映画『ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館』感想

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残暑とはいえ、まだまだ暑い日が続くので納涼企画。
ホラー映画話。

公式サイト:
http://www.womaninblack.jp/(閉鎖)
http://www.womaninblack.com/

ダニエル・ラドクリフが『ハリー・ポッター』シリーズを演じきった後に選んだ作品が現代文学、イギリス・ゴシック小説である事も興味深い。
原作はスーザン・ヒル『黒衣の女 ある亡霊の物語
黒衣の女 ある亡霊の物語〔新装版〕 (ハヤカワ文庫NV)
ハリー・ポッター』シリーズは何となくゴシック小説の部類に入りそうな児童文学だったので、延長線上にあるような気がする。

あらすじ

19世紀末のロンドン。
弁護士のアーサー・キップスは、4年前に愛妻ステラを亡くして以来失意のどん底にいた。
彼は仕事で亡くなった老婦人の遺産整理のため、田舎町にある老婦人の館にひとり泊まりこむことになる。
そこは広大な沼地と河口に面し、わずかに水上に出た土手道で村とつながるだけ。館は冷たく光りながら堂々とそそり立っていた。
だが立ちこめる霧があたりを覆うと、想像もできなかった怪奇が襲いかかった……

古典的な幽霊物語だが新しさを感じさせる。
憑き物による狂気で殺人事件に発展したり、ポルターガイストが起こり生きている人間に物理的に危害を加えるものではないところは最近のホラー映画らしい。おそらくジャパン・ホラーの影響もあり、こうしたものが見直されるようになったのだろうとしみじみ思う。
シーンの角や遠景のピンが暈けているさりげない所、主人公の死角に亡霊の姿がちらりと見える。
伝統的なホラー映画の手法が観るものを戦慄させる。

“館で黒衣の女が目撃されると子供が死ぬ”という呪いの連鎖――亡霊はまさにバンシーだ。
Banshee“(Wikipedia / English)
http://en.wikipedia.org/wiki/Banshee

亡霊の怒り

キップスは遺品整理のために読んでいた手紙と自身の経験から、亡霊が「わが子を奪われ続けた」怒りによって周りにその呪いを振りまいていると解釈する。
亡霊に子供を返す事で呪いを解こうと、怒りを鎮め亡霊と代わりに奪われた子供達の魂が救われる事を望み行動するが、それは半分間違っていた。
亡霊は“わが子を”ではなく“奪われ続けた”という、他人からの行為に怒り続けていた。子供を返したところで怒りは収まらなかったのである。

守護霊

亡霊に対を為す存在として、キップスの亡き妻がいる。彼女もまた母である。
この対比は強烈だ。
彼女に導かれキップスと息子のジョセフの魂は亡霊のものにならなかった。
その因果に絆がある。
ふとした時に、故人が側にいるのではないか、と思う瞬間がある。
亡霊に囚われた子供達の魂は、ずっと先の話になるが彼らの両親との絆がある限り救われるのかも知れない。

だが、それは亡霊には何の意味もない。奪った子供たちの魂に関心は無いのだ。亡霊の彼女はあくまで“奪い続ける存在”となった。最後にこちらに向ける視線は、暗にそれを示している。
そして守護霊との対比により、この亡霊が報われない事が暗に示唆されているようだった。

ヴィクトリアン・スタイル

この映画は舞台となる屋敷や小道具に至るまでよく造り込まれていた。それらに徹底されたヴィクトリアン・スタイルには当時の時代背景を強く意識させる。
産業革命後、工業化による大量生産の実現で経済絶頂期であったイギリスは、都市化が進み華やかな時代であった。
中産階級が生まれ、都市部では経済的にも余裕が出てくる人々が増えた。個人車の登場もそれが理由だ。
鉄道の発達は物流だけでなく、人々が余暇を郊外で楽しむ事を促した。
そしてもう一つ、子供の存在が大きくなってゆく。
子供服の誕生や子供向けの本が出版される所に“大人とは違う子供”に目を向けるようになった事が伺える。

参考:『ヴィクトリア朝の子どもの本
https://www.kodomo.go.jp/ingram/index.html

労働階級ばかりであった時代に大人より安価な労働力だった子供が、中産階級が多くなるにつれ大事に育む存在になった。
子供を大切に思う、ヴィクトリアン・スタイルの時代と映画の根底にある思いが合致している。

子供の死亡率

作中の小道具にはヴィクトリアン・スタイルの動物をあしらったカードが多く出てくる。
これを見ているとヴィクトリアン・スタイルのグリーティングカードには特筆すべき点がある事を思い出す。
子供たちがいる事だ。それら描かれた子供達は、愛らしく健康的なイメージが多くある。
それは当時の子供の死亡率が高かった事に起因すると聞いたことがある。
文献では直ぐに探せなかったのだが……
ヴィクトリア朝百貨事典』には‘すべての母親は、自分の子供の少なくとも1人が1歳に満たないうちに死ぬことを覚悟していなければならなかった(p.122)’とあった。
図説 ヴィクトリア朝百貨事典 (ふくろうの本)
(因みに上記本では作中に出てくるアイテムについての詳細が書かれているので、参考に読んでみるとより面白いと思う。)

中産階級が生まれ、生活に余裕ができたとはいえ、子供の死亡率は高かった。
健やかに育って欲しいと願った形が現れている。
子供の姿をした天使も然り。死んでしまった子供たちが天に召され、幸せになると――親たちは願わずにはいられない。

母親の怨念である亡霊の怒り、死んだ子供の霊と対話するために交霊にのめり込んでいる夫人、苦い死から子を救う母の慈愛(を願う)――
どれも子を失った母の姿でもあった。
そこに込められた思いは、子供を亡くしていらっしゃるスーザン女史の経験もあるのでは、と短絡的に想像してしまう。

同じ女性である分、共感しやすいのかも知れない。
恐ろしく、切ない映画だった。

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