深層心理のアリス
最近、私の中の“アリス愛”が復活した。
立て続けにアリスをモティーフとしたゲームを見たから、というのがある。
1つは『アリスインナイトメア』そして『歪みの国のアリス』どちらもホラーアドベンチャーに分類されるゲーム。ただし前者はパソコンソフトで後者は携帯アプリ。
『アリスインナイトメア』
http://www.japan.ea.com/alice/main.html
このゲームを通して、先ず思ったのは“ファンタジーの本質は変わらない”という事。
ふいに、引き込まれて、『不思議の国』を冒険する。それにより物語の主人公たちは生きる力を得るという過程があるのです。
両方とも、アリスをモティーフとしているだけではなく、“過去にトラウマを負った少女の深層心理”であること等、共通項が多い。
現実で気が狂いそうになる程の傷を負い、空想の世界へと緊急避難する。
そこで冒険をして、その経験と、現実を客観視する事で現実を生きる力、活力を得る。
この一連の過程は『不思議の国』に限らず、幻想文学には必ずある。『はてしない物語』然り、古典文学『ファウスト』『神曲』もまた、この過程を経ている。
不思議の国、空想の存在は現実逃避のためではない。
チェシャ猫は語る。
「みんなアリスが大好きなんだよ」
グリフォンが言う。
「みんなアリスの幸福を願っておるよ」
『アリスインナイトメア』も『歪みの国のアリス』もオリジナルの悪夢の表現を明確にヴィジョン化しているのだと思う。
深層心理の中にある、デストルドーが投影された心の中の友達。
それは反動のようにリビドー、生きる活力を呼び起こす。それを持つ本人に。
心の中の友達は願望であると同時に、それを思うその人自身でもある。
きっと内面に誰しも持っているもの。
少女アリスはそれらと対面し、冒険を通して生きる活力を得て、帰ってくると大人への階段を昇る。
どうも最近のアリス達は、大人に成るよりも、自身の存在、生死に関わる問題提議が色濃いように思われる。
それが無いと大人に成る事すら出来ない訳ですが。
思えば『不思議の国のアリス』が書かれた19世紀、精神分析・心理学の分野が出来た。それらとの関連性を指摘するものもある。
ただの現実逃避になってしまうと空想の世界は歪んでしまう…
場合によっては、そこから出られなくなり、破滅する危険性もある。
しかしそこで抜け出すきっかけを掴み、現実世界に戻れた人間は本当の命を手に入れる。
だからファンタジーは無くならない。+
そんなことを再認識したゲームでした。
以下、Web拍手レス
3月10日 23時
Web拍手有難うございます。