歓喜の歌
ゆく年 くる年 ですね。
早めに今年の〆を書こうとする私。
私は今年一年は、『実り多い1年』であったと思います。
“絵が好きな自分”を再発見し、自信を取り戻した事、
クリエイティブ業界に就職できた事…
1年半前には想像できなかった…
精神的に強く成れたかは、まだ解らない…何も変わっていないかもしれない。でも、今までよりも一歩前に進んだ事を実感として得る事が出来たと思います。
この時期になると、“歓喜の歌”を色んな所で聞きます。
日本においては年末恒例行事のようになったこの現象。
正しくはベートーヴェン『交響曲第九番ニ短調 作品125「合唱」』
ご承知とは思いますが、この“歓喜の歌”、人間の自由と人間愛を中心に謳っています。
某アニメ作品(伏字にならない/笑)のエピソードでもこの曲が使われましたが…リアルタイムでそれを見て、衝撃を受け、サウンドトラックにある『第4楽章歌詞及び大意』を読んで、私はそこに唯一神の賛歌と人類の兄弟愛を解釈していたのですが、最近になってそれ以上のものを得ました。
冲方丁の小説『ばいばいアース』において、物語の終盤にこの歌が声高らかに歌われる行があります。
それは、自己が“今 ここ(NOW HERE)”に在ることを宣言するように歌われていた…
この歌が、ドイツ人だけでなく、人類の、自己の存在を、自律を指していることにやっと理解がいった。
音楽CDの規格が、この“歓喜の歌”が基である事も頷けます。
Ja, wer auch nur eine Seele
sein nennt auf den Erdenrund!
(そうだ、 たとえ一人でも真の友をもつものも!/たった一つの心をも、自分のものと言えるもの!)
これが人間の姿だな、と今なら感嘆できる。
この歌詞の基となった『歓喜に寄せて』を書いたフリードリッヒ・フォン・シラーは、戦争と動乱の時代に自由を得るために脱走し、その後、自由を得て、情熱をもって「自由・平等・博愛」を語った。
それへの理解が出来た事も、今年、私の中の前進の一つ。
心に余裕が生まれたためか、
TV放映で何処かで“歓喜の歌”を放送すると思うので、今日は更に厳か気持ちで聞けそうです。本当は生で聴きたいのだけど。
今年も皆さんには、大変お世話になりました。
来年は、皆さんにとっても実り多い年でありますように。