ゲームは芸術に成りうるか?

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:ゲーム

 「成ると思いますよ」

故・片桐頼継先生は笑顔で私にこうおっしゃった。
嬉しそうだったその顔が忘れられない。

何をもって芸術と成りうるとおっしゃったかと言うと、“二次元空間に三次元を表現する”という点である。

以前の日記にも通ずるので、書いておきたい。
【過去日記】ダンテ『神曲』のヴィジョン

片桐先生は西洋美術史、ルネサンス期の美術を専門にレオナルドについて研究され、当時の画期的な表現、即ち遠近法がゲームの世界で表現される事を指しておっしゃった。

Play Station2(であったか?)が出たばかりの頃、某有名ゲーム雑誌に遠近法についてのインタビューをお受けになったと話していた。

ゲームが3D表現が可能になり、リアリティーの追及も為されるようになった。
キャラクターの動き、次世代機では質感まで。
それはまるでルネサンス美術のようである。

レオナルド未完の絵画《東方三博士(マギ)の礼拝》
http://art.pro.tok2.com/D/daVinci/v015.htm
(ヴァーチャル美術館より)
未完故に作画工程が判る。それはこの未完の作のために描かれた習作にも見て取れる。
以下、《東方三博士(マギ)の礼拝》のための習作。

レオナルド《東方三博士の礼拝》のための習作

拡大すると、その遠景に緻密に描写されたパースが見てとれる。

レオナルド《東方三博士の礼拝》のための習作・部分

この表現は今のゲームでは必須だろう。
パソコンの無い時代に、これ程まで緻密に計算し手で描いたレオナルド。

ゲームの描写、表現は真に迫ってきている。
後はストーリー性…システムについてはこれも評価される日が来るだろう。
そして見るもの、この場合はプレイするものに“考える"余地があれば、芸術となるのではなかろうか。
私個人としてはゲームは芸術に成りうる可能性を秘めている。

しかし、ゲームが芸術と成りうるためには大きな弊害がある。
特に“特定のハードウェアが無いと見ることが出来ない”点である。

新しいハードウェアに対応した移植版もあるが、全ての“良作”を網羅している訳では無いだろう。

世代を越えてもあらゆる障害が無くならない限り、まだゲームは芸術に成りえない。

過去の思いつき駄文。
ルネサンス礼賛なのか、ゲームに付加価値を付けようとしているのか、最早自分でも解らない。

以下、Web拍手レス

11月12日 20時
11月17日 17時

web拍手有難うございます。

詩烏さま
今晩は。おぉ、詩烏さまもNightwishをご存知でしたか!!嬉しいです。
“Nemo"の切ない旋律と歌詞は、心に響きます。勿論、前ヴォーカルの声も。
声はターシャの方が好みではありますが、アネッテの"Amaranth"も好みです。
あのPVはフィンランドの天使の絵画のオマージュでもあるので。それについては大分以前に書いてはいたのですが…以下に。
http://www.lux-nox.sakura.ne.jp/Lux/L-memo_2008-06.html
>記事の内容を一緒に考えさせられ~
有難うございます。
まだまだ拙い文章ではありますが、何か心に伝わるものが、考える布石になっておりましたら幸いです。

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