映画『鴨川ホルモー』感想

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JUGEMテーマ:映画の感想

 先週は、リアルタイムで日記が書けなかった…

今日は浅草三社祭に行ったのですが、それは後日改めて。
ただ、少しだけ関連性がある?内容という事で、別の話題を。

先週、『鴨川ホルモー』を観に行った。結局、観に行った。
『鴨川ホルモー』公式サイト
先日、ぼやぼや考えていた通り。

普通に面白かった。
普通の大学青春物語だった。

謎のサークル『京大青龍会』に主人公が下心で入り、“ホルモー”と呼ばれるオニを使役し戦う競技を通して、成長してゆく。

何故これを観に行ったかというと、
“無駄に馬鹿をしてみたかったから”
それが今回の映画鑑賞のテーマ。
実際『そんなお金払って観る映画では無い』と言われ、私もそう思って行った。

其処に深い哲学や思想は何も無い。

初めから大きな期待をして観に行った訳ではなかった。
期待していたものはCG。
綺麗でした。
オニの使役する人間によって現れる個性や、オニ達が得物を召喚する描写が。ちゃんと得物にも個性がある。

このホルモーという“競技”、個人的な解釈は“洗練されていない神楽”といった所か。

「かぐら」の語源は、「神座」(かむくら・かみくら)が転じたものとする説が一般的である。神座とは「神の宿るところ」を意味し、神座に神々を降ろし、巫女が集まった人々の汚れを祓ったり、神懸かりとなって神の意志を伝えたり、また人の側からは願望が伝えられるなど、神人一体の宴を催す場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったと考えられている。古事記および日本書紀においては、岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞ったという神話が神楽の起源であるとされる。アメノウズメの子孫とされる猿女君は宮中において鎮魂の儀に携わっており、このことから神楽の元々の形は鎮魂・魂振に伴う神遊びであったとも考えられる。

神楽(ウィキペディア)より引用

使鬼(私はこの呼び方の方が馴染むので、以下、ホルモーの鬼を使鬼と呼ぶ)を使い、競うのは数多の神々をお慰めするための神々への娯楽なのだという。
神社で男性陣が何故か『レナウン娘』を歌いながら、裸になったが…奉納舞という事か?
言うまでも無いとは思うが、天岩戸でのアメノウズメを思い出した。
故に神楽。
‘神楽しませ、神楽します己を楽しませ’…
日本の八百万の神々も、滑稽なものがお好きだ。

時に、そこに浄化作用がある。

もし、其処に注視すべきテーマがあるとしたらそれは、“潔さ”だろう。

この競技、使鬼を使役するだけに、反動が大きいらしい。
使鬼が全滅する事は好ましくなく、そうなってしまうと“罰”がある。
己の敗北を認め「ホルモー」と言わない事も問題らしい。
罪や敗北を認める事は、かくも至難の業か…

潔さが無い、つまり往生際が悪いという事。
それが個人主義では無く、自己愛から来るという事。
世の理というものかも知れない。
それがもたらす不和が次第に膨れ上がり、それこそ廻り廻って京の街に危機的状況をもたらしかねない。
映画ではそれは回避したが。何となくお粗末さまでした。
でもそれで良し。

自己中心的な人物像がそれこそ物語の中心になっていた…
唯一、サークルの人間像を客観的に見つめ、戦略的に使鬼を使いこなしていたのは、“凡ちゃん”こと楠木ふみだけだった…
それ故に彼女のキャラクターが輝いて見える。

潔く己を認めた時、彼らの中で何かが変わる。
そんな普遍的な物語だった。

欲をいえば、映画なのでもう少し“京の街らしさ”を出して欲しかった。
確かに吉田神社や京の大学、名所も出てくるが、それは非常に表面的な“記号”のようだった。
原作小説でもその程度の位置付けなのかも知れない。
しかし、京の街を使鬼を連れて文字通り“オニごっこ”をしても、あっという間に場面が過ぎてしまうので、スケールの大きさ、広範囲走り回っている印象が無かった…
これ見よがしに舞妓さんに遭遇するし……

おや?『鴨川ホルモー』だけでも意外と色々書けるものですね。

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