『エヴァンゲリヲン新劇場版: 序』考察 壱
先日、都内で『エヴァンゲリヲン新劇場版:破』の公開に先駈けて、エヴァンゲリヲンのフリーペーパーが配布された。
とても綺麗。
いえ、スタイリッシュなデザイン。
さて、公開も間近なので前作『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』について改めて感想・考察など。
しかし長くなりそうなので、分割して書いていこうと思う。
冒頭から、波打ち際の描写。その海の色は赤く染まっている。水没した街と、山肌に巨大な人型の線が引かれている。
この描写で、旧作の劇場版の延長であるように思われる。
しかし、次の描写で、旧作TVシリーズの第壱話冒頭と同じ情景が展開される。沿岸に並んだ戦車大隊、第三新東京市に降り立つ1人の少年、使徒の襲来――
戦闘が突如始まる。
対使徒にクラスター爆弾使っている…
TVシリーズには無かった描写。
最近、この非人道兵器を撲滅する国際条約署名したようだが、日本はクラスター爆弾保有国。
映画館で観ている時、一応軍隊を持たないこの国が、持つ事への皮肉にも思えた。
第伍使徒シャムシェル襲来時にも、『爆弾を使わないと困る人達もいるのよ』という趣旨のものがあった…テロと戦争によって幕開けした新世紀故か、印象に残った。
そしてエヴァンゲリヲン初号機(以下、初号機)。
グラフィックが綺麗になり、CG描写も格段に上がっている。
何より象徴的であったのは、ネルフ本部からの発進準備や、対第六使徒ラミエル『ヤシマ作戦』における描写。
人間がいる。
発進準備の描写に人間がいるのは、単純に初号機の大きさを表現したかっただけかも知れない。
しかし、発進するために多くの人間が関わっているというリアリズムに思えた。
そして『ヤシマ作戦』は日本中から電力をかき集めるという、多くの人間の協力あってこそだった。
出撃前にシンジとミサトが手を握り合う描写。
旧作でも象徴的だったレイの微笑。
新劇場版は人と人の絆についてより深く語ろうとしているのではなかろうか?
時間やコストの問題があったのかも知れないが、TVシリーズではあまり描写されていなかった。
シンジは世界を、人類を守るという実感が持てないまま、訳も解らず敵と戦うことに苦悩し、目の前の死に恐怖する。
孤独感から。
しかし『ヤシマ作戦』にて通信からミサトの「私もエヴァンゲリヲンパイロットを信じます」という言葉や、第二射を打つために、初号機の側で可能な限り設備を整えている人間の姿があった。
シンジは周りの人間に気付く、繋がりを、絆を見つける事が出来るだろうか。
人は、人と人の間にある繋がりを持って“人間”となるから。
旧作劇場版では、シンジは他人との繋がりを“皆一つになる”という事で拒絶される事の無い世界を願った。しかし結果として自分も他人も無くなってしまう。
そして願う。
「もう一度会いたい」と。
そうして彼は“個”としての身体を取り戻した。
皆が一つになった赤い海から、皆が再びヒトが戻って、互いに解り合えるかも知れないという希望と共に。
新劇場版は、その延長線上にあるのでは無いかと私は考えている。
『破』では新しいキャラクターや、設定も変わる模様。少なくとも、駄作には成らないと思っている。
楽しみです。
あ、フリーペーパーの内容について書いてない…