映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』感想
公式サイト:
http://www.herbanddorothy.com/
待望の続編。
前作ではアートとの付き合い方、夫婦のライフスタイルを感じさせるものだった。
だが今回は、美術館に寄贈された作品たちのその後を追う事でヴォーゲル夫妻の功績がどの様なものであるか、また現代アメリカのアートシーンを垣間見れるものだった。
【過去日記】映画『ハーブ& ドロシー アートの森の小さな巨人』感想
キュレーターの解説、美術教育の現場
キュレーター(学芸員)やボランティアによる作品解説ツアー。日本の美術館でも、こうした試みは大分定着したと思う。
子供らは持てる知識や直感をもって、自由な発想で現代美術に接してゆく。
「この作品に名前をつけてみて」と言うと、十人十色の名前が出てきた。
大人たちは「変なの」「こんなの子供でも描ける」と言いながらも、詩的な部分で共感したり、持っている知識で作品を理解しようと模索する姿勢があった。
悩みはティーンらの無反応……この傾向は日本だけではないようだ。
思春期特有の他者の目を気にする牽制や、持っている知識故の固定観念から来ているのだろうから……それを解きほぐすことが必要なのかもしれない。
これは今後の課題だろう。
美術館の連携
寄贈したコレクションはインターネットを活用し、連携・データベース化されている。
http://vogel5050.org/
これは画期的な試みだった。
コレクションの分散というのは、これまで転売や盗難が起こりやすくなりコレクターの意図が分かりにくくなってしまう等、ネガティブイメージがあった。
だが各州に寄贈することで作品がお蔵入りになる事を防ぐというメリットがあった。これは映画内でも強調されている。
また、インターネット上でコレクションである事を保つという活用法、それにより各美術館の連携が生まれるという興味深いプロジェクトになっていた。
それにコレクションの知名度が上がれば都市部以外の美術館の認知度も上がると思う。
インターネットによるコレクションのデータベース化と一般公開は著作権の切れたものが多いように思うが、モダンアートの写真が載るというのは画期的な事ではあるまいか?
クラウドファンディング
この映画で話題になったもう一つの出来事は、クラウドファンディングにより上映を実現したことだろう。
前作での監督のトークショーでは資金調達に苦労した旨を話されていた。上映に関しても確か口コミ等によるロングランヒットにより、上映館を拡大していった経緯があった。
購入型での参加は映画をPRするにあたりそれだけの収益が見込めるというアピールにもなるし、ファンとしても資金面で映画が頓挫した…という悲しい事態にならない。
画期的だった。
今、もう1つ気になっている映画『ペコロスの母に会いに行く』もまた、同じような仕組みで個人・法人の協賛を募っている。
当たり前だが映画を製作するのも上映するまでにも多額の資金が必要だ。宣伝広告費に上映の会場費など……
作品がヒットすれば多額の利益がもたらされる一方、興行が不振に終わった場合には大きな負債や関連商品の不良在庫を抱えるリスクが存在する。(旧スクウ○アが『フ○イナル・ファンタジー』の映画化をした際、興行成績が振るわず、特別損失を計上した。)
そのリスク分散のために「製作委員会方式」を取るのが常だった。
クラウドファンディングは上記に対し新しいビジネスモデルにもなるのではないだろうか?
余談だが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』も異例な体制だ。制作委員会方式をとらず、庵野監督が設立した会社「カラー」が製作・制作から配給・宣伝まで一貫して受けもっている。(配給はクロックワークス、ティ・ジョイと共同)これが出来るのは、ファンの支えもあってだと思う。
グッズ販売に限らず、コラボレーション商品による収益も大きいだろう。
‘エヴァンゲリオンは根強く、安定した支持者数とバランスの良い男女構成比を持っている為、プロモーションに利用しやすい’そうだ。
それ故にコラボレーションをする企業側としても「カラー」としてもメリットがある。確実な収益を見込め、映画宣伝やファンへの話題作りにも繋がっている。
『エヴァコラボが乱発している本当の理由は?』
http://tamenaru.biz/%e3%82%a8%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%9c%e3%81%8c%e4%b9%b1%e7%99%ba%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e7%90%86%e7%94%b1%e3%81%af%ef%bc%9f/
これは単純なお金儲けだけではなく、良い作品を作るためには多額のお金がかかる、という事も念頭に置いて欲しい。
“売れるため”のものづくりではなく、“ファンを楽しませるため”のものづくり。
これが理想、ではなくようやく見直す時期に来たのではないだろうか。
夫婦の姿
そしてヴォーゲル夫妻にもスポットは当たっている。
晩年のバーブ氏は寡黙になっていらっしゃった。
何処となく、遺品整理のような――余生をどう生きるかが暗に示唆されている気がした。
以前、佐々木監督のトークイベントで、ヴォーゲル夫妻がもう精力的にアートをコレクションしてはいらしゃらない事は伺っていた。
体力の衰え等からヴォーゲル夫妻はニューヨークのギャラリーや個々のアーティストのアトリエを訪問する事は止めたそうだ。
高齢者の医療や介護問題も言及されてはいないが意識せざるをえない。
私は映画公開直前に知ったのだが、ハーブ氏は2012年に他界されていらっしゃった。
ドロシー夫人はもうコレクションはしないと、(ハーブ氏との)共同制作のようなものだから自分の主観だけでコレクションをして雰囲気を壊したくない。と本編では答えていた。
ヴォーゲル夫妻がくれたもの。
私たちに素敵なきっかけをくれてありがとう。