「アバター鬱」とそれに付随する諸々考察

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JUGEMテーマ:映画の感想

知人の記事を読み、意見を交換し、触発された。
学ばないという意味―理解することされること
私は彼女の意見に、非常に共感する。

事の発端は、下記記事である。

リアルすぎて現実に嫌気「アバター鬱」続出ってホント!?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100127-00000005-ykf-ent

ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』における、ロングランヒットの興業成績を抜き、評価の高い映画『アバター』
それを観た人の中に“鬱”になる人がいるという話題。
米CNN電子版の紹介で‘「アバターを見た翌日、目覚めると世界が灰色に見えた」など、現実世界に失望し、鬱や自殺願望を抱くようになった人たちの声’があるという。

上記ニュースではそれを“極彩色の映像の強すぎる刺激を受け、現実世界と仮想世界の区別が出来なくなった影響による、現実逃避の表れ”としているが、私もそれに対して異議を唱える。

‘この映画は「人間の汚さ」を分かりやすく表現している’
から、その事実を突き付けられ、憂鬱になるのだ。

詳細は上記ブログに是非目を通してもらいたい。
鬱になる原因は、欧米諸国に見る繁栄が、常に開拓こそ人間の正しき姿としたがために招いた自然破壊と、それを行う者こそ文明人であるという選民思想から異文化を排斥していったものである、という黒い歴史を突きつけるためだ。

それ故に欧米人で鬱を感じる人は多いだろう。
宗教・文化的に、自然からの自立を謳う歴史が長かったから。
帝国主義の歴史もある。

彼らの文化とは異なるもう一つの可能性とその是性を提示され、苦悩するのではないか?

『アバター』にはアジア圏に馴染み深い“汎神論”に近いものに満ちている。欧米と比べてアジアでそういった声が少ないのはそのためでは無いだろうか。
自然との調和を謳う汎神論を身近に感じるアジア圏とは異なる、一神教の中ではより斬新なのではなかろうか。

そういえば『アバター』の描写にはケチャに似ているものもある。
http://ugawalab.miyakyo-u.ac.jp/~bali/bali_DVD/bali/win/music/kecha/index.html
アジア的な、人間の文化面からの自然との調和の喜びを、アメリカ映画が作ったことにも私は驚嘆した。

だが、この「アバター鬱」はアジア人に無関係であるわけではない。
環境問題が叫ばれ、問題視されながらも、何気無く生活するだけで環境破壊に加担している現代社会。
資本主義が支える社会で、そこに沙汰がある。傷ついたものがある事をこの映画の中に見出してしまう。
それは今のアジア圏も抱えている問題だ。

この映画はグラフィックだけではない。
あらゆる解釈が出来る、密度の濃い映画なのだ。

話を戻そう。
そもそもニュースソース自体がスポーツ紙なので、あまり良いものでは無いのだが。
彼女も指摘しいるので、ここでは多く言及しないが、この記事を書いた人間は明らかに表面しか見ていない。
現実世界と仮想世界の区別が出来ない云々など、使い古るされて久しい。
真のマスメディアは情報をよく吟味して、世の中にそれを発信するのではなかったか?

世の中全ての新聞がこうであったら地に落ちたものである。新聞は現象しか伝えなくなった。そこにある核心はもはや書かれていないのか。
その事には既に気付いていたはずなのだが。

この言葉が相応だ。

「新聞とは空気のようなもので、絶えずしゃべりまくっている道楽者だ」(ピット)

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