映画『Oculus』感想

白黒イラスト素材【シルエットAC】
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公式サイト:
http://www.oculus2014.com/

こんなに怖い映画を観たのは久しぶりだった……
私が最近、スプラッタやアクションアドベンチャー的なハリウッドホラーばかり観ていたせいもあるかも知れない。
!!ネタバレ込みの感想!!

あらすじ

10年前、母を拷問し殺害した父を射殺した、殺人の有罪判決が下った弟・ティム。
彼は事件後、精神病院に入院していたが、成人し落ち着きを取戻したと医師たちから判断され退院する。
ティムを迎えに来た姉・ケイリー。彼女は事件のあった家に一緒に同行して欲しいと申し出る。
「あの時の約束、覚えている?」
ケイリーは、ティムは無実で、両親を殺したのは自宅にあったアンティークの“鏡”による超自然的現象によるものだと言う。
ケイリーと彼女の正気を疑いながら同行するティムは、事件があった家に“鏡”を持ち込み、ティムの無実と超自然的現象を証明することを試みる。


映像と物語の表現が斬新だった。

映像はホラー映画ではないような、安定した構図や陽光のライティングで、とても美しい。
家が懐古趣味なものではないのに、アンティークの“鏡”が違和感なく配される家や調度品。
どれも計算された、拘りのある映像美だった。

よくあるポルターガイストや異形の幽霊は出てこない。
過去の事件の回想と現在、心霊現象の幻覚と現実による“虚実の混乱”が、登場人物と観ているものを惑わせる。

物語の冒頭では、超自然的現象を信じるケイリーと精神病院に入院していたティムという2人の対比で、どちらが真実を語っているのかという混乱がある。
ケイリーとティムの話は微妙に噛み合わず、傍目からでは、ティムの方が正論にも聞こえるはずが、入院の過程(あるいは“鏡”の影響で)で擬似記憶の可能性がある。
2人の事件の回想シーンは、現場であった家にいるため過去と現在の時間軸がレイヤーのように重なる。それが幽霊のようでもある。
幽霊の姿も斬新で、半透明で宙に浮いているような儚いものではなく、影の中に佇んで存在する。黒く暗く溶け込んだ中で、“鏡”になった眼が周りの僅かな光を反射し、青緑色に薄く光っている。その姿に戦慄する。
そこにいるだけで悪寒が走る描写だった。

過去に起きた事件の生存者であるケイリーとティム。
ケイリーはその原因が“鏡”にあり、最新機材を用いて記録し、その物的証拠を残そうとする。
記録するものは植物が枯れるなどの不可解な現象、幽霊の姿などを想定しているようだ。よくある心霊現象調査の延長のようだが、電子機器に記録される映像に幽霊は一切記録されない。

“鏡”の恐ろしいところは、“マインドコントロール”“幻覚(幻視、聴覚などあらゆる体性感覚)”を用いることだ。
心霊現象のひとつである幻覚は、不本意ながら自分や身近な身体を傷つけてしまう、悪意がある。
“鏡”の凶暴性に気付き破壊しようとしても、マインドコントロールで破壊しようとする意思を奪われてしまう。
しかし姉弟が経験した事件で、“鏡”に傷が着いた。破壊できる可能性、希望が描かれる。
彼女はその事を念頭に“マインドコントロール”“幻覚”を乗り越えるために、入念な準備をし、人間では破壊できない“鏡”を破壊する仕掛けを用意する。

機材では幽霊は記録できない、映らない。
しかし自分たちの不可解な奇行(“鏡”による“マインドコントロール”)は記録できた。それがまず第一の記録足りえると考えるケイリー。
機材には幽霊が映らない事に着目したケイリーはスマホの画面を通して現実と“幻覚”を区別しながら“鏡”を出し抜こうとする。

しかし、彼女たちがその“眼(眼球/Oculus)”を通して見ているものは、果たして現実なのか――

ケイリーの“鏡”に対する精一杯の抵抗も虚しく、“鏡”の餌食になってしまう。それと同時に、過去の事件の経緯と真相が全て明るみになる。
ティムが忘れてしまっていた悪夢の日の詳細と、ケイリーとの約束が。だが、その時にはもう取り返しがつかなくなっていた。
過去と現在の終着点が同じというやるせなさ。
ケイリーとティム、あの時、手を離さなければよかった……
まるで不吉な予言を回避しようとして出来なかった、ギリシャ悲劇『オディプス王』のようだった。

希望の描写があるために、あまりに残酷な結末だった。
見終わった後、絶望感に浸る映画だった。

ティムのこと

ティムは精神科医から指南された、尤もらしい解釈を得て、“鏡”の魔力やケイリーとの約束を忘れていた。(それが“鏡”のマインドコントロールの延長だったかは不明。)

