納涼企画 ~六部/六道考 弐
先日書いた話を踏まえて。
あれは何だったのか?
未だに解らない。
ここに書いたものも、結局確証は無いのだが。
まず、お経のような音を聞いたので、坊主の霊か何かだと思った。
しかし、姿を見た訳では無く、感じた気配から袈裟が擦れるような音はしなかった。
だから最初に思い至ったものは先ずこれ。
―六道―
六道(りくどう、ろくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと。
仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。なお一部には、天狗など、この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という場合もある(ただし、これは仏教全体の共通概念ではない)。
(ウィキペディア「六道」より引用)
夢を見たとした場合、“お経のような音”から坊主を連想し、坊主から仏教の教え“六道”を連想し、結果その象徴として6人の人物像を見たのではないか、というもの。
家から少し離れた場所に六道を表した“六地蔵”を祀る寺はある。
だが、これは当初から納得がいかない。
六道はダンテ『神曲』に表れる煉獄・地獄・天界の階層ではなく、前世の業(カルマ)からくる来世の状態であるし、それならあんな禍々しい印象だけを受けるとは思えないためだ。
天人の存在とか…
それから2,3年経って知った存在が一番近いように思えた。
―六部(六十六部)―
六十六部廻国。
日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者です。中世には専業宗教者が一般的でしたが、山伏などと区別のつかない場合も少なくありませんでした。また、近世には俗人が行う廻国巡礼も見られました。なお、奉納経典66部のことを指して六十六部という場合もあります。(「六十六部」とは何かより引用。)
やはり“六”という数字から関心を持った。
修験者であれば読経は出来るだろう。
且つ、彼らが“諸国巡礼”をする存在であるということから、何かしらの関連性があるのでは、と思った。あれから再び同じ体験をしていないため。
あれは偶々私の所にやって来た“通りすがり”の存在だったのではと思った。
諸国を巡った存在。
関東辺りが盛んだったようだ。
ネットで調べてみたが、足掛かりになりそうなものは見つからず。それに所縁のありそうなものは特に無かった。
私の検索能力、ここまで低くなったのか…orz
しかし興味深い。六道と六部。
どちらも“六”がつく。
この数字自体、意味するものが大きいようだ。
‘六部も六道もみな、うつせとまぼろしの中間人を指す。尋常でないものを指して「六」で表現しようという符牒’を指摘するものがあった。
これだけ。
それ以外の収穫は
1.近隣の坂では幽霊の目撃情報がある事(ただ、よく幽霊は坂に現れる。坂を昇るという上昇する行為、山岳信仰の表れか?)、
2.天慶年間での戦乱での死者5人が埋葬されたという事
だった。
あれから5年経った。あれに遭遇はしていない。
以下、Web拍手レス
8月12日 11時
8月15日 19時
Web拍手有難うございます。
詩烏さま
おぉ。早速読まれたのですね。
以外ですか?そうかも知れませんね。これを見つけた時、矢張り詩烏さまの事を真っ先に思い出しました。
シンプルな線のイラストと、黒と白の対比が印象的ですよね。あの絵本?(私が見つけたのは画集の棚でした)
お気に召されたようで、何よりです。死神に詳しい詩烏さまお目がねに叶うかと…ドキドキしていました。
思春期の頃に読んでいたら、今以上に感銘を受けていたかも知れません。
ご報告まで頂き、有難うございました。