映画『キングスマン』シリーズ感想
公開当時、この映画に関心を持っていなかった。トンデモ武器やジョークさに時代遅れな印象を持っていたためだ。
丁度、映画『007』シリーズ50周年企画作が公開され、洗練されリアリティを追求したものに重きを置いている方が斬新だった。
今年のお正月映画として続編の公開もあり、『KINGSMAN THE SEACLET SERVICE』を観たところ……衝撃的な作品だった!!
これがきっかけとなって、劇場に足を運んだ次第。
……前作程の大きな衝撃は無かったけれど、新旧ガラハッドの連係プレイに隙は無かった。
以下、ネタバレあり
KINGSMAN THE SEACLET SERVICE ――階級社会への皮肉
公式サイト
http://kingsman-movie.jp/
良い意味で、『007』のハイテクとユーモア、『オースティン・パワーズ』のポップな色味を取り入れている映画。コテコテのイングランド・カルチャーだった。
諸々、わざとらしく“イギリスらしさ”を象徴するなものが現れてくる。
『007』でも”イギリスらしさ”を表現していた。それは場所などで表現され暗示的・象徴的なものだったが、『キングスマン』はもっと生活に密接なカルチャー寄りだ。
諜報部員の基地となる場所が仕立て屋。ギネス(…はアイルランドだけど)にスコッチ(…はスコットランドだけど)、紳士の嗜みとしてのスーツに葉巻(最近は禁煙キャンペーンと規制もあって、喫煙シーンは少なかった)など。
キングスマンのメンバーのコードネームは言わずもがな『アーサー王の死』などに代表される、円卓の騎士達に由来する。でも文学的な示唆、物語を踏まえた暗示を持たせている訳ではなかった。
格差社会
イギリスが階級社会であることは有名な話。今もそれは変わらない。
それが物語の真相の一端を担っている。
「世界がちっとも良くならないのは、人類が多すぎるためだ」
投資家・ヴァレンタインの世界を良くしたいという思いはなかなか上手くいかない。
投資をしてもそれは即効性のあるものではないし、必ず何かの弊害――多くの人間の利害に纏わる駆け引き等―ーによって頓挫するのだろう。
ヴァレンタインは失意と怒りからか、発想が選民思想となり、彼が線引きした世界に対して役に立たず数が多い低所得者層を大量虐殺することを目論む。
ヴァレンタインの考えとは別に、富裕層は特権への執着と保身から賛同し、別の場所で低所得者層は置かれた境遇は搾取されたためと、互いの不満を相手に向けている。
双方ともに特定の相手に直接ぶつけるものではなく、抽象的で匿名な存在としての富裕層、低所得者層に対してだが。
片田舎の教会で低所得者層を煽る神父(牧師?)と熱気を帯びた人々の姿に、前回のアメリカ大統領選、トランプ氏の選挙活動の光景を見てしまうのは私だけだろうか?
Manners maketh man
Manners maketh man.(※1)
良い言葉だと思った。この言葉は富裕層と低所得者層双方に向けられている。
前述の階級社会に囚われ互いに非難し排他的になる人々に対を成すような、紳士の哲学。
生まれ、家柄の問題ではなく、教養や礼節を身に着けることが人間(紳士)であると。
低所得者層の人間はヴァレンタインの陰謀で礼節を失い攻撃的になり殺し合いをはじめてしまうが、主人公の一人・エグジーの機転から(偶発的に)鼻持ちならない金持ちと特権階級にしがみつく人々の頭が爆発する……!
イギリスを代表する作曲家・エルガー(※2)の〈威風堂々〉に合わせて 展開されるこの痛快なシーンだけで、全てが吹き飛ばされてしまった……
KINGSMAN THE GOLDEN CHERCLE ――麻薬問題をどう扱いたかったのか?
公式サイト:
http://www.foxmovies-jp.com/kingsman/
前作に比べて、大きな衝撃は受けなかった……
それにツッコミ所が多い。色々なフラグ回収――細かい設定の一貫性に乏しかったため。
コテコテのアメリカンポップ&ウェスタン・カルチャーだったが、散漫な感じだった。
アメリカの、時代も背景もバラバラな文化のパーツをつまみ食いしているようで洗練さが足りず、イギリスとタメを張れない。
諜報部員とそれらカルチャーが結びつかないためだろう。
さらに「弱者(低所得者層)を切り捨てる強者(富裕層)」という前作からの設定を踏襲しようとして、失敗した気がする。
- イギリスを代表する文学の名前からとるキングスマンの諜報部員に対して、酒の名前という単純さが安っぽい。
- キ ャラクターの扱いが雑である。紅一点ランスロットやハル・ベリーがもっと活躍して欲しかった…!
