101年目のロバート・キャパ
恵比寿・東京都写真美術館にて。
https://syabi.com/contents/exhibition/index-2149.html
~2014/5/11まで。
キャパの展覧会は初めてだ。
写真は本などで拝見した事はあるのだが。
丁度2014年のピューリッツァー賞写真部門の発表があったので、より意識させられた。
どの写真も、訴えかけてくるものがあった。
写真がモノクロの分、想像力を刺激されるためかも知れない。
スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の5つを撮り続けた写真家。
有名な《人民戦線兵士の死》
共和国政府(人民戦線政府)兵士が頭を撃たれて倒れる瞬間を、兵士の前方至近距離から撮影した極めて珍しい写真。
タイトルもあって、ショッキングだ。
しかし、あまりに構図がしっかりしていて、この写真は本当に撃たれた瞬間を撮った写真であるかどうかについて真贋論争が続いている 。
ネット少し調べたところ、取材や科学的検証から、これは兵士が死ぬ瞬間では無いとの事だった。
『崩れ落ちる兵士』(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%A9%E3%82%8C%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B%E5%85%B5%E5%A3%AB
更に写真家の影に恋人としてもう一人の写真家、ゲルタ・タローの存在もちらつく。
だが、これがファシズム対抗の象徴的写真になり、それはキャパの意思とも合致?したために、キャパは口を噤む事にしたという推測だった。
沢木 耕太郎『キャパの十字架』にその論拠、詳細があるようなので、今度、手に取ってみたい。
《Dデイ ノルマンディー上陸作戦の写真》
会場のキャプションにも指摘されていた映画『プライベート・ライアン(1998)』のシーンに大きな影響を与えた戦争写真の数々。
波打ち際を匍匐前進で進む兵士の姿。
《最後の戦死者》
狙撃で斃れた兵士の写真は戦争というものを表層的に捉えながら、叙情的なものを伴っている。
どれも戦闘の臨場感を伴うものだった。
それまで見ていたものへの反動か、私には戦争の中で“人間性”を垣間見た気がした。戦争の悲惨さよりも。
一服している兵士たち、カードゲームに興じる姿など。
捕虜になった負傷したドイツ兵の手当てをするアメリカ 兵。私には写真の中の人物が、腹の中で何を思っていたかは知る由も無い。
しかし人道的な義務として、それよりももっと根本的な人間としての思いからそれをしていると思った。
私にはそんな思いにさせてくれる、絵になる写真たちだった。
他、文豪や芸術家のポートレイトや、復興期の日本の風景など。
宣伝にも使われたツール・ド・フランスを応援する人々の写真
やってくる選手を待ちかまえ、見送る。向かって左を見ている人々の顔が次の写真では右を向いている、それだけの一連の動作。ビフォアーアフターが微笑ましい。
彼の写真を撮る姿勢に興味を持つ。
彼の有名な著書を手に取った。『ちょっとピンぼけ』は写真の撮り方云々を話すものでは無く、写真の物語を補完するもののようだった。
読んで いてロードムービー的なものだった。
展示されているものは1991年にゼラチン・シルバー・プリントで焼き直ししたもの?のようだった。
写真の技法解説 – 東京都写真美術館
http://syabi.com/contents/images/explanation/explanation.pdf
ゼラチン・シルバー・プリントはシャープさがあるので、私は好きだ。
ビンテージプリントは4枚ほど展示されていた。
私は写真に関して素人だが、本当に撮り方が上手いと思った。
それが、キャパが愛される理由のひとつであろうと思った。