映画『ミスト』感想
GWに映画を観たいものの…イマイチ観たいものが無い…(『鴨川ホルモー』は観たいけれども)
久しぶりにレンタルで観る。
『ミスト』(2007年・米/2008年・日本公開)
スティーブン・キング原作・フランク・ダラボン監督
http://www.mistmovie.jp/
凄い映画でした。
…正直、感想が書けない。
其処に業は無く、1つの“現象”があり、其処で人間が“何を判断し、行動するか”が描かれていた。
主人公も誰も間違った判断をしていなかった。しかし、その結果が正しいとは言えない。
あまりにも“リアル”な物語。
最初、題名を聞いて『フォッグ』のリメイクかと思った。(しかしそれは直ぐ否定された。スティーブン・キング原作なので)
霧の中に何かがいる――
これが共通項だが、『ミスト』は『フォッグ』の様に怨念や復讐の意思でやって来るものたちでは無い。
霧の中から巨大な触手が現れ人を拐ってゆく――
喰われる。
それが何かは判らない。
怪物を見ていない“現実主義”の人々は濃い霧の中に消えていった。
スーパーに避難した人々は外で何が起こっているのか解らず不安に駆られる。
その中で土地の共同体の人間と繋がりを築けていなかった狂信的な女性は、皆の不安を煽動し、限られた空間において人の信頼と優越感を得る。
多幸状態に陥りながら“贖罪”の言葉の下、人々に一緒に避難していた軍人にリンチさせ、霧の中の怪物の餌食にさせる。
否、信仰・狂信の有無に関わらず、その狂気はふとした時に噴出する。
“人が人を裁く”という問題に。それは正義か、愚行か、それとも復讐か。
異常な事態に陥った時、人々は安心したいのだ。
ユダヤ・キリスト教圏の人々に身近な聖書の引用程“救い”のイメージに直結するものは無いだろう。
原因は軍による“レッドアロー計画”と呼ばれる異次元観察の暴走だった。
異次元を観察するために開けた“窓”が“扉”となってしまい、結果として異次元の生物がこちら側に来てしまった。濃霧と共に。
結局、神の裁きでも何でもないのである。
ただ、そういう“現象”なのだ。
夜間に巨大な昆虫が押し寄せ、続いて翼竜がやって来る。ガラスが割られ、スーパーの内部に侵入され、パニックになる人々。
しかし、よく見ていると翼竜はただ巨大昆虫を捕食しに来ただけなのだ。
「人間を襲う」という特定の意思、悪意を持っている訳では無い。
犠牲者は、生命のサイクルのうちに、捕食された。
其所から何を見出だすかは、人間次第なのだ。
狂信者が裁きと贖罪を見てしまった様に。
そしてその状態において、宗教は人々の救いに成らない。
スーパーに蔓延した狂気から主人公達は脱出を試みるが、狂信者との対立から、やはり死人が出てしまう。
そして濃霧の中、車に乗って出発する。霧が晴れる場所があることを願いながら――
私のお気に入り映画『サイレントヒル』もこのスティーブン・キングの原作の影響を受けていた。
因みに映画のエンディングは原作小説とは異なるそう。
監督がメールでのやり取りで承諾を得、完成した映画を観たスティーブン・キングもこの結末を気に入り、「執筆中にこの結末を思いついていればこのとおりにしたのに」と絶賛したとの事。
納得。