北川健次展「12の断片ー自動人形のいる夜に」
銀座・画廊香月にて。
http://www.g-kazuki.com/
~2016/4/16まで。
謎めいた語りえぬものの総称ーオブジェ。…この捕らえ難い存在は、時が停止した様な気配を帯びた画廊香月では、一層の不思議な表情を呈してくる時がある。 その一瞬のイメージのありようを、私は今回<自動人形>という言葉で捕らえ、 密なるこの空間に解き放つ事にした。オブジェとコラージュによる新たな交響が、これから始まるのである。
小さめの画廊での展覧会は今まで無かったように記憶しているので、ちょっと驚く。
<自動人形>という言葉に、身体論や球体関節人形、スチームパンクなど、安直な連想をしてしまったが、それらは無関係あるいは無意味なものだったかも知れない。
(でもコラージュのマチエールに使われている、バラバラにされ切り貼りされた絵画や写真の身体パーツを意識すれば、そう捉える事もできるかも知れない)
いつものように、気に入った作品の感想など。
《硝子考─四本の組まれた手のある》
絡み合うような4本の腕に惹かれる。
エッシャーのだまし絵のように、互いを補完しあっているような……
私には新約聖書の四福音書記者を連想した。
デューラー《福音書記者》のような、思索と対話、調和を象徴しているように思えたのだ。
タロットカードの「賢者」が象徴するものの1つが「手」であることも、それを強くさせた。
《0750─フィレンツェの夜に》
不思議な立体コラージュだった……
ドイツの標本箱の中に、鉄製の箱。
その下には「0750」という暗示的な数字のプレート。
その前に配された円筒形の物体は、古いコルクのように思ったが、それは古い(アンティーク?)乾電池だった。
これに一番惹かれた。
標本箱の中の、鉄の箱の中から、誰かがこちらを見ているような気がしたのだ。表本箱の硝子越しに……
それはぼんやりしたシルエットにしか見えず、印象からデューラー《自画像》をマチエールにしているのだろうか?と思った。
屋内の照明を硝子が反射していること、奥まった箱の中にあることで、マチエールがよく見えない。
それを見ようと、目を凝らす。
それは以前、講義で伺った、フェルメールのソフトフォーカスによるピンぼけ現象の状態と同じだった。
そのマティエールは、デューラーの《自画像》でもキリストの肖像でもなく、キリストの受難劇の一幕だった。
イギリスの骨董市で購入されたという、ガラス板に写された御絵のイメージはとても力強いものを感じた。
それも惹かれた理由の一つだったのだろうか……
「0750」という数字は、合計すると「12」であり、使徒の数とすぐ結びついた。
壁に掛けて展示されていたのだが、ギャラリーのオーナーと先生のご好意で、少し置き場所を変えてみたり……
それだけで印象がまた変わる。
持った時の重さと緊張から、手の上に載せて短い距離を慎重に運んでいたら、
「そんなサロメが首を運ぶようにしなくても(笑)」
という、粋なツッコミを頂いた。
それだけでキリストの肖像のイメージは、洗礼者ヨハネの首に、あっという間に変容した。
画廊彩月。
初めて覗ったのだが、銀座中央通りを2本裏の道にある、素敵なビルヂングの一室。
6畳くらいのスペースしかない場所に、先生の作品が壁一面に掛けてあり、好事家の空間といった趣を強くさせた。
最も、ビルヂングに入っているどの画廊もお洒落で、骨董屋も並んでいる。
昭和初期の風合いの残る内装は堅牢かつレトロで、モダーンな印象がそのままだった。
懐古趣味に浸れる、素敵な場所だった。
北川健次先生オフィシャルサイト
http://kenjikitagawa.jp/