フレッチャー・シブソープ展(描かれたフラメンコ/闘牛とフラメンコ考)
渋谷・Bunkamuraギャラリーにて
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/
~2012/6/10まで。
映画『フラメンコ・フラメンコ』を観に行った時、宣伝チラシを見かけ気になった。
私にはフラメンコの絵と言って思い浮かぶものが無かった。
この画家はフラメンコの何を表現し、私は“描かれたフラメンコ”に一体何をみるだろう?
レッチャー・シブソープ氏はイギリス人の画家で、主に舞台の宣伝のための絵画を描いているという。
そのためか描かれたバイラオーラ達は皆“大舞台の上"の舞だった。
そしてシブソープ氏はフラメンコの“動き”に着目しているようだった。特に手に。
絵から私がフラメンコを観て度々思う“土の匂い”は感じなかった。
あるのは洗練された舞踏と、ファルダ(フラメンコのスカート)の広がりがバレエのような飛翔感を感じさせた。
それが何だか不思議だった。
描かれたフラメンコに関連して、別の話題を引き合いに出す。
最近好きになった漫画。
珍しい、女闘牛士の物語だ。
作者・えすとえむ氏はスペインで取材をしたとの事で、街や建物に至るまで雰囲気がよく描かれている。
彼女が描く闘牛士達に惹かれた。過度な効果線が無くとも動きが伝わってくる。
そしてそこには“重さ"があるのを感じる。
スペイン繋がりだけでこの話題を出したのではない。
このコミックを読んでいると、フラメンコの動きを思い出す。
闘牛とフラメンコには無数の共通点があるという。
オペラ『カルメン』からもそれを思わせる。
言葉遣いも「デスブランテ」(決めのポーズ)、「キエプロ」(ひねり)、「レマーテ」(締め)、「テルシオ」(くぎり)など、共通している。感嘆の言葉「オレ!」もそうだ。
‘フラメンコのバイレに見られるリズムと動きは、パセ(牛をやり過ごす)を行う動きに似ている’らしい。
舞踏は本質的に上昇するもの、無限に向かっていくものとされるが、闘牛はリズムに乗りながら緩やかに、ついにはムレータ(赤い布をつけた棒)で砂に触れ、舐めるばかりに下降する。フラメンコもまた、舞踏でありながらも、闘牛と同じく下降するものだ。
有本紀明『フラメンコのすべて』
概念的な部分に通じるものがあり、歴史的には闘牛士達がフラメンコの興行主であったりと保護者的立場に立ったことも理由の一つのようだ。
両者に真の意味でのつながりはないが、よく似た背景を持ち、互いに刺激しあいながら共通の雰囲気を作っていったのだという。
闘牛とフラメンコ、この2つの特筆すべき共通項はやはり“重さ”だろう。
前述したように、闘牛士の赤いカポーテは大地を滑るように翻る。
フラメンコの重心は下にあり足を前に出すとき、「大地から力を貰うように足を置く」という。常に大地との繋がりを意識させる。
上記を考えると、シブソープ氏の描くフラメンコは舞台芸術やバレエの延長としての視点で描いていると思う。
バレエは飛翔、重心が上に向かうので重心が下に向うフラメンコとはズレを感じさせる。
勿論描かれたバイラオーラの重心は下にあるのだが、描かれたファルダの広がりは翼を思わせる。
上品で美しい絵だった。
そして私には違和感の残る絵画だった。