映画"Dracula UNTOLD(邦題『ドラキュラZERO』)"感想
公式サイト:
http://www.draculauntold.com/
http://dracula-zero.jp/
ドラキュラ像の変容総集編の映画だった。
私にはそこまで斬新なドラキュラ像ではなかった気がする……
否、“君主としてのドラキュラ(ヴラド3世)”にフォーカスしたファンタジーは初めてかも知れない。
ピーター・カッシング、クリストファー・リー主演『ドラキュラ(1958)』と、ゲイリー・オールドマン、アンソニー・ホプキンス、キアヌ・リーヴス主演『ドラキュラ(1992)』はブラム・ストーカー著『吸血鬼ドラキュラ』が原作の金字塔。
トム・クルーズ、ブラッド・ピット主演『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994)』は不死者の苦悩と葛藤を描いた物語。
ケイト・ベッキンセイル主演『アンダーワールド(2003)』はモダンなスタイリッシュ・ハイアクションなドラキュラ映画だった。
他のドラキュラ映画はB級、“吸血鬼という恐怖アイコン”のパニック映画、或いは恋愛葛藤映画が多い。
この映画のタイトルロゴの出現効果は、歴代のドラキュラ映画のそれを踏襲している。
先人のそれらに続く1タイトルである事を意識しているためだろう。
ドラキュラ無双
スケールでは日本の漫画『HELLSING』のアーカードに及ばないかも知れないけれど。
“吸血鬼ドラキュラ”となり百人力になったヴラド3世は、単身で1000人のオスマン帝国軍を迎え撃ち、全滅させた。
それらは一部描写され、後は死にゆくオスマン帝国兵の視界や銀の剣に映し出される、幻想的な描写だった。ゲームのようなスカッとする無双ではない。
夢か幻のような視点は、これがフィクションであることを強調しているのかもしれない。
史実を踏まえながらのフィクション
ヴラド・ツェペシュ(串刺し公ヴラド/ヴラド3世)は血に飢えた暴君ではない。
それを念頭に置いたドラキュラ映画だった。
ヴラド・ツェペシュの史実についてはニコラエ・ストイチェスク著『ドラキュラ伯爵のこと―ルーマニアにおける正しい史伝』(1980)を参照のこと。
絶版しているようだが、中公文庫からでている。
ヴラド3世が何故見せしめの串刺し刑をしたのか。
映画の中で狂気の恐怖が抑止力となる、一種の情報戦である事を会話にて示唆していた。
映画で細かく描写はされないが、オスマン帝国軍の兵士を串刺し刑にし、荒涼とした盆地に晒す。
これは史実である。
串刺し刑はヴラド3世が発案したものではなく、中世の多くの王、公が使用した。時代に則しているものだった。
ただ、他の公よりヴラド3世が多く用いたことも記録が示している。
内政でも外交でも、反逆者・侵略者に対してより厳しい態度(くり返すようだが、串刺し等の見せしめの刑罰は中世では普通だった)を取り、強い態度で中央集権化と他国に影響されない独立国家としての基礎を築いた。
こうした姿勢故、他国から血に飢えた暴君とした汚名を流布された。
それが歴史学者によるヴラド3世の姿のようだ。
これは映画、フィクションなので、史実にあるそうした政治的手腕にはフォーカスしない。
公(ヴラド3世)はまずすべての婦人・子どもたちを山岳に送り込み、ついで侵略軍が入手しないようにあらゆる物資を焼き払い、トルコ兵がなにものも探しえないようにした。(p.10)
“彼我両軍の桁はずれの兵力不均衡を知るワラキア公(ヴラド3世)は先賢各公の教えた戦術に拠った。公は侵略軍に対し国土を焦土と化し、トルコ軍が食料を求めて分散するのに応じて、これら小グループのトルコ軍を攻撃して戦果を挙げることを狙った(p.15)
ニコラエ・ストイチェスク著『ドラキュラ伯爵のこと―ルーマニアにおける正しい史伝』(1980)より引用。
しかし映画の中で、夜間、修道院に避難するため山岳の森を移動する領民(女・子供)がオスマン帝国軍に襲われた時、“ドラキュラ”の能力であるコウモリを使い撹乱、全滅させる描写も、これに基づいているのかも知れない。
話は逸れるが、決してキリスト教とイスラームの対立、宗教対立の報復合戦の話にしていなかった。
カトリックに改宗したヴラド大公の設定だが、彼は信仰をよすがにはしていない。『ドラキュラ(1992)』のように、信仰篤い故に絶望した、反キリストとしての“吸血鬼ドラキュラ”ではなかった。
昨今の事も踏まえてだろうが…そこがフォーカスされないように配慮したのだと思う。
それにしても、同じセム系一神教が対立構造を取るというのは皮肉なものだ。
“新しい”吸血鬼像とは何か
宣伝では“新たなドラキュラ像”“ダークヒーロー”といった趣旨の言葉があった。では、それは何か?
