映画『アバター』感想
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
遅ればせながら、新年のご挨拶を。
新年初映画。
『アバター』
http://movies.foxjapan.com/avatar/
感じる映画だった。
これは『THIS IS IT』でも使った言葉であるが、それとは全く異なる。
理詰めで語る映画では無いのだ。
年始早々、良作を見た。
言うなれば自然の調和を“感じる”映画。
遠未来の遠い惑星『パンドラ』で、原住民族『ナヴィ族』と『アバター』を通してそれを擬似体感する。
物語に出てくる地球人は破壊の限りを尽くす“エイリアン”である。
森の下にある“資源”とそれがもたらす“資本”しか眼中に無い“会社”の人間とそのためにナヴィ族を“武力制圧”を以て黙らせようとする軍人。
欧米の抱える――それは人類が抱える闇。
「ナヴィ族に英語を教え、薬や様々なものを提供したが、彼らは生活習慣を文化的なものに変えない」と憤慨する資本主義者。
その言葉に1970年代までアボリジニへの欧米化教育政策を思い出させる。もっと言ってしまえば日韓併合時の日本語教育の件も…
自身の文化を“優良”とし、それを押し付けるやり方。そこに原住民族への文化への敬意は無い。
環境問題、文化の相互理解の困難さ、我欲、止められない争い…
そんな問題提議と、一方的なそれに異を唱え戦う。
物語はそれこそ普遍だが、やはり理詰めではない。
これは見て“感じる”映画なのだ。
そして、この映画を観て“感じる”ことが出来るなら、人は“絆”による繋がりをまだ持っているという事ではないだろうか。
絆の繋がりの先が、自然であったり他人であったり。
解り合えるかもしれない、という事の。
ジェームズ・キャメロン万歳。
ネタバレ考察
<グレースの死の必要性>
アバターを使いナヴィ族の信頼を得ていた最初の人間であろう、女性科学者グレース。
人間の凶弾に倒れ、瀕死の重傷を負った彼女を救うために主人公・ジェイクはナヴィ族が信仰する、魂と自然の調和の意思である『エイワ』に委ねる。
しかし彼女の傷は深く、彼女は死ぬ。死の間際に彼女は呟く。
「エイワを感じる…」
グレースの魂が、エイワと一体になるような描写がされる。
このファクターは必要だった。
最終決戦の折、追い詰められたナヴィ族に力を貸すエイワ。
本来『エイワは自然の調和を維持するので、誰の味方にもならない』という。
にもかかわらずエイワが“戦いに力を貸した”のは、ジェイクが戦いの前にエイワと絆を結び語りかけただけでなく、死んだグレースが持つ、人類の自然破壊の記憶をエイワが見たためではないだろうか。
この描写が、このエンディングを“機械仕掛けの神”という三文芝居にしない。
ここで止めないと、森は焼き払われ、失われる。
人類は同じ過ちを繰り返すということの表現のようだった。