彼は立ち直る(というより、周囲の人間、社会から“立ち直らせよう”とする動きの)ために、更生おプログラム、カウンセリングを受けていたと思われる。
冒頭から精神科医との対話があることに、象徴的なものを感じた。
勿論、物語の背景を語るための導入でもあるのだが、興味深いのは“精神科医の主観・主張に合わせてマインドコントロールされていた”点である。これは“鏡”のそれを暗示させる導入でもあった。
ここに精神科医の悪意は無い。精神科医は「更生するためにはティムの正当防衛とはいえ、父を殺したという罪悪感を彼自身に受け入れさせようとした」ためだ。

何度も聞いている内に、それが本当だと思ってしまう……
映画『グランドイリュージョンでも、何度も見ているものが無意識に象徴的な意味を持ち、それに関心を持ってしまう、惹かれてしまうという傾向を表現していた。
虚偽記憶というものを思い出した。マインドコントロールはその前身のようなものだろう。

参考:虚偽記憶(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E5%81%BD%E8%A8%98%E6%86%B6

このエピソードが現実世界における精神科医の問題点と断言する事はできない。
アメリカでかつて、退行催眠やカウンセリングでクライアントが「虐待された」記憶を呼び覚まされ、裁判になるケースが多発した事があった。 それに対し「『虚偽記憶』による捏造である」という反論が起こり、論争になった。
上記Wikipediaによると、裁判では虚偽記憶論に軍配が上がったようだが、検証途中の曖昧なものに過ぎないようだ。

記憶の曖昧さと主観の相違――
この問題は、人間は何を信じているのか、その曖昧さを明確にしてしまう。

ケイリーのこと

“鏡”の餌食になるケイリーは悲劇的であるが、喜劇的でもある。
そうなってしまう事で彼女は“鏡”に取り込まれてしまった父母と共に並んでいる。おそらくそこには婚約者とも一緒にいるのだろう。
それで彼女が満たされたかは不明だが――
10年前と同じように去っていくティムを、今度は父母と共に窓から彼を見つめている。
もしかしたらティムは、機会があるなら自ら進んで“鏡”と再会する道を選んでしまうかもしれない。

“鏡”について

敵を知るために、ケイリーは残っている記録・文献から“鏡”の正体を突き止めようとしていたが、彼女自身結論には至っていない。
“鏡”は何故、人を犠牲にするのか、その目的が何なのかは明確にされず、また物語の重点でもない。
ただ、二~四百年前には既に“鏡”は存在しており、犠牲者を出していたようだ。

“鏡”による歴代犠牲者たちも霊障を起こす存在に加わっており、個人の人格よりも“鏡”の一部と化している。
だが、その中でただ一人、異色の人物――恐らくこれが“鏡”の正体である、白いドレスを着た女性の姿をした“存在”がいる。

この存在は霊ではなく、正に“悪魔”と呼べるような印象を醸しだしている。
女性の姿をしているにもかかわらず、悪意のある笑みを浮かべるその顔は、まるで男性のようだった。
その印象が、サバトだのサタニックだのに出てきそうな、バフォメット、両性具有のイメージを色濃くさせる。

鏡というもの

演出の面でも、鏡の存在は大きかった。
小道具としても然り、それは鏡の性質を暗示させる描写としても用いられ、何重にも表現されている――
まるで合わせ鏡のように虚像を反復させ、増殖させるようでもある。

主要なエピソードやイメージが、鏡越しに映し出される。
仕事部屋の父の背後にいる女を、少女のケイリーは“鏡”の映り込みで見た。過去の事件で凶器の銃に父親が弾を込めるシーンもまた、鏡越しだった。
そして過去の事件の反復は“まるで鏡に写したもののように同じ”であること。過去のケイリーが家の外から見た“鏡”の女と“鏡”の最初の持ち主が窓越しに並んでケイリーを見ている姿は、現代のティムが同じ構図で両親の姿となって見ている。
物語の終盤でケイリーは、父の最期の頃と同じように鏡に背を預けてしまっている。 そのまま“鏡”の中に入ってしまい、“鏡”から見る側になってしまうように――
だから物語の結末は過去と同じであったのだろう。

余談:俳優話

驚いた。
TVドラマ"CSI: Miami"でティム・スピードルを好演したRory K. Cochraneがケイリーとティムの父親役だった。私は"CSI: Miami"シリーズ以外見かけなかったので……
12歳のケイリー役・Annalise Basso、彼女の演技が素晴らしい。

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