映画『ペコロスの母に会いに行く』感想

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映画『ペコロスの母に会いに行く』
公式サイト:
http://pecoross.jp/

人気コミックの実写映画化。
ペコロスの母に会いに行く

絶賛は出来なかった……
原作漫画との齟齬を強く感じたためだ。
私には原作漫画に心温まるイメージがある。西日本新聞から出版された『ペコロスの母に会いに行く』しか読んでいないのだが……
原作漫画著者のペコロス氏の母・みつえさんの、認知症ゆえの失敗や不安をちょっぴり可笑しく表現している。

しかし、この映画はそうしたものが一切なく、原作漫画とは異なり妙にリアル過ぎる気がした。実写であるためか、余計に。

介護の現実から故人の面影へ

映画では、認知症患者の家族が抱える不安からの視点が強い。その描写に重点が置かれために、説教されている気がしてしまう。
『振り込め(オレオレ)詐欺』や『徘徊』など、認知症の抱える問題は対処が難しいので苦慮してしまうのは事実だ。
原作漫画は優しい絵のタッチで、その苦境をオブラートに包み 、辛さを緩和しているとは思う。

漫画では、みつえさんの前には他界されたペコロス氏の父が時々現れる。
それが超自然的な事なのか、ボケなのかは分からない。ただ、死者との縁を強く意識させられる。
私達にもそれが脈々と受け継がれているいる事にも。
ふとした時に故人が側にいたり、訪れたりするのではないかと思う瞬間を。
映画にも、原作漫画にある日常に挟まれた非日常を描いて欲しかった。

映画では現実の長崎の情景を映す事に重点が置かれている。
原作漫画でも“坂の多い町”“港町”“トンビ”についての描写が多い。それを踏襲していた。

それでも映画で心揺さぶられるものはあった。
自身を育ててくれた親が、いつの間にか自分との意思の疎通が出来ない、自分を忘 れてしまう――
その虚しさが悲しみとなり、涙が零れる所など。

映画ラストでは、長崎のランターン祭の会場で彷徨うみつえさんの側に幼馴染や旦那さんが若かりし姿で寄り添う。
日常とは異なるハレの舞台にあって、故人との邂逅は必然の様に思われる。
ランターン祭は中国の「元宵節」を祝う邪気払いで行われるもののようだが、日本の文化で灯籠というと盂蘭盆会を思い起こし、先祖霊が来るような気がする。

参考:元宵節
http://www.nagasaki-lantern.com/contents/mame/

もっとそういった描写を、ランターン祭のハレ以外の日常風景に織りなして欲しかった。

長崎が舞台の心温まる介護喜劇「ペコロスの母に会いに行く」 from Film@motiongallery on Vimeo.

認知症はファンタジー

スタジオジブリのフリーペーパー『熱風』2013年6月号では、ペコロス氏の寄稿を拝読できる。
そこでペコロス氏は漫画『ペコロスの母に会いに行く』がファンタジーである事を語っている。
現実は甘くないが故に、認知症を扱った映画や小説は、フィクション・ノンフィクション共に苦悩する話は枚挙に暇が無い。
だからこそ、このコミックの視点は斬新であり、心の余裕を持つために考え方を変えるきっかけになると思った。
「ボケるとも、悪か事ばかりじゃなかかもしれん」この言葉に救われるような気持ちになる。

認知症介護の現実は、私の亡くなった祖父がそうであったために、痛感する。
介護する側もされる側も、今まで出来ていた事が思い通りにならない苛立ちが募る。
それ故に介護する家族が心身共に疲弊してしまう。

私の祖父は、私の名前を忘れてしまった。
それでも私が身内である事は忘れていなかったようで、他界した祖父の弟の名前を上げた。
それに似たエピソードが原作漫画にあった。
その共感から、私の祖父も同じ気持ちでいたのではないか、と想像してしまう。

皺 (ShoPro Books)

熱風』6月号で特集された、認知症をテーマにしたコミック『皺』を読んだ。スペインの漫画家パコ・ロカによる作品。
その時私が感じたのは、主人公エミリオの忘却への恐怖だった。
「忘れないようにしよう」という彼の運命の精一杯の抵抗も、結局は忘却に呑み込まれてしまうのだが。
物悲しくもあるが 、何か安心するようなものがある。
特にエミリオがアルツハイマー型認知症である事を知ってショックを受け、その後症状が進行するにつれ、その苦悩が無くなってゆく様子に。

この2冊は興味深かった。
現実の辛さを悲観するだけではない、前向きに認知症と向き合うための布石になる漫画だと思った。
私はそれで介護する側の気持ちが変われば、余裕が生まれれば、良い方向に向かうのではないかと思う。

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