- ゴールデン・サークルという言葉にゴールド・ラッシュへの暗示かと思ったが、24金の入墨の意匠に意味的重みは無かった……
依存症問題
用意周到なヴァレンタインの計画内容と比べ、今回の悪役・ポピーの動機は非常にお粗末だった。
それは違法麻薬を合法化することで、億万長者としての名声を手に入れたいとするもの。
「酒類は合法なのに、何故、麻薬は違法なのか?」
そこから麻薬問題が提起されるが、それに対する明確な回答が用意されていない。
社会に蔓延する問題をクローズアップしているけれど、問題点や改善するための試みであれ、煮詰められていなかった。
せいぜいがウイスキーで財を成し諜報部の資金源としたステイツマンとの対立構造を暗示させるに留まっているように、私には感じられた。
なぜなら麻薬の問題とは依存症問題でもあるため。
依存症――特にアルコールに関する――問題はアメリカでは身近な、映画業界でも馴染みのある問題だった(※3)はず。にもかかわらず、アルコール依存症ついては全く言及されていなかった。
麻薬に毒物を仕込み、それを摂取した世界中の人々の命を人質として米国大統領に条件をのむよう要求するポピー。
しかし大統領は麻薬常習者と違法組織を一掃する好機と捉える。
麻薬カルテルのキャラクターや常習者(薬物依存症患者)がアンダーグラウンドな存在に限られているため、余計に大統領秘書官の進言が結びつかない。(結局、領秘書官が使用した薬物も、理由はどうあれ違法なものだった。)
医療用麻薬などの正規ルートに入り込んでいる描写が無ければ、非道さや危機感が募らないように私は感じた。(厳重に管理されているそれらに、ポピーの怪しい麻薬が入りこむような描写は無かった訳だが。)
ちなみに薬物であれ酒であれ、依存症は明確な治療法が未だ確立されていない。それに一言で“依存症”といっても、そのタイプは様々でアプローチの仕方が異なる模様。
デイミアン・トンプソン『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』では依存症を環境要因――4つの「入手しやすさ」(物理的、心理的、経済的、社会的)――から指摘していた。薬物も酒も。だが、麻薬には種類によって断ちやすいものと異常な執着をもたらすものがあり、一概には言えないという。(※4)
『ゴールデン・サークル』ではワクチンが配布され「もう麻薬はしない!」と大団円で終わるが、依存症そのものの解決には至っていない……
前述した階級社会に関連して、コモンクラス(一般市民)とハイソサイエティ(上流社会)では、実はテーブルマナーも異なるらしい。(※5)そのため、テーブルマナーで身分や教養が計られてしまうとか。
回想で表現されていた、先代ガラハッド・ハリーのテーブルマナー講座。ナイフの持ち方を指南しているやりとりが前作の雰囲気を想起させて微笑ましい。
前作の“Manner maketh man”を一貫して欲しかった。
今回は“なんちゃってマナー”に留まっていることが残念。グラスをキンキン鳴らさないで。耳障りだから。
- ひさしぶりに映画。「キングスマン」がおもしろかった! : Keri先生のシネマ英語塾
http://blog.excite.co.jp/kerigarbo/24705991/ (2018/2/11確認) - エドワード・エルガー(Wikipedia / 日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・エルガー (2018/2/11確認) - 高橋祥友『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画』
- 依存症を環境要因と解釈している『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』で挙げられた麻薬はヘロイン。ベトナム戦争時のアメリカ兵が現地でヘロイン中毒になるが、帰国後(ヘロインが入手できない環境になって)それを克服していることを紹介。
『ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 【特集】脳科学で克服する依存症』では、コカインによる脳の報酬系( https://ja.wikipedia.org/wiki/報酬系 (Wikipedia / 日本語) 2018/2/11確認 )と呼ばれる機能に作用してしまう点と高い依存性に言及。依存症患者はコカインを摂取しない環境にいても忘れられず、再び手をだしてしまう傾向があることを紹介。
上記から、私は薬物依存症は環境要因だけではないと解釈している。
- 藤枝理子『もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-』