原三渓の美術 伝説の大コレクション

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:展覧会

『原三渓の美術』チラシ
公式サイト:
https://harasankei2019.exhn.jp/(2020/2/11、アクセスできなくなっていた)

横浜美術館にて。

……半年前に行った展覧会の感想を、今、書いている。orz

日本美術に疎い私でもわかる、質の高いコレクションだった。

原三溪の業績を四つの側面――「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」――から、彼のコレクションの相互関連を時代背景も視野に入れて探りながら、今日、国宝や重要文化財に指定される名品30件以上を含む三溪旧蔵の美術品や茶道具約150件と、関連資料を展観することによって、原三溪の文化人としての全体像を描きだす展覧会。

同時に、彼が実現できなかった“幻の美術館”――その姿がこの一時、形になっていた。

原三渓のコレクション

三渓が購入した後に国宝に指定されたものもあるだけに、保存状態が良かったり、(伝のものも含めて)知名度の高い絵師や書人の作品が一堂に会する。どれもクオリティの高いものだった。また、煎茶、抹茶道に精通していたので、仙厓礼讃で見た素朴な茶道具とは違う、美しい茶道具のコレクションが目を惹く。

以下、気に入った作品についての感想。

伝狩野元信《奔湍図

伝狩野元信《奔湍図》

水の流れが線の太さ、強弱で表現されている。線を目で追っていると、水音が聞こえてくるようだった。
画面左から来た流れは滝に至り、勢いよく下に落ちている。落差は大きくない滝だが、下の水しぶきや上の流れとは異なり波打っている下の水の流れの表現など、ひとつの画面の中に多様な水の流れが表現されているのが印象的な一枚だった。

国宝《孔雀明王像

国宝《孔雀明王像》

平安時代に描かれた、宣伝広告にも使われている仏画。
時を経て黒ずんだ画面に浮かび上がる明王像の白い肌や絢爛な装飾。極彩色な後輪の延長のように広がる孔雀の尾羽。シンメトリックな構造に安定感がある。

…実物を拝見した時、広告のような繊細さを肉眼で見ることができなかった。時間を経ての変色で、初見ではぼんやりと浮かび上がる白い肌、蓮の薄紅だけを認識する。よく見ると、金糸が鈍く輝いており、おそらく描かれた当初は翡翠色に輝いていたであろう緑、朱色があるのだろう……と遅れて理解した。

仏画の最高峰として、現在、国宝に位置付けられている。三渓はこれを当時破格の一万円(当時の総理大臣の年収にも匹敵するらしい)で購入した。

当時、廃仏毀釈を契機に寺院や僧侶によって仏教遺物が寺から持ち出され売却された。それらを国内外の蒐集家や、博物館が公的機関として精力的に収集活動を行ったため、信仰の対象である仏画が“古美術”と認識されるようになった。そのため、三渓も蒐集することができたという。

秘仏を美術品として調査・研究した岡倉天心の存在も思い出す。実際、三渓との交流もあったことを知る。

源実朝《日課観音

源実朝《日課観音》

とても静謐な作品だと思った。

白い紙面に筆で描かれた、微笑をたたえる観音像。女性的な……まるで聖母のような表情で、慈愛をもって受け入れてくれるような、包容力を感じる。

哲学者・谷川徹三が『茶の美学』の中で三渓の茶会を取り上げている。別の文献でその内容を紹介していた。

席を変え、銘「君不知(きみしらず)」の小井戸茶碗で薄茶が出されます。茶室の床には源実朝(みなもとのさねとも)が描いたとされる「白衣(びゃくえ)観音」。再び広間に席を移して歓談、アイスクリームが供されました。部屋には銘「面影(おもかげ)」の飾り琵琶。三渓は長男の事には触れず、平静に茶事を進めたそうです。谷川徹三は道具組から「その心中を無言のうちに語られた」と記しています。

虎屋文庫編著『和菓子を愛した人たち』2017年 「原三渓 (はらさんけい )と茶会の菓子――心中を無言のうちに語る」p.229

上記、白衣観音とあるものが、《日課観音》であろう。展示スペースはその様子を再現するかのように、その前には《君不知》が展示されていた(※1)。上記エピソードと共に、その茶会について、また若くして死した実朝についても思いを馳せてしまう。

浄土飯とは、飯櫃の中に緑の蓮の葉を敷き、その上に白飯を盛り、その白飯を紅色の蓮の花弁で覆い、大輪の蓮の花を思わせるような装いにしたもの。各人、花弁を取りのけ、椀に白飯を盛り、若い蓮の実を煮たものをチラシ、だし汁をかけて食します。(※2)

この浄土飯を三渓園の隣花苑で頂ける。秋限定らしい(※3)。私が行ったのは夏の盛りだったので、頂けなかった……

ここから後半には茶人としての三渓のコレクション――茶道具など――を中心に展示されていた。《志野茶碗 銘 梅が香》など、

文人趣味の世界

「アーティスト」としての三渓には、蓮をモティーフにした作品が印象に残った。
実線で区切られていない大きな蓮の葉の間に可憐に咲く蓮の花。可憐さと力強さ。浄土の花として意識して描いているのではなかろうか……

当時の流行として文人趣味があり、三渓も愛好していたという。茶会もその一環だった。南画家であった叔父から画の手ほどきもうけていたそうで、文人画家として、自身も描いていた模様。

