映画『チェイサー』感想
今月は、色々と映画を見ていることに、驚き。
美術館も行きたいのだが…
映画『チェイサー』を観に行って来ました。
http://www.chaser-movie.com/
biglobeの映画評論で、星4つ半だったと聞いて、薦められて観に行ったのですが、その評価に違わぬものでした。
http://cinesc.cplaza.ne.jp/db/review/mo6800/
またしても、“凄い映画”でした…
『チェイサー』のあらゆる“描写”が凄かった。
天候や土地、全てが物語と入れ子のように繋がり、象徴的に展開される。
街では連続猟奇殺人事件が起こっている頃、元刑事でデリヘル嬢の斡旋を生業としているジュンホは、彼の元から行方をくらませた2人の女の行方を探っていた。その手がかりを握る男を見つけるも、探りを入れさせたデリヘル嬢ミジンも失踪。だが偶然ジュンホは疑惑の人物ヨンミンを見つけ、捕獲する。すると警察でヨンミンはとんでもない告白を始めた。「女たちは自分が殺した。そして最後の女はまだ生きている」と――
そして、またしても感想など。
韓国の夜の繁華街。
ただ目立つだけのネオンが煌めき、ピンクチラシがまかれていく。欲望の生臭い臭いが立ち込める。
その醜悪な雰囲気。
物語の冒頭から不穏な空気が漂い、殺人が起こる。
それ故に、この物語が余談を許さない緊迫感がある事が解る。
話題となった住宅街でのチェイスも、緊迫感がある。見失ったら、どうしよう…そんな不安と焦燥感に煽られる。
その緊急性にも関わらず、元締めのジュンホも警察の対応も何処か後手後手になってしまう。
ヨンミンはミジンが辛うじて生きている事を告げるが、それ以上隠れ家の所在を告げず、警察も彼女を“既に死んでいる”と決めつけ、死体捜査と動機解明に勤しむ。
全てを隠す夜の闇や、迷走を表す迷路のような住宅街も印象的だが、
雨も象徴的だった。
被害者の悲鳴をかき消してしまう雨。
犯行の証拠を洗い流してしまう雨。
先を見通させぬブラインドのような雨。
悲鳴、悲しみ、涙の代わりの雨。
犯罪、殺人は暗闇の中で行われ、住宅街は迷宮のよう。
雨が全てを隠し、洗い流してしまいそうで不安になる。
正に鍵となる手掛かりの“鍵束”は数が多すぎて、中々真相に辿り着けない。
証拠不十分で犯人は釈放され、警察が尾行しているにも関わらず、白昼新たな殺人が起こってしまう。
雨だけでなく、真昼の強い日差しさえも、人の眼を眩ますのか。
絶望感に包まれたジュンホの、通りすがりの男の顔が犯人と被ってしまうもどかしさ。憤りが募る。
落ちぶれた元刑事・ジュンホも、最初は厭味な人間であるが、ミジンの娘との心の交流が僅かに描かれる。その些細な描写が、非常に重たく感じる。
母親が死んでいるかもしれない恐怖の中で、気丈に振舞う少女。
最初は煙たがるが、次第に守ってあげようとするジュンホ。
その僅かな希望の描写に惹かれてしまう。
ジュンホとヨンミンの何度目かの邂逅――
殺人の起こった現場の家にあった水槽には、女の首が。
それまで血の流れた、凄惨な死体の描写が垣間見れた中で、それは異様な程美しい。
その狂気に飲まれそうだ。
そこに潔白な正義は無い。
希望を見出だす事も出来ない。
疲れ果てたジュンホが、ミジンの娘の小さな手をとり、大きな溜め息と共に、壁に寄りかかる。
これから、どうするのだろう?
韓国の闇の部分というよりも、犯罪の深淵そのものだった。
物語の序盤、市街視察をする市長に排泄物が投げつけられるという、何処か滑稽な事件が起こるが、その不潔さは物語全体に形を変えて流れている。
猟奇殺人鬼のヨンミンも、迫真の演技だった。
ヨンミンの人物像も、狂気に彩られている。
“自分がいない”ように映るのだ。
殺人の詳細を問い詰められても、「はい?」と、まるで自分に声を掛けられた事がわからないように振舞う。白々しくする訳でもないように。
ジュンホの聞き込みや警察のプロファイル・精神分析で、ヨンミンの性的問題や傾向、殺人の動機が憶測されるが、それは“憶測”の粋を出ない。ヨンミン自身の口から自白は得られていないからだ。
殺人の現場となる家屋も、ヨンミンのものではなかった。彼の生活感は何処にも詳しく描写されていない。
結局、第三者にも、事件の関係者にも、殺人鬼の心の深淵の闇に近づく事も、理解する事も出来ないのだ。
ナ・ホンジン監督は映画監督としては新人との事だが、とてもそうとは思えない程の出来映えだった。
ハリウッドがリメイク権を獲得し、ディカプリオ主演で行うそうだが――
果たしてこれ以上のものが出来るだろうか?
反語。