LES LIBERTINS

白黒イラスト素材【シルエットAC】
うん、やはり書いておこう。
私がクラブイベント自体初めてだったので、いつも以上に文章が拙いだろうが…

ブックサロンOMEGAイベント
http://www.omega-swiez.co.jp
宇野亜喜良氏のトークイベントがあるとの事だったので参加。

アンダーグラウンド、フェティッシュに関する古本屋主宰なので、ゴスの精神につながる分野のものが集まっていた。

LIBERTIN(リベルタン)
 元々は「信仰及び宗教的戒律に従うことを拒否して自由に振舞う精神」の意味。

この意味が転じて、性的に放埓である自由主義的な放蕩者、遊蕩者を指す言葉となった。

自由主義を最も重要視する為、性を遊戯化することが挙げられる。リベルタンの彼彼女らにとっては自由に遊ぶことが第一であり、妊娠や出産といった束縛的義務を齎すことは出来うる限り避けようとする。
また、同じ理由から、情熱恋愛に反対し、遊戯としての性の快楽を重視して、情愛的な要素を軽視、警戒する。
情熱的な恋愛に身を任せることは、自己の自由を失うことに繋がるからである。

完全に後者のニュアンスが強い。

途中参加なので、申し訳ない…
入った時にはパフォーマンスが既に始まっていた。
女装した男性…ドラッグクイーンの貫禄ある魅力に感動していた。

◆abilletage(アビエタージュ)ファッションショー。
http://www.abilletage.com/
ステージ上にある本を一冊ずつ開いてゆくと、各々の世界観が広がるというストーリー仕立ての演出が素敵だった。
ボンテージスタイル、コルセットのレディ、海賊服…
世界観を演じる要素としてのファッションを見た。
日本人の体型に合う上質なファッション向けコルセットを売っているブランドは少ないので、非常に関心がある。
今後、店舗展開があるのであれば、楽しみだ。

◆一鬼のこ氏による緊縛パフォーマンス。

「赤い紐じゃないんだ」

なるほど、ライヴイベント会場に合う、蛍光色のロープであった。

縄師の手際良さや、女性1人を持ち上げ、吊るせる技術は実に見事だった。重心が偏る事無く身体を縛っていることは、白い肌に紐の痕が目立たない事からも察しがついた。
縛られた女性の身体。
そこに私はハンス・ベルメールの《ウニカ》を見ようとしたが、男性的なそれは、《ウニカ》の女性性に相反する気がした。
最後には、モデルは縄に縛られた何かと言うより、宙に浮くオブジェのようになり、ブラックライトが当てられ光るロープのラインとともにくるくると回っていた。

◆DJパフォーマンス
踊り出す人達の躍動感、一体感があって良かった。(私でも)知っている曲が多かったので。

◆宇野亜喜良(アーティスト)×金守珍(演出家・映画監督)トークショー。
思いの外、短かったのが残念だ。
内容は“アンダーグラウンド文化とは何故生まれたか”そして“宇野亜喜良氏による寺山修司論”といった感じだった。70年代カルチャーにおいて“斬新なもの”を求め、“悪徳が持つ人間性”を表現したもの。その中で寺山修司は“虚構の中の真実”を描いた。それは例えば、詩の中で存命の母を死なせ、次第にその対象が父へと変容したことを上げながら。

◆「伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪」プレビュー試演
http://www.project-nyx.com/
トークショーの延長のようだった。寺山修司の‘女性だけによる美女劇として書いた、うそがほんとで、ほんとがうその、逆転が逆転をよぶ、ミステリー作品’はシェイクスピア『マクベス』冒頭“Fair is foul, and foul is fair”を思い出させた。
少女、醜女、空想の現実が交差する様。
短いながらも、そのレトロな奮起や幻想さ、そして宇野亜喜良氏のイラストが立体化した舞台空間に惹きこまれた。

リベルタン。言葉の意味に囚われるなら、完全に後者が強い訳だが、それは日本において致し方無い事でもあると思った。
日本にキリスト教的な宗教的道徳観には囚われていないのだから。
そんなことを考えながらも、私は新しく自身の由を発見出来なかった。

個人的な反省は、メイク濃くしないとドレスコードの部類に入らない現実を体感した事だった。

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