カポディモンテ美術館展

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:展覧会

国立西洋美術館にて。
やはり会期ぎりぎりに見に行った…
グイド・レーニの神話画が目当てで見に行く。
章立て毎の作品感想(という程のものでもない)


Ⅰ.イタリアのルネサンス・バロック美術

パルミジャニーノ《貴婦人の肖像(アンテア)》

パルミジャニーノ《貴婦人の肖像(アンテア)》
モデルは定かではなく、貴婦人であるとか娼婦であると言われている。
深い緑の背景に際立つ端正な白い顔が確かに印象的で、アンテアという愛称が付くだけの魅力があると思った。
向かって左側の肩が異様に長い。アングルの《グランド・オダリスク》(http://art.pro.tok2.com/I/Ingres/Ingres4.htm)のようにあえて身体の構造を無視している。

ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ《マグダラのマリア》

ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ《マグダラのマリア》
《貴婦人の肖像》のすぐ隣に掛けられていた。
同題の絵画を度々描く画家。何度か見た事がある。
このマグダラのマリアは着衣であるが、以前見たものは胸がはだけていた気がする。
マルセイユの荒野で30年あまりの悔悛の生活を送ったという伝説に基づいたもの。
彼女の意匠である香油壷や長い髪、そして髑髏。
髑髏は瞑想する聖人・賢者の意匠によく現れるが、それを思うと彼女もその一人として、ティツィアーノは考えていたのだろうかと想像してしまう。

グイド・レーニ《アタランテとヒッポメネス》

グイド・レーニ《アタランテとヒッポメネス》

スポーツの特異な乙女アタランテは競走では誰にもひけをとらなかった。彼女は群がる求婚者たちに「私と競走して勝ったら私自身を花嫁として与えよう,もし負けたらその報酬は死です」という.連戦連勝の彼女の前にヒッポメネスという青年が現れた.彼はアフロディテから三つの黄金の林檎を授かり,レース中に1つずつ投げたので,どうにも欲しくなって拾っていた彼女はついに競走に敗れた

諸川春樹監修『【カラー版】西洋絵画の主題物語Ⅱ|神話編』より引用

瞬間を描いたものというよりも、対比・構成を意識した絵画。男女、直立と屈折、筋肉と丸みのある身体、そして衣の色や躍動感にも表れている。
巨大な画面に省略された背景は、2人の存在をより際立たせていた。

この絵は丁度2つ目の林檎を投げた所。
主題の話だが、3つの林檎を落とすという行は日本昔話『三枚の御札』を連想し、黄金の林檎はヘラ、アフロディテ、アテネが美しさを競うきっかけとなったそれを思い出させ、林檎の誘惑は聖書物語を彷彿させた。

バルトロメオ・スケドーニ《キューピッド》

バルトロメオ・スケドーニ《キューピッド》
今回の展覧会で一番衝撃を受けた作品。
大人顔負けのエロティックなポージングをしたキューピッド(エロス)。
バロック――それまで青年で表現されていた天使とキューピッドはこの頃から子供の姿で表現される訳だが、それでこの官能的な姿に魅了されてしまった。性別が判断できない中性的な描写になっている。
知らなかった絵、意識していなかった画家の作品、私にとっては三島由紀夫の『仮面の告白』に近しい体験だった。
 

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとホロフェルネス》

Ⅲ.ナポリのバロック絵画

この章になって急に画面全体が暗くなる。
反宗教改革の影響で明暗の差がはっきりとし、装飾過多・豪華絢爛のイメージもあるバロック美術だが、この頃にもペストが流行していたためか、メメント・モリを思わされた。
昇華された、死の匂い。

アルテミジア・ジェンティレスキ《ユディトとホロフェルネス》
斬首と妖婦のイメージ。サロメとは似て非なる存在。
ユディトもサロメ同様妖艶な女として描かれるが、このユディトの表情は冷静なまでの強い表情をしている。
いじめに会った画家のトラウマ払拭や復讐故にこうした絵になった、という旨のキャプションがあったが、私はこの絵が農婦が屠殺場で仕事をこなしている、“逞しい女”というイメージが強かった。


作品数はそれほど多くないが、矢張り大きな美術館では名画を拝見できるので、充実した時間を過ごせた。
思わぬ体験もしたので、満足な展覧会だった。

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