第15回 文化庁メディア芸術祭受賞作品展

白黒イラスト素材【シルエットAC】
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第15回 文化庁メディア芸術祭受賞作品展

六本木・国立新美術館にて。
http://plaza.bunka.go.jp/festival/
今日までだった。

今まで受賞作品のチェックこそすれ、足を運んだのは初めてだった。とても楽しかった。
気になった作品の感想。

アート部門新人賞
菅野創/山口崇洋"SENSELESS DRAWING BOT"
ミュージアムツアーがあったので、参加。
ロボット作品。
BOTの仕組みと製作した意図をお話し頂き、実際に動かして頂けた。

スプレー缶を装着した二重振り子が流動的なラインを描く。同じラインを描くことは無いが、作業が自動化されたグラフィティアーティストだった。
だがそれが描く作品に意味は、無い。
街に非合法に描かれた景観を損なうグラフィティは、基本"名前"を描いているそうだが、解読できない。それに似たものをこのBOTは描く。
“ラクガキの本質は何処にあるのだろう?グラフィック行為に意味は無い”
意味の無いそれは、果たして自己を主張しているのか、それはアートか?
問題定義をしているBOTだった。
私は初見でこの作品が何故賞を取ったのか理解が出来なかった。
しかしツアーに参加し、バックグラウンドを伺ったことでその意味をようやく理解した。
デュシャン《泉》を思い出す。問題定義の作品だった。

矛盾が面白いと思った。
「アートを生まない作品が、アート新人賞を取った訳だが、どう思うか。また、このBOTが偶発的にアートを生むと思うか?」と質問をぶつけてみた。
菅野氏、山口氏からはこれがアートを生むとは思えないと返答。
傍にいらっしゃったキュレーターの方は、メディア芸術祭が作り込むアートから偶然性を評価し始めている旨を教えて下さった。
実際、アニメもマンガも今日のクオリティの高さは言わずもがな。私は語りつくされたとは思わないが、新しい視点と評価の時期に来たのは確かなようだ。

アニメーション部門大賞
新房昭之(監督)『魔法少女まどか☆マギカ』
全話見ていないのだが…キャラクターの可愛らしさと裏腹に、物語の壮絶な設定や最終話に圧倒されてしまった。
展示は台本、フィギュア、背景画像とエネミーデザインのパネル展示、主要キャラクターの設定資料画。
背景、エネミーのクレイアニメやコラージュ、クレヨンで描かれたデザインは子供の頃を思い出させる。それが不気味な世界となっていて、魅かれる。

物語については“ポスト・エヴァンゲリオン”と言われる事に納得している。
『(旧作)エヴァ』では世界が閉じて終焉を迎える。(その後の再生の可能性は示唆するだけに留まる)
『まど☆マギ』では1話目では意外性でお客さんを途方に暮れさせ、インパクトで惹きつける。2話目で世界観やルールを説明する。3話で2話のルール以外のことも起こりうるというサプライズを起こす」
閉じる世界の直前で、別の可能性を示唆する物語だった。
閉じた世界からの脱出を、そろそろ求められる時代になったと思う。

アニメーション部門大賞
山村浩二『マイブリッジの糸』

アニメもCGが主流の中で、手書きを活かしつつ作画された心温まる世界観に惹かれた。懐古的で。
映画が上映されていたとは知らなんだ……今度機会があればきちんと拝見したい。
マイブリッジ。連続写真で有名だ。彼の馬の写真は私も大好きだ。
時間を止められるか――マイブリッジの誇大してゆく妄想と
現代の母子の成長という流れ変化する時間が共鳴しているようだった。

アニメーション部門新人賞
植草航『やさしいマーチ』
相対性理論というグループの楽曲『ミス・パラレルワールド』に乗せて展開される、思春期の少女の空想世界は現実世界のパラレルワールドだった。
共感してしまった。
別の作品を拝見したが、何だか懐かしい雰囲気に惹かれた。

『向ヶ丘千里はただ見つめていたのだった』

マンガ部門新人賞
『ファン・ホーム~ある家族の悲喜劇~』

ファン・ホーム ~ある家族の悲喜劇~

同性愛者で、また文学を愛する者として、共感を覚えながらもすれちがい続けた父と娘。随所に見られる文学作品と、文章・描写が文学的で、素晴らしいと思った。それこそ、文学の粋だと思う。
翻訳を手に取っていたのだが、原書で読んだらまた違う印象を得られるだろうか。

とにかく楽しかった。メディア、刺激になるのだ。
何よりメディアは娯楽であるのだから、堅苦しい事を抜きに、楽しめる。

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