みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ――線の魔術
公式サイト:
https://www.ntv.co.jp/mucha2019/
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/
Bunkamura・ザ・ミュージアムにて。
今、がんばって半年前に行った展覧会の感想を、現在、絶賛消化中…
今回のミュシャ展は今までと異なる切り口から考察するものだった。
ミュシャの画業と、他ジャンルから見出されるその影響を追い、その魅力に迫る。
西欧(主にフランス。後にアメリカでも活躍しているが)活躍したのがポスター(広告)や書籍のイラストレーションという大衆向けのものだったためか、影響をうけたものもまたサブカルチャーだったためか、後世への影響について言及したものを今まで見たことがなかった。
だからこそ意義のある展覧会だと思っていたので、楽しみだった。
漫画の中でミュシャの影響を受けたものは枚挙にいとまがない。私の中では天野喜孝氏とCLAMPだった。
CLAMPは取り上げられていなかったが、天野氏と、かつて読んだ『日出処の天子』を描いた山崎涼子女史も取り上げられていたので満足。
ミュシャの偉業
後世への影響を知る前に、ミュシャの画業――その独自のルーツについて――を振り返る。
会場入ってすぐに展示されていたのはミュシャが幼少の時に描いた絵、スラヴや東洋の工芸品のコレクション。
8歳の時にミュシャが描いた《キリスト磔刑図》に見る敬虔なカトリックだった彼のアイデンティティ、東洋の工芸品に日本の浮世絵……ジャポニズムの流行という時代を反映した要素にも敏感に反応し、取り入れていることを伺わせる。
ミュシャは(欧米では)画家というよりイラストレーターとして活躍したイメージが強い。ミュシャ自身、民衆のための芸術でありたいと願い、大衆芸術というべき分野でその力を発揮した。実際、下積み時代の作品として展示されていたものは、本の挿絵(でもドラマティックな絵画調)や表紙だった。《『オー・カルティエ・ランタン』誌・表紙》ここにミュシャ特有の、女性の後ろ周りを円形に取り囲んだ――Q型方式と会場では呼んでいた――が既に現れている。
『サロメ』の主題好きの私にとっては、ミュシャの《サロメ》は意外過ぎて驚いた……当時流行していた魔性の女、妖艶な踊り子(少女)でもなく、褐色肌の健康的な若い娘だった。ミュシャらしさ、と言えるものは手荷物ハープ(?)や耳飾り、長い後ろ髪に編み込まれた円のモティーフだろうか……
『主の祈り』(※1)の挿絵の神秘主義的で中世写本のような装飾の美しさは、何度目にしても飽きない。翻訳されて一冊の本として出版してもらえないのだろうか?ミュシャの独自解釈の注釈付きらしい。
「我らを試みに引き給わざれ 我らを悪より救い給え」の件に相当するページは、意匠化した蛇が円形の罫線を描き、柑橘の枠となって祈りの文言を囲っている。下部の三日月型のエリアには、翼のような燃える炎と悪魔?を背に、凛とした女性(天使だったか?)がこちらを向いている。
彼を一躍時の人にしたサラ・ベルナールの舞台宣伝ポスター群。何度見ても、他の追随を許さない。
《ロレンザッチオ》《ハムレット》そしてすべての始まりとも言える、《ジスモンダ》を一夜で描き上げ、サラが気に入り専属契約を結んだという逸話と共に。
民衆の(ための)芸術という考えを持ち、アカデミックな絵柄を閉鎖的な世界ではなく、多くの人の目に触れるポスターや装丁を手掛けた。後任を育てるため自身のテクニックを惜しげもなく披露した『装飾資料集』など。
この資料集のおかげで、同時代の若手画家・イラストレーターに留まらず、後世の私たちもミュシャ風の作品を描き上げることができる…と言って過言ではないだろう。
外形は言語である[…]構図は画家がその強い思いをつたえるためのスピーチである
アルフォンス・マリア・ミュシャ
いつの間にかミュシャのその独特の形式には“Q型方式”という名称が付いていた。……初めて聞いた。この展覧会初の言葉ではないか?私は額縁効果の一環だと思っていたのだが。確かにその独自性は他にない表現だから、当然なのかもしれない。
Q型方式のルーツについて、私の中では未だ判然としないのだが……仏教美術やキリスト教美術に見られる後輪然り、ゴシック様式のステンドグラスのイメージもあると思うだが。
カウンター・カルチャー
