ターナー展
公式サイト:
http://www.turner2013-14.jp/
上野・東京都美術館にて。
~2013/12/18まで。
デミアン・ハーストで知ったターナー賞の由来となったこの画家の事をよく知らず、予備知識が無いまま観に行った。
イメージとして持っているのは“海”と“風景画”の画家である、という事だけだった。
前半の水彩画には曇天の空。
イギリスの地を踏んだ事が無い私は、その気候を肌で感じた事が無い。
しかし霧の都という言葉は知っているので、晴れる事は稀なのだと思う。
湿気のある空気が絵から伝わってくる。
水彩で試行錯誤?されたシリーズには、後世の人によりタイトルが付けられていた。
映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』を観た後だったので、私ならこの絵にどんなタイトルを付けるだろうか?と考えていた。
イタリアへ行った後の彼の画風は明るく、世界は光によってホワイトアウトしてしまうようだった。光により建物や人物の輪郭は暈けてゆく。
シャガールも晩年は白い絵具を多用した絵を描いていたが、それに近い気がする。
或いはダンテ『神曲』の天国篇のヴィジョンの様だ。
フェルメールの光の表現がオランダの天候に起因する光への飢餓感から来ているのなら、この画家もそうなのだと思った。
以下、気になった絵画について。
《ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ》
この絵は面白い。
広角レンズで撮ったような描写だ。この当時、まだ広角レンズは無かったと思う。
斬新な表現ではないだろうか?
ラファエロが手掛けた廻廊の装飾とサン・ピエトロ広場を観られるという、カンヴァス同様ダイナミックな作品だ。
緻密な建物の描写はターナーが得手とするものだったらしく、それを遺憾無く発揮しているようだった。
《戦争、流刑者とカサ貝》
セントヘレナ島のナポレオンを主題にした作品。
島に幽閉された孤独の心象風景を表したものだろうか。
不可思議な世界だった。
日没の赤は美しくも戦慄を覚える。
発表された時のキャプションには、下記詩が添えられていたそうだ。
Ah! thy tent-formed shell is like
A soldier’s nightly bivouac, alone
Amidst a sea of blood
____but you can join your comrades.—Fallacies of Hope.
'War. The Exile and the Rock Limpet’,Joseph Mallord William Turner | Tate
ああ!兵士の野営のような
テントの形をしたおまえの貝殻が
血の海で唯ひとり
――だがおまえたちは仲間たちと一緒になれる。
横に並んで掛けられた《平和――水葬》とは対の作品である。
友人の画家の水葬の場面。
暗い画面に浮かび上がる黒い帆船はまるで幽霊船のようだ。
参考:『ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー 平和-水葬』
http://www.salvastyle.com/menu_romantic/turner_burial.html
失念して絵葉書を買いそびれてしまった…
戦争と平和、明るい色と暗い色、暖色と寒色の対立を表現した作品たち。
平和と題された作品でも観ると不安になり、しかしながら敬虔な気持ちにさせられる。
そこに込められたターナーの戦争への想いは何であろう?
「戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり。」とは長谷川如是閑の名言だが、それを思い出された。
前衛的な発想に驚かされる画家だった。
劇画的な描写は然り、ロマン主義の画家に数えられるターナー。だが手法は60年後の前衛芸術である印象派に近い。筆跡を残している。
ターナーの自然の猛威や情景に人の心情を乗せる試みは、印象派も同じ。
それは日本の和歌にも見られ、それ故に日本人は印象派の絵画に惹かれるのだろう。
自然の大きさとその中にいる小さな人間。
自然に人は己の様々な想いを乗せる。
先日の茶会で知った「偌波嶮不似人心」とは違うが、そこに自然との共感を人は想うのかも知れない。