ルーヴル美術館展 日常を描く――風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
公式サイト:
http://www.ntv.co.jp/louvre2015/
東京での開催は終わってしまったけれど……
やっぱり書いておく。
日常風景というテーマのルーヴル・コレクションによる展覧会。
広大でコレクションの数も多いルーヴル美術館。
見るべきものが多数あり、全体の質も高いので、地味な作品として見逃してしまいそうなものも、こうしてピックアップされると新たな切り口から鑑賞できる。
作品には当時の装束、風俗を今に伝えている。更には思想や哲学、風潮も垣間見れる……
庶民の生活を知る上での貴重な資料として、当時の道徳律を垣間見るものとしても、重要なものだと思う。
下記、気になった作品の感想。
ヨハネス・フェルメール《天文学者》
2011年、フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展にて、《地理学者》を拝見したので、どうしてもこの作品を見ておきたかった……
《地理学者》との対であろう作品。
象徴物はこの時代においても骨董品だそう。
当時の天文学者の姿ではなく、 想像の学者の姿だという。
学者のモデルは、レーウェンフックと言われている。
私の中でのフェルメールの予備知識は下記に。
参考:過去日記北川健二『フェルメール絵画の謎の本質を読み解く』
依頼人の意向とフェルメールのイマジネーションが合致して、この作品は生まれたのだろうと想像する。
この絵の依頼人については記録が残っていないようだ。一体、どの様な人物だったのだろうか。
大航海時代の交易で富を得た人物による依頼の可能性が高い。
2011年の展覧会では、交易の富によって芸術も発展したこと、航海の技術についても言及があった。地理学も天文学も、安全に航海するには重要なものだ。
それらによって財を成したこと、飛躍した想像をすると交易により世界の覇権を得んとする思いを示しているのかもしれない。
そしてフェルメールはレーウェンフックを介してスピノザ哲学(神即自然"deus sive natura"/「全てのもの自然に神を見いだした時、神はその全てのもの自然に宿る」汎神論的)に触れている可能性がある。
「学者」という言葉に知識を通して精通しているものは支配しているような感覚を想像する。それが全能の神のイメージとリンクする。
聖書においても神は天と地を創りたもうた。
天と地、世界を支配するようなイメージと、世界に偏在する神のイメージ。
クライアントの要望に応えながら、ちゃっかり関心のある思想を視覚化した気がする。
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ《鏡の前の女》
二次元に三次元を表現する試みの作品。
凸面鏡に背面を写している。
これは「彫刻のほうが三次元で多角的に表現できるので、絵画より優れている」という意見への反論として描かれたもの。
絵画か、彫刻か――
この2つの優劣を競う論争は、画壇の歴史に度々起こった。
レオナルド(絵画)とミケランジェロ(彫刻)もそうだった。
最も、ルネサンス期の芸術は彫刻を差し、絵画は地位が低く位置づけられていた。それを向上させたのが、レオナルド(『絵画論』)。
参考:過去日記『ゲームは芸術になりうるか?』
この絵はそうした技術的な試みだけではない。
暗い背景に際立つ白く健康的な肌を露出させている。官能的な美人画だ。
鏡のある場所というのは、女性の部屋というイメージがあり、女性のプライベート空間を“のぞき見”をしているという感覚がある。
ジョゼフ=マリー・ヴィアン《アモルを売る女》
古代ローマで館の女主人に、下働きの女がアモル(愛の神・クピド。天使じゃない)を売りにくるという。
女は「おひとつ如何?」と籠から1人つまみ上げている。羽を摘まれている事に「やーん」と足をバタつかせていそうなアモル。
思わずクスッとしてしまう。
神話主題から離れて、画家の独創性が際立っている1枚。舞台風景のような構図。
官能的とも違う愛の寓意に、鑑賞していると心がほっこり温まる感じがする。
考古学ブームと古典主義の時代、背景はローマ遺跡をよく描写している。調度品などもよく調べてから描いたのではないだろうか。
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《二人の従姉妹》
微動だにしていない女性の後ろ姿に戦慄する。
表情が見えないため、様々な感情を想像してしまう。
ある風景を見ており、こちらに背面を向けている点では鑑賞者とおなじだが、それの心境は観賞を共にしている立場ではない。
フランス語での「従姉妹」は血縁関係だけではなく、女友達やレズビアン的なものも指すという。
三人の関係の構図、様々な物語を喚起させられる。
小さな作品ながら、男女の動きのある描写と、独り不動の対比が強烈な印象を与える作品だった。
他にも有名な作品が多数来日。
ムリーリョ《物乞いの少年(蚤をとる少年)》には細密な描写とドラマティックなライティング、過酷な現実とキリスト教の慈善精神を見る。
フランソワ・ブーシェ《オダリスク》は血色の良い肌が映えるように青い生地の上にうつ伏せで横たわる女性の、美しい尻に官能と感嘆を覚える。
ボリュームがある展覧会だった。