最後に、「パトロン」として三渓が支援していた画家たちの作品が展示されていた。
それらは日本の“(当時の)今”を写すものというよりも、日本の伝統的な文化を意識させる作品だったように思う。

汽車が走ったり、洋風の建物が立ち始める都会の喧騒を離れたような……どれも落ち着きがあり、思索にふけることを促すような……ここにも文人趣味が反映されているのかも知れない。

それとも、西洋化という急激な価値観の変化……特にそれまでの価値観を全て否定するような空気がある中で、“日本的なるもの”をすくっていたのだろうか?
「パトロン」としての三渓に、そんな姿を想像する。
岡倉天心との交流、文人趣味の影響か、洋画(油彩画)はなく、一貫した日本美術のコレクションだった。

原三渓の偉業

古美術を蒐集し、古い建築物を移築し彼の美の理想郷である三渓園を造園し、それを無償公開した……

美術に造詣が深い実業家……そのイメージに私は「もしかしたら原三渓は、現在求められている『デザイン思考』を事業にも取り入れた、日本で先駆的な人物ではなかろうか?」と想像した。

デザイン思考……イノベーションをおこす――問題解決のための発想――創造性に必要な考え方として今日、注目されている。

それを促すのに、美術鑑賞や教育の有用性が提唱され、日本でもようやく話題になっている。(教育方面で今、活かされているかは…、まだ始まったばかりだと思う)

富岡製糸場の経営にも携わり、生産性と製品の質の向上にも努めていたようなので(※4)的を得ているのではないだろうか?
しかし、原三渓の生涯を少し調べてみても、事業においてイノベーションなるものを起こしたようではなかった…orz。は起業家というよりは実業家だった。
それはイノベーションというものが、偶発的なものという考え方の時代だったからかもしれない。まだ「欧米に追いつけ、追い越せ」の時代で、そんなものは求められていなかったからだろうか……

何故、原三渓――実は彼に限らず当時の実業家たち――は(古)美術を求めたのか……西洋化の反動として、温故知新に意識を向けたためだろうか?

それとも、文人として理想郷を描く山水画のように、紙に描くのではなく現実に三渓園をつくり、心を遊ばせ心を落ち着かせていたのだろうか。

当時の実業家が社交の一環として、美術の蒐集や芸術家のパトロンになることがステータスだったのかもしれない。

欧米の美術館・博物館など"musium"の概念が、蒐集による力と自国文化の優越性の誇示だったことを鑑みると、その流れを踏まえて、自国のアイデンティティの基盤となってほしいという、原三渓の願いだったのかもしれない。

20歳代半ばごろの手記に三渓は、「珍しき書画を観或いは平生の好友と互に書画を品し其好尚を語り合うなどの事は余か一生に於ける無上の快楽」と書いています。また、後年の別の手稿に「美術品ハ共有性ノ物ナルヲ以テ決シテ自他ノ別アルヲ許サス」とも書きました。いずれも美術品を独占するのではなく、共有のものとして広くひらき、ともに研究し意見を述べ合う、美術品ンお公共性に関する三渓の哲学が、その生涯にわたって貫かれていたことを物語っています。

柏木智雄「原三渓の美術」
淡交2019年7月号 特集・原三渓、その生涯と茶の湯』淡交社 2019 p.31

関東大震災や時代の変化による事業の不振も相まって、三渓は古美術の蒐集を止めてしまう。
戦争などさまざまな要因で、コレクションは散り散りになってしまう……印象派で名高い松方コレクションもしかり……
それでも原三渓のコレクションが散逸しなかったのは、彼がこまめに記録していた「買入覚」の存在があった。
購入した作品名、金額などが書かれており、買入覚の発見がその全容を今に伝え、この展覧会へと繋がっている。

  1. 希代の数寄者、原三溪という美の巨人を大解剖!展覧会でこれだけは見るべし! | 和樂web 日本文化の入り口マガジン > 「茶人三溪」パートのオススメはこれ!
    https://intojapanwaraku.com/tea/17903/#toc-4 (2020/2/11確認)
  2. 前述『和菓子を愛した人たち』2017年 「原三渓と茶会の菓子――心中を無言のうちに語る」p.228
  3. 「隣花苑」でいただく、季節の味わい – mirea[ミレア]
    http://mirea-web.jp/topics/12355 (2020/2/11確認)
  4. 原三渓はどんな人?|原三渓市民研究会
    https://harasankei-kenkyukai.com/harasankei/ (2020/2/11確認)

    人間力が息づく | 上武絹の道 > 原善三郎と原富太郎
    https://www.jobu-kinunomichi.jp/special/ningen.html#Area4 (2020/2/11確認)

    [時事][地域] 富岡製糸場(3)−3遂に横浜原三渓の所有に – 旧聞アトランダム
    https://hakyubun.hatenablog.com/entry/20140515/p1 (2020/2/11確認)

  1. 日曜美術館「原三溪 美の理想郷を追い求めた男」
    https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-08-18/31/5093/1902812/ (2020/2/11確認)

    第97回 横浜へ 原三溪の偉業を訪ねる旅 | 旅の紹介 | 出かけよう、日美旅:NHK
    http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/405504.html (2020/2/11確認)

参考文献
図録『原三溪の美術 伝説の大コレクション
原三溪の美術 伝説の大コレクション
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虎屋文庫『和菓子を愛した人たち
和菓子を愛した人たち
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三上 美和『原三溪と日本近代美術
原三溪と日本近代美術
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淡交2019年7月号
淡交2019年7月号
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