味。
ターメリックが入ったチャイラテ。
黄色がすごく鮮やかで、映画でpkのヘルメットを思い出させる。
その香りがインド(私は行ったことが無いのでインドカレー屋さんから)のイメージを連想させた。
飲むと温まるし、ターメリックの香りと味に刺激され、元気が出てくるチャイだった。
笑って、考えさせられて、泣いて、元気を貰って……
充実した時間を過ごせる映画鑑賞だった。
- 異端視されがちだけど…実は深い意味を持つ白い喪服に隠された感動秘話
http://spotlight-media.jp/article/90995166813455871 Spotlight 2014.12.11 (2016/11/16 確認) - 【過去日記】メチクロ×町田忍 トークショー『町田忍氏に訊く~霊柩車美学考』
- 【過去日記】抑圧されるシャクティ――インドの女性差別の原因と女性解放運動から思うこと