ブラム・ストーカー著『吸血鬼ドラキュラ』が、現代まで続く“吸血鬼ドラキュラ”のイメージを築き上げた。
「吸血鬼ドラキュラは大英帝国図書館から生まれた」という言葉を聞いた事がある。
ブラム・ストーカーはヨーロッパ各地に伝わる吸血鬼伝説やトランシルヴァニア地方のそれ、串刺し公の歴史を知り、『吸血鬼ドラキュラ』を執筆した。
“吸血鬼”と“吸血鬼ドラキュラ”のイメージの変容については、ジャン・マリニー著『吸血鬼伝説』(1994)が簡潔に纏めている。
余談だが、映画内でヴラド3世と取引をする、古から存在する吸血鬼は正に"吸血鬼ドラキュラ"という言葉とイメージが定着する前の”吸血鬼”像(生ける死者)に似ている。(ただし、生ける死者も吸血鬼も本来、悪魔の手先などではない)キャラクターとしての名前は明確にされていない。しかしその容姿に映画『吸血鬼ノスフェラトゥ(1922)』(疫病をもたらす者)を思い出さずにはいられない。
映画では、『ドラキュラ(1958)』でクリストファー・リーが「怪物ではなく不死者の哀しみと孤独をもったドラキュラを演じた」(※1)という。それはドラキュラ伯爵のイメージをひとつの到達点へと導いた。
そして『ドラキュラ(1992)』では、原作には無いミナとの輪廻転生越しのラブロマンスがあり、ゲイリー・オールドマンは愛/哀の生き物としての吸血鬼を熱演した。
上記より吸血による不死者の業と哀しみを背負い、女性との1対1の愛と官能のイメージが強くなった“吸血鬼ドラキュラ”。
この映画では、俳優たちの台詞に吸血鬼の何たるかは語られる。
歴代のドラキュラ映画からも、それにより定着した一般的なイメージからも、この映画にて改めて描写する必要も無いのだろう。
小説『吸血鬼カーミラ』あるような官能的な描写も、小説『吸血鬼ドラキュラ』のおぞましい怪奇の恐怖も、削ぎ落とされていた。
因みに、吸血鬼といえば頸動脈を狙って首筋に牙を剥くイメージがあると思うが、同時に首筋への接吻は“執着”を意味し、命の危機、恐怖と同時に官能的な仕草となり、それが吸血鬼の魅力となっている。
この映画は“家族愛”をフォーカスしていた。
死(タナトス)と官能(エロス)を内包したもの、信仰への反動や一国の主としての苦悩よりもはるかに。
それがこの映画における“新しい”吸血鬼像なのかも知れない。
“家族愛”とはただ安っぽいファミリー映画という意味ではなく、“父性原理”がキーワードのように感じられた。
男性原理と父性原理
ヴラド3世もオスマン帝国のメフメト2世も、規模は違えど領主である。
己の領地・領民を守らんとするヴラド3世。この映画は“男の戦い”の物語だ。
だがこの2人、似て非なる部分がある。
映画ではこの微妙な差を意識させられた。
メフメト2世は(歴史的にもオスマン帝国は領土拡張主義になっていたのだが)男性原理、則ち支配欲の象徴だ。
それに対するように、ヴラド3世は良き領主、理想の父親像のイメージを持って語られている。
この映画を観て私は男性原理と父性原理は違うものと考える。
もしかしたら、愛する女性・伴侶のの存在が、男性原理に対して何かを促し、父性原理というものにするのではないかと感じた。
(それは私が最近、女性原理について云々調べているため、強く意識されたのだが)
だが、少し調べただけでは、この2つは同義のように扱われているようだった。(私も以前の日記の一部で同一視していた……)
父性原理とは“「母子結合を支え」「母からの分離を促進し」「秩序感覚と現実感覚を与え」「構成力を与え」「倫理と社会規範を教え」「文化を伝える」(※2)”ことだそうだ。
例えば社会的責任のようなものだろうか?
支配し、搾取する男性原理ではなく、他者とのバランス感覚(敬意を払う、手を差し伸べて救うなど)を備えた社会的責任を父性原理としよう。(それについてはいつか書きたい)
ルーク・エヴァンス演じるヴラド3世は、息子を守るという妻・ミレナとの約束を果たし、息子に領主として民を想うことを言葉に伝えていた。
だが、ヴラド3世は過ちを犯してしまった。
最愛の人を失い、領民の殆どが死に絶えた。それを目の当たりにし、最愛の人の血を飲み、己と、死に瀕した領民達が滾らせる復讐心に応えてしまった事が業となってしまう。
映画の宣伝にも明言されている”HERO(英雄)”であり"MONSTER(悪)"は、歴史上のブラド3世も同じ。
吸血鬼ドラキュラのイメージは、これらを内包し、今後も変化するのかも知れない。永遠"UNTOLD"に
生ける屍、疫病を振り撒く害悪、孤高の不死者、愛に飢える者……
映画のラストは、昨今に続くモダンさがあった。何やら三つ巴の戦いのような予感がする……
『ドラキュラ(1992)』の続きのような、輪廻転生がありドラキュラに愛による救済があるのか、吸血鬼の業を断ち切るための戦いがあるのか。
そんな事を仄めかす終わり方だった。
- 森瀬繚,静川龍宗『図解 吸血鬼』
- 『父性1-1』http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/fusei1-1.html