建石修志展 表層の浮ぶ夢
昨日の話。そしていつも駆け込み…
と、思っていたら期間延長していました。
1/18まで。お時間ある時に、是非。
『建石修志展 表層の浮ぶ夢』
Parabolica-bis
http://www.2minus.com/
神話を主題にした、デューラーの作品の様に思えた作品の数々。
以前から、コラージュ的な作品群だと思っていましたが、実際、コラージュ作品を制作されていらっしゃった…今回はその立体コラージュ作品も展示されていました。
板に油彩テンペラ混合技法で描かれた、象徴的な品々から、見ているものは物語を連想する。
“なるほど、コラージュにおいて重要なものはこれか”と思いました。
《私は1冊の書物である》
文字を書く道具と製本の材料…それらが向かって左端にいる男性像へと繋がっている。
書物には何も書かれておらず、白紙のページが広がる。
書物における重要な知識・情報はその男性に集約され、書物と言うものの存在を問うている様にも思えました。
このように沢山の本が存在するためには、まず読む人間が社会と呼べるものを創り出していなければならない。
ただ人間が社会を創り出すためには言語での対話が必要となる、
まさにニワトリとタマゴの様な話。どちらも相手が必要であるということは、
本が純粋に人間的な方法で確立されたと言い切る事は不可能だ。
それこそ神のような存在が与えたのではないかと考えたくもなる。シティ・ライズ・ブックストア主人より ルソー『言語起源説』
本と言う物体に執着するか、そこに書かれた知識が本当に活かされるのは、人の中においてであると、改めて思うのです。
《舟が行く》
羊皮紙に鉛筆で書かれた男女像がぼんやりと浮かび上がる、満月を乗せた舟。
葬送の様でも、夢への誘いにも思える世界観が、より建石氏の絵の世界へと惹き込まれる入口のようでした。
コラージュ立体作品は、勉強になりました。
最近、コラージュへの関心が高まっているので、表現方法を色々学びたいと思っていたので。
《五輪のばら》
複製絵画、写真とアンティーク(?)の鍵、金具による立体作品。
人物の中央に、彼らを象徴するように置かれたばらの花。それぞれ違う種類のばらの花。
金具とアンティークの鍵は、“時間の経った大切な思い出”というフレーズを想起させます。
《建築家ミルトン夫妻の静かな休息に》
箱の中に建築物の版画と設計図を描くための道具が、いわずもがな建築家の人生、いえ仕事を表し、右の隅に二つ並べて置かれたミニチュアの椅子に、安息だけでなく仕事の充実感を想像しました。
《ケンタウロスの手紙》
馬の立像の前に架けられた紙に描かれた男性像はエッシャーのだまし絵の様に上半身部分から立体となり、馬と一体となってケンタウロス像を作る。
紙と筆記具そして彼が抱える書物は、彼の知識を象徴するようで、ケンタウロス族の賢者ケイロンを思い出す。
http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page165.html
私が建石氏の作品を初めて知ったのは、《宙に止まる者》《天使の声》という作品でした。
どちらも旧『夜想』『現代思想』にて“天使”を特集していた折に掲載されていたものです。
どの作品群も一貫して、古代ギリシア・ローマ美術への賛歌のような…形而上学的で、飛翔への憧れを感じるその作品は、イマジネーションを刺激されました。
建石修志氏HP
http://cherubim.verse.jp/
以下、Web拍手レス
12月17日 23時
12月22日 15時
12月27日 15時
Web拍手、有難うございます。