映画『アリス・イン・ワンダーランド』感想

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『おかえり、アリス』

やはりと言うべきか、物語は『不思議の国のアリス』の後日談という設定である。
アリスについては度々書いてみたが、その根底を貫くのは、私が考えるファンタジー論に基づいてだった。

今回、ティム・バートン監督のこの映画に、今までとは少しずれた観点を見た気がする。
アリスはアンダーランドを通して現実と向き合うための力を得て帰って来る訳だが、過去の傷の克服ではない。

それは想像する力による抑圧からの解放であり、
自由になるための力を発動するためのものだった。

アンダーランドの住人は皆、極端である。
アリスは彼らを通して、現実の極端な抑圧から解放される術を身に付けたように感じた。

その中でジャバウォッキーはアリスの恐怖でも宿敵でもない。
決戦の場でジャバウォッキーは言う。
『私の敵はその剣だ』と。
ジャバウォッキーの物語は『鏡の国のアリス』の中でも独立していたように思う。それを踏まえているのかも知れない。
剣と竜の対立。
ジャバウォッキーの物語が『聖ゲオルギウスと竜』を元にしている…何かでそんな指摘を読んだ…そして忘れた……
参考:『聖ゲオルギウスと竜』
http://home.ix.netcom.com/~kiyoweap/myth/arms-weap/@st-george-martyrdom-encomia-j.htm
ジャバウォッキーの声がクリストファー・リーであることに大満足。

私にはこのジャバウォッキーという存在は謎だ。
ジャヴァウォッキーの詩は、翻訳で読んで、ただ英雄譚としてその物語を読んだ。単語の個々の意味が解らずとも。しかし、これが本来の英語で聞くとナンンセンス詩であるという事を知って、驚いた。
参考:『鏡の国のアリス』言葉遊びの翻訳
http://www.hp-alice.com/lcj/l_translation.html

マッドハッターは正当なる道化だった。狂人である賢者として。
陽気さは、家族を失った苦しみから起因し、その極端な感情の振れが“いかれ”の原因として描かれていてた。

白の女王は上品であるが、同時に下品である。
下品であるが故に上品をもって隠している。上品さというものが下品から来ているのを暗に指しているのかもしれない。
赤の女王が白の女王を嫌うのは、そのためではないだろうか?

赤の女王は、久しぶりにご都合主義ではない悪役のようにも思えた。
それは白の女王の存在故に。
アンダーランドの人物の中で一番哀れなのは、赤の女王だろう。
彼女は容姿にもコンプレックスがあり、周りの人物も装っていただけだった。
彼女は誰にも愛されない。
これは受け売りだが、『“赤の女王”は“ハートの女王”になりたかったのではないか?』と。
思えば赤の女王・白の女王は『鏡の国のアリス』におけるチェスの駒であるはずが、ハートのモティーフ(トランプの柄)である。
愛の象徴を己のものにしたかったのかもしれない、そんな想像が出来た。

色々とデ○ズニー色が強い訳だが、それでもティム・バートンらしさが出ている。同時に皮肉も。
白の女王の理念もそうだが、赤の女王とハートのジャックへの罰が“生かす”事の残虐性となっていた。

アリスが“アンダーランド”を間違えて“ワンダーランド”としていた事、細部のユーモアを踏まえて描いている。
それもティム・バートンらしいと思った。

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