映画『インセプション』考察

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:映画

※この日記は亜綺羅の“個人的な解釈”です。また、映画『インセプション』のネタバレを含みます。
※またも長文。

インセプション』を見て思い出されたのはヘルムート・ヤスコルスキー著『迷宮の神話学』についてだった。

迷宮の神話学

迷宮の神話学』はギリシア神話(オウディウス『変身物語』)のミノタウロスの迷宮~ダイダロスとイカロスの物語の読み解き方、味わい方を書いている本。
『迷宮』に纏わる12のキーワードから解いており、読みやすく面白い。

そのキーワードがこの映画のディテールとリンクする。
そもそもこの映画の中はこのギリシア神話の“迷宮”神話に準えているようだ。
参考:迷宮とミノタウロス伝説

まず学生の名がアリアドネ――迷宮神話のヒロインの名だった。
ミノタウロスの異父妹?にして英雄テセウスを迷宮から脱出させる“赤い糸”を託した、迷宮の王女。
そこからも彼女が夢と深層心理からの脱出のための導き手であることが示唆されている。

そして“迷宮”の定義。
迷路とは異なり、道は一線で、最大限に迂回し空間を隈無く廻ることを強いられる。

様々な要素が複雑に絡み合いながらも到達する目的がただ1つ、迷宮の中心に向かう事は映画の筋書きと同じ。

そう考えると『インセプション』をミノタウロスの迷宮神話に置き換える事で、理解しやすくなるように思える。

すなわち、
「夢と深層心理世界」が“迷宮”
「学生のアリアドネ」は“アリアドネ”
「主人公・コブ」は“英雄テセウス”である。
そして「コブの亡くなった最愛の女性・モル」が“ミノタウロス”という事にはなるまいか。
‘ちなみに「Mal」は、ラテン語で「悪」を意味する(映画「インセプション[INCEPTION]」徹底解説サイトhttp://inception.eigakaisetsu.com/index.htmlより)’という。

モルは、主人公コブの自責の念の産物、“心の闇”(すなわち悪ともとれる)である。
かつてモルに行った“インセプション”が引き金となり、モルは現実を否定し自ら命を絶ってしまった。それ故にコブの心に巣食った悔恨。

かれが迷宮の中心で発見したものは、自己自身のこれまでは隠されていた一面、かれが知らなかった自己自身のもう一つの次元であり、それを知らずして人間的成長はありえないのである。

ヘルムート・ヤスコルスキー『迷宮の神話学』より

迷宮神話においてミノタウロスはテセウスが斃した事になっている――
迷宮の中心、心の深層にたどり着き、自身の心の闇と対峙し、これを克服すること。
それが迷宮の担う一面、自己の確立へのイニシエーション(通過儀礼)の行為だった。
コブがここで心の中のモルを斃せたならば、彼はトラウマを克服、人間的成長が出来たかも知れない。
しかし、『インセプション』の中で彼女を殺したのはアリアドネだった。
この相違は何故か?
もしかしたら「アリアドネが託した武器」が「アリアドネの武器」に敢えて置き換わっているのかも知れない。

迷宮神話ではテセウスは帰還するが、『インセプション』における主人公はそうならない。
ここで『インセプション』の物語はダイダロスとイカロスの物語にシフトするように思える。
参考:ギリシャ神話 イカロス

この場合、アリアドネが最初は“ダイダロス”、コブが“イカロス”のように思われる。「必ずサイトーを連れて帰って!」と忠告し、去ってゆくがそれは成せているのかが解らない。

“ダイダロス”であるアリアドネは無事に上階にたどり着くも“イカロス”は落ちてゆく。

そして最深部――“虚無”の一幕となる。
ここでの配役は、私にはまだ納得がいっていない。
今にも倒れそうになりながら回り続けるトーテムのエンディング。
判然としない終わり方は、鑑賞者をこの『迷宮』に留めてしまうようにもとれる。
或いは、この物語が映画という『夢』に過ぎない事を示唆しているようだった。

最後が駆け足になってしまったが、今私が思いつくのはこんな所だ。

PVアクセスランキング にほんブログ村
大容量無料ファイル転送サービス【ACデータ】