一世を風靡したアール・ヌーヴォー(新しい芸術)も、時代遅れになってしまう……
写真の出現により絵画による写実性は独自性ではなくなり、新しい“表現”――あえて筆跡を残した印象派、ものの“捉え方”を解体し再構築したダダイズム、偶然性や人間の内面に目を向けたシュルレアリスムなど――に価値を置き、求められるようになると、ミュシャは忘れ去られてしまう。
大戦を経ての新しい時代にそぐわなかったのもあると思うが。
それが再び息を吹き返すのは、1960年代のカウンター・カルチャーだった。そこでミュシャの様式は幻想音楽――サイケデリック・ミュージック――のジャケットを飾る。優美な雰囲気とはかけ離れた、極彩色……サイケデリックな色彩となっていた。
インターネットも無い時代、模写をするだけでも結構な労力が必要とされた時代故か。トレス状態でも許されていたのだろうか……もちろん、リスペクトしたものも多数ある。
当時のロックのアルバム・ジャケットやポスターには、ミュシャ様式を真似たものが多く、なかにはまんま「引用」しているものも。直接のきっかけは、1963年にロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館でミュシャの大回顧展が開かれたことだと言われていますが、それだけではないような気もします。
ミュシャをはじめとするアール・ヌーヴォーの有機的な曲線や動植物模様は産業革命後に急激に進んだ機械化や都市化への反動ととらえることもできるでしょう。BS日本『ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック/特別編集 みんなのミュシャ Special』2019 p.47
山田 1960~70年代のヒッピー文化やサイケデリック・アートも、高度成長期の機械文明への反発でしたよね。そこがアールヌーヴォーと通じている。ミュシャを原色や蛍光色で描いたら、それだけでまんまサイケになりますからね。
BS日本『ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック/特別編集 みんなのミュシャ Special』2019 p.66
上記、書籍や番組『ぶらぶら美術・博物館』で山田五郎氏は解説されていたが、それだけではない気がする。
時代の空気に合わせて、自然への渇望を植物文様にしてミュシャは描いていたが、ミュシャは自然への情景だけを持っていた訳では無い。
‘アールヌーヴォーの芸術家としての手腕を発揮する一方で、性質の全く異なる種類の仕事もおこなっている。それは、平和への熱望や理想主義を掲げ、芸術家としての使命に燃える熱い一面を窺わせ(※2)’ていた。虐げられる立場から己(の民族の誇り)を肯定する……その集大成が2017年のミュシャ展で来日した《スラヴ叙事詩》だった。
‘「芸術は広く社会に奉仕すべきであり、それによって平和の実現へ向かう崇高な道を人々に示したい」というミュシャの理想主義的信念と野心とが表れている。(※3)’
カウンター・カルチャーは環境問題のみならず、あまたの社会問題に対する、改善、打開、さらに包括的な寛容さ――理想の世界――を求める運動、ライフスタイルの模索でもあった。
ミュシャの理想主義と、カウンターカルチャーの理念が、図像を介して無意識的に共有されたのではないだろうか?
日本のサブカルチャー
日本にアール・ヌーヴォーを広めた『明星』など、当時の文芸雑誌。そして現代のサブカルチャーへ。取り上げられていたのは主に少女漫画だったが、その分野以外にも影響をうけた絵師、漫画家が取り上げられていた。
中には「これはミュシャの影響を受けているのだろうか?」と疑問に思ったものにある。ビアズリーの印象が強いもの、女性の周りを花が囲み、ソバージュの髪がゆたう……
漫画はモノトーンが主体になるので、ビアズリーの方が親和性が高かったためだと思う。そしてビアズリー自身もアール・ヌーヴォーの系譜だし……ビアズリーはミュシャを意識もしていたと想像する。
それ以外、直接の影響ではないにしても、「文様のような髪」や「顔の傍を花々(や文様が)が囲む」という点がミュシャの系譜と見ていた。
山岸涼子《アラベスク》は様式がそのままミュシャ様式で、縦長の画面に装飾罫線と花、Q型方式に囲まれたバレエダンサーの姿。《迦陵頻伽》は、どちらかというと屏風絵のような風体だった。弧を描くように広がる羽衣がミュシャ風と見なされたのか……それはむしろ仏教美術から直接影響されているのではないだろうか?
天野喜孝《ファイナルファンタジーⅩⅣ 嵐神と冒険者》はゲーム中の嵐神・ガルーダが、冒険者の頭上から顔を覗き込んでいる。
ガルーダの白い翼が、画面における背面で円を描き、黒い甲冑を纏った冒険者にQ方形式をつくっている。金の背景に白い翼、そして黒い甲冑による、高級感のある色彩と神秘的な構図が幻想的な世界を醸していた。
「花の24年組(※4)」と呼ばれる、それまでの少女マンガの既成概念を覆した世代が、上記カウンター・カルチャーの影響を受けた世代について言及される。CLAMPが取り上げられていなかったのはその世代ではなかったからか……(そしてCLAMPは「花の24年組」から影響を受けているのだろう)
では何故、少女マンガとミュシャが結びついたのか……
上記のようなカウンター・カルチャーの影響なら、少年マンガに浸透しなかった理由があるのだろうか?
山田五郎氏は‘1970年代の日本における少女マンガの台頭もまた、男性原理が支配した高度成長への反動(※5)’だったことを挙げている。ミュシャは確かに女性を中央に据えている作品が多いが、それ故に女性性が強く、少女マンガと親和性があったと短絡的に見て良いのだろうか?
大塚英志『ミュシャから少女まんがへ』では、「花の24年組」の一人、水野英子女史が60年代後半の北米やヨーロッパの音楽シーンの“うねり”、そのジャケットを飾っていたミュシャの影響を受けたサイケデリック・アートに感化を受けたことを取り上げている。(※6)
だが、それよりもアール・ヌーヴォーが日本に輸入された時、文芸雑誌『明星』が取り上げたこと、そして『明星』が少女の内面を写す抒情的な表現を追求したことで、アール・ヌーヴォーの図像と少女の内面を描く抒情的世界観のイメージが、日本で親和性を深めたことを指摘していた。
一見、ミュシャとアメリカの60年代カウンター・カルチャー、日本の少女マンガは水野英子氏くらいしか接点が無いかと思ったが、そのつながりではなく、『明星』が日本にもたらしたアール・ヌーヴォーと抒情的世界観の結びつきが、少女の内面を描く「花の24年組」の漫画家らによって復興してゆく。直接的なつながりというよりも、日本国内で無意識で共有されていたイメージだったのかもしれない。
天野氏の作画との関連は、私にはわからないが、『ロードス島戦記』の挿絵を描いた出渕裕氏への想像は、『指輪物語』の挿絵を描いたアラン・リーの系譜――ラファエル前派とアール・ヌーヴォー――ではないかと想像してしまう。
ミュシャの後世の特にイラストレーションへの影響を学術的にまとめる試みは、私の知らなかった分野……カウンター・カルチャーへの影響を教えてくれた。
それはその場の流行り、物珍しさから強引に結びつけられたものでは決して無く、“自然への情景・回帰”や“理想主義”という、今を変えようとする情熱が共通していた。
また、男性原理の反発もあるだろうが、少女の内面――現実世界には映し出されない精神世界――を描きだす日本の少女マンガとも共鳴していることをまとめる良い機会だった。
- ミュシャを楽しむために:主の祈り
http://www.mucha.jp/lepatertobira.html - 堺アルフォンス・ミュシャ館『ミュシャのすべて』 KADOKAWA 2016 p.79
- 同上『ミュシャのすべて』 p.82
- 少女マンガの概念を変えた「24年組」をあらためて振り返ってみよう – Middle Edge(ミドルエッジ)
https://middle-edge.jp/articles/9xE0P - BS日本『ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック/特別編集 みんなのミュシャ Special』2019 p.47
- 大塚英志『ミュシャから少女まんがへ』2019 p.350
- 参考文献
- 堺 アルフォンス・ミュシャ館『ミュシャのすべて』 角川新書
購入はコチラ - BS日本『ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック/特別編集 みんなのミュシャ Special』
購入はコチラ - 大塚 英志『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』
購入はコチラ - #318 時代を超えて広がる魅力!「みんなのミュシャ」展~ミュシャ代表作×ロック、文学、マンガ…世界中のミュシャフォロワーと夢コラボ!~|ぶらぶら美術・博物館|BS日テレ
https://www.bs4.jp/burabi/articles/g5e6bqmi32i4mhl1.html