花―死―人

白黒イラスト素材【シルエットAC】
 知人のレビューでワタリウム美術館で開催されていた写真展『歴史の天使』感想を読んで、気になっていった。
知人曰く‘これは花じゃないぞ! 息が出来ない。苦しい。死の匂いに窒息しそう。凝視するには、精神保護バリアーか鈍感さが必要。’との事。
それはメープルソープの作品。私も魅かれてしまった。
被写体は花である筈なのに、別のものが写っている。何故、死を想うのか。
それも、人の死を。

考えてみれば、花と人は関連付けられている。
花は美しい、可憐であるためか、特に女性の容姿の喩えに。しかし、それだけでは無いように思える。
私もそうだが、対面した相手に、花のイメージを見る事がある。
女性に限らず、『花=人』の図式があるのでは無かろうか。
花の形にその要因があるかも知れない。

まさに日本人は人間の身体を一つの植物として見てきた。中核がカラダ(幹)。手足は古くエダ(枝)といった。そして顔の中にメ(芽・目)が出、ハナ(花・鼻)が咲き、ミ(実・耳)を結ぶ。

「しごとの周辺」、『朝日新聞』国文学者・中西進氏のエッセイの一部
丸山 圭三郎『言葉・狂気・エロス』より引用

そして…強引だと思うが、花と人の間に、私はやはり死の匂いを感じてしまうのだ。
花が人そのものである、又は死して生まれ変わって花になる様な。

墓前に手向ける献花のイメージに由来するのかも知れない。

それだけではない。『花―死―人』の図式は古くから語られている。

ギリシア神話『変身物語』における、アドニス→ヒヤシンス、ナルキッソス→水仙のように。
グリム童話『なでしこ』でも願いが何でも叶う王子が花を少女にしたり、戻したりする。
これは受け売りだが、『断章のグリム』において、童話の王子が少女を花から人間に戻すのは“生き返る”ということである、という解釈があった。これにも『花=人』が前提にある。
因みに西洋での“なでしこ”はカーネーションの事。
母の日ネタ…には繋がらないか…
話を戻します。
夏目漱石『夢十夜』第一夜でも、死んだ女が花となって百年待ってくれた男の前に現れる。

花は枯れても、翌年の同じ季節に同じように咲くので、輪廻転生を想像しやすい。これも一因かも知れない。

彼らは死んで花となる。
死して生まれ変わる、又は花が人そのものというイメージ。

桜の木の下には 死体が埋まっている

本当に死体が埋まっている訳では無く、古より脈々と受け継がれているものがある事を示唆しているように。
そしてそれは桜に限らない。

ばらばらにちらばる花びら雫は紅

L’Arc〜en〜Cielの『花葬』はそのままのヴィジョン。
この曲を初めて聞いた時の戦慄は、『花―死―人』の元型(アーキタイプ)に直結していたからだろう。

花の下の死
花に包まれた死体

このヴィジョンに、私は斬新さを感じる事は無い。だが、それは甘美な安息のヴィジョンとして、私の中に存在している。

この季節、咲き乱れる花の下に何があるか、ふと、掘り起こして見たくなる。

以下、Web拍手レス


5月5日  1時
5月11日 1時

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