ミュシャ展 パリの夢 モラヴィアの祈り
終わってしまったけれども…やはり書いておこう。
公式サイト:
http://www.ntv.co.jp/mucha/
再びのミュシャ展。
東京の美術館での展覧会は2005年 東京都美術館以来だろうか。
好きな作品が多すぎて個々の感想がまとまらない……
神秘的な大衆芸術。
パリの夢
“I prefer to be a maker of pictures for the people,rather than a creator of I’art pour I’art."
「私は芸術のための芸術を創るよりも、大衆のための絵の制作者でありたい。」
パリ万博と、新世紀を前にしての希望溢れるパリに新しいライフスタイルを提案したアール・ヌーヴォー。
その代表のようなミュシャ。当時からミュシャ様式と呼ばれた、動植物のモティーフと曲線が織りなす文様の美しさ、華やかさに目を奪われる。
印象派にも通じる、鉄道の普及により余暇時間で自然とのふれあいを楽しむ人々が増えたことで、都市の人間にもこうした文様に魅かれていったのかもしれない。
有名なサラ・ベルナールのポスターは言わずもがな。
《NESTLE’S FOOD FOR INFANTS, 1897》
世界で初めて粉ミルクを開発したネスレのポスター。乳児用のミルクの宣伝は慈愛に満ちた女神の姿だ。
商品そのものだけでなく商品を使うことで豊かなライフスタイルを提案する、イメージによる戦略。今の商業スタイルは当時と何ら変わっていない事が理解できる。
彼が撮った写真も展示され、彼がどの様に作品を創っていたかも垣間見れる。
線による構成は、商業デザインであるだけでなく写真を見ながらも描いたのだろう。
一番興味深かったのは、ミュシャが祖国に戻ってからの作品群。
フランス、アメリカにて活躍していた グラフィッ クアートとは雰囲気が変わる。
この時代の作品があまり注目されていないのは、当時の西欧諸国にとっても東欧が特異な土地であった事も一因だった。
日本ではあまり見られなかったので、これはじっくり見ておきたかった。
前半の混雑が嘘のように、後半になるにつれて人が疎らになってしまうのが展覧会の常だが――画面が暗くなるためか、人が少なくなっていた。
モラヴィアの祈り
『主の祈り』の挿絵や、初めて見たフリーメイソンの文書とゴブレット等、その神秘の探求の現れを前にすると不思議と厳粛な気持ちになった。
下絵と完成した作品を交互に展示し、ミュシャの構想を解りやすくしていた。
ミュシャが戦争の描写を遺していた事に驚く。
第一次世界大戦を経ていた訳だが、ミュシャの華やかなイメージからは想像出来なかった。
これが大作《スラヴ叙事詩》に繋がってゆく。
《スラヴ叙事詩》
大作な上、未完成のこの作品は、流石に来日しない(笑)いつか本物を見に行きたい。
パネルの解説と展示され た下絵から、スメタナの組曲『わが祖国』とそしてあの大戦が彼の祖国愛――自身のルーツ、アイデンティティーを求めるきっかけとなったのだと改めて思う。
神秘主義の造詣もそこに取り入れられ、まるでシュルレアリスムの絵画を見ているような幻視風景。
支配・被支配の世界から誰もが自由(liberty)になり、自己を確立(self Identity)する。それを互いが肯定する。そしてそれは人類の賛歌に繋がる。
それは未だ理想の域だ。
今年2013年は、ミュシャが有名になるアール・ヌーヴォーが花開き、パリが栄華を極めた華やかな“世紀末”の終焉から100年の節目でもある。
後にベル・エポック(良き時代)と呼ばれた時代は翌年の第一次世界大戦の勃発(1914年)をもって終わる。
そんな年にミュシャ展が行われたというのも、何だか不思議だ。
あれから人々の価値観は変化しただろうか。そうだと信じている。
この展覧会で興味深かったのは、その商業的展開。
妥協していなかったと思う。それだけ収益も見込めるという事だ。
グッズ売り場のポストカードの種類が豊富だったし、ミュシャが活躍した当時を彷彿させるパ ッケージにミュシャの絵をあしらったの商品の多さ。(しかも、それだけでグッズが豪華に見える。ミュシャ様式の凄さを実感させられる。)
当初、PansonWorksによる≪四季≫のデフォルメに幻滅したが、会場限定のガチャガチャのマグネットはセラミック風の光沢で豪華さを演出していた。
私は特典目当てで前売り券を購入していた。
Crucianiのブレスネット。sakuraモティーフでミュシャ展限定の淡い色がとてもお洒落だと思った。
後でSABONの特典がオリジナルフレグランスであったと知ってちょっと後悔…香りを堪能したかった。
MUCHA MUSEUM
http://www.mucha.cz/