映画『007 Spectre』感想
公式サイト:
http://www.007.com/
前作に引き続き、サム・メンデス監督がメガホンを取ったので、非常に楽しみだった。
だが……前作ほどの感動は無く、娯楽作品の印象が強かった。
『007』シリーズは娯楽作品なのだから、それで良いのだが、個人的な期待値も相まってか、物足りなさを感じてしまう……
しかし、映像が美しかった!
どれも計算されたアングル。メキシコシティの死者の日の祭り風景は、サイケデリックさが排除されている。
よく祭りや街の活気の中から物語が始まり、ジェームズ・ボンドが任務のために行動を起こすと、喧騒から離れ隠密行動に入るが、シーンが変わってセットたったり、屋内になって人気が無くなるパターンが多かった。
『スペクター』では、窓から屋外に出て石造りのバルコニーの淵を堂々と(笑)歩きながら狙撃ポイントへと向かう。遠景に喧騒があり、外と内を延長線上にあることを描写している。
祭に夢中な人々は上を見ていない。それで公共の場で密室的な空間となっている。粋な表現方法だった。
皆一様に、彩度を落とした色調、ヴィクトリアンスタイルを彷彿させる洗練された衣装を纏い、ヴェネチアのカーニバルを思わせる。
だからローマでの葬儀のシーンへ移っても違和感が無い。これを念頭に置いていたのではないだろうか?
ラテン系文化がではなく、暖色系の強い日差しを共通とし宗教が違えど死者への弔いがふたつの地を繋ぐ。
それだけでなく、その暗めの服の色は自然の明るく熱い日差しと蒼い空との対比を強くさせて美しい。そのセンスにも感嘆する。
“イタリアの至宝”モニカ・ベルッチがボンド・ガールとして出演と聞いてワクワクしたが、『マトリックス』シリーズと同じような脇役だった……しかしベッドに横たわるだけでも絵になる。素敵
全体の印象として、ジェームズ・ボンド個人のセンスが光る映画だった。
ユーモア溢れる言葉遊びのジョークもさることながら、毎回アイテムの質が凄い。それが『007』シリーズの楽しみでもあるのだが。
今回のボンド・カーであるアストンマーティンDB10(※1)然り、盗み出したお詫びが愛飲しているシャンパンのようだが、5億のそれと見合うのだろうか(笑)
歴代ジェームズ・ボンド愛用時計といえばロレックスのようだが、今回はオメガがスクリーンに登場していた。
その描写はレクター博士のセンスをよく描写していた、リドリー・スコット監督による『ハンニバル』に近い印象を受けた。
前作同様、ジェームズ・ボンド個人の内面にも迫るような描写も多かった。
多くを語ることは無いが、今回の敵はジェームズ・ボンドの義理の兄弟にあたる人物で、彼は父への愛情への渇望と、ボンドに対してアドラー心理学における“劣等コンプレックス”を抱いていた事を仄めかす。
それは前作での敵役がボンドと同じようにMを敬愛していたこと、寧ろエディプス・コンプレックスのようなもので、その反動として事件を起こした事を彷彿させる。
コンプレックスとトラウマを反動に行動する人物たち――
彼らはその傷を“克服”し、生きる力を取り戻すことができるのか――
映画終盤では破棄されたMI6本部の地下に行くと、赤い導火線が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
普段そこで練習をしたであろう、地下の射撃訓練場の的には過去に対峙した組織や斃した人々、死んでしまった愛する女性達や敬愛していた前作までのボス・Mの写真が貼られている。
己のトラウマに向き合いながら、最深部で斃すべき宿敵と対峙する――
これは度々指摘している、ミノタウロスの系譜(※2)が現れている。
迷宮から脱出するためにアリアドネがテセウスが託した赤い糸。
その神話に則しているかのように、導火線は赤い糸を思わせる。それを辿ると最深部から出口に、頂上に至り、愛する女性にたどり着く。
更に意匠は転じて、脱出と共に、トラウマという蜘蛛の巣に捕らわれていたのを断ち切ったかのようにも思える。
前作でジェームズ・ボンドは自分の仕事は「生き返るため」と言っていた。前作ではそれが果たせなかったのだろうか?
ジェームズ・ボンドの人間的成長、すなわち‘自己自身のこれまでは隠されていた一面’(トラウマ、死に瀕する事と等しい出来事)と再び対峙し、克服しなければならなかった。
映画の冒頭が“死者の日”の祭りであることと“葬儀”なのは、ジェームズ・ボンドが死(のような状態)から始まり、再生を目指す事を示していたのではないだろうか?
だから今時珍しく、予想外の大団円だったのかも知れない。
引退はジェームズ・ボンドの“新生”であり、今作ボンド・ガールであるマドレーヌをアストンマーチン・DB5(前作にも出てきたボンド・カー)の助手席に乗せて去っていく。
あるいは……監督は意図的に、前作よりも深い思索を排除しているのかも知れない……
それは『007』シリーズが娯楽作品であることを再認識する原点回帰のようにも思えた。
実際、前作同様、過去作へのオマージュにあふれている。“スペクター”は過去にも登場した、悪の秘密結社の名前だそうだ。
しかし気になって仕方がない。“スペクター”の組織の意匠が、何故7本足のタコだったのか?
MI6の今後はどうなるのか?
「もはやスパイの時代ではない」と言われながらも、スパイが新勢力(勿論、成立しては困る勢力だったが)を破壊する。
機密重視のスパイを象徴するような堅牢な石造りの外観から、情報の透明性を象徴するような開放感溢れるガラスでできた建物の対比が象徴的だったが、どちらも脆くも崩れ去った。
では、新しい時代に則した国防の在り方と、国家間の和平とは何であろうか?
それが何なのか、鑑賞していて酌めなかったのは私の思慮が足りないのか、戸田のなっちゃんの字幕に頼りすぎていて大事なことを聞き逃したのか……
ダニエル・グレイグによるジェームズ・ボンドが引退を作品の中でも描写したので、いよいよ次世代ボンドが誰なのかも気になるところ。
色々と話題に事欠かない。
常に時代を映しながら変化する映画『007』シリーズ。今後もたのしみだ。
どうでもいい視点:
ダニエル・グレイグ、今回は本編で一度も服を脱がなかった!
- 『007』最新ボンドカーが銀座に!推定5億6,000万円のアストンマーティンDB10
http://www.cinematoday.jp/page/N0078262 - 【過去日記】『Golondrina-ゴロンドリーナ-』に見る神話 ――『ミノタウロス退治』と“